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俺はただ、人生を取り戻したいだけ。  作者: アトラモア


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第二章 【後半】英雄はいないし、英雄にはなれない。

第二十一話 すれすれの幸運


 今日も今日とてダンジョンだ。


 昨日のデートの誘いであまり眠れなかったが、体は面白いくらい動いた。やる気が芽生えたからか、明確な目標ができたお陰かもしれない。


 毎日の楽しみは酒と餃子と、律葉さんとの会話だったのに、二週間後にはデート。やる気が出ないほうがおかしいというものだろう。


 とはいえ、浮かれてばかりもいられない。


 ダンジョンでの油断は、死に直結する。


 メリハリが大事だ。


 ただ、気になることがある。


 【雑木林ゾーン】には、無事たどり着けた。


 問題は、その道中だ。


「道中にラットマンが一体だけか」


 雑木林ゾーンに向かう道中は、多い時には六体、少なくても四体は出会うラットマン。それが今日はたったの一体だけ。


 雑木林に向かう時間が早まるとはいえ、無視できない。こういう直感は信じるべきなのだが、生活もある。モンスターの出現率が低いと決めつけるには、情報が足りない。


「まあでも、ここまで来たしな」


 すでに雑木林まで足を運んだ。モンスターが少ないということは、採取に時間が割けるということ。薬草100束のノルマが終わったら、他のアイテムを探す時間も増える。


「危なくなったら、すぐ退散しよう」


 何事も言葉に出すのは大事だ。気が引き締まる。言霊というやつだろう。


 いつも通り、採取をすればいい。


「お、こんな近くで発見。だいぶ生えてるな」


 雑木林を入ってすぐ、薬草の群生地を見つけた。薬草のリポップとでも言うべきか。薬草が生えている場所は、日によって異なる。今回は手前に多く生えていたということだろう。


 モンスターに、薬草。今日は中々についているらしい。


「うし、やるか」


 一株、二株、三株……十株。採取ペースが明らかに早くなっている。どこをどう掘れば効率がいいか、一発で分かるな。無駄がないというべきか。盾も重く感じない。デートバフだろうか。


「おっと、集中集中」


 採取中にラットマンが現れるのだから気を抜いてはいけない。やつらの出っ歯と爪は、当たり所が悪ければ命に関わる。それに、そろそろラットマンが現れる頃だ。気配を感じつつ、薬草採取に集中せねば。


 だが、いつまで経ってもラットマンが現れる気配がない。雑木林ゾーンでのラットマンの出現率は、20株中、一、二体程度。モンスターにも縄張り意識があるし、ここには蜜熊もいるからか、頻繁には現れない。たまに、信じられないペースで出てくるが、油断させしなければ問題なし。


 来ない間に、ひたすら薬草採取だ。


 

 ◆_◆



「……ふう」


 薬草採取に三時間が経過した。じんわりと汗を掻くくらいには、体を動かし続けてる。ツナギは優秀だけど、顔の汗はどうすることもできない。とはいえ、ツナギが汗で張り付くことはないのはありがたいな。


 探索協会お墨付きのツナギなだけある。


「にしても、来ないな」


 いつもなら、ラットマンが三回は出てもおかしくないんだが。一向に現れる気配を感じない。あと少しで三ヶ月経つダンジョン生活の中で、こんなことは初めてだ。


「これだけ少ないと、やっぱりモンスターの出現率低下の日があるのかもしれん」


 三ヶ月とはいえ、まだ三ヶ月だ。


 ダンジョンは未知だらけ。分かった気になるには早い。


「まあ、でも……採取し放題というわけだな」


 おっと、油断はダメだ。もしかしたら、これから大量のラットマンに襲われるかもしれない。


 だが、今のところ、そういう気配は感じないんだよな。いつもの雑木林なら、ラットマンの声が遠くから聞こえてくる。ぎゃあぎゃあと耳障りな音だから、警戒するのは容易い。草木の揺れる心地いい音を邪魔するようなブサイク声。


 まったくもって、不愉快である。


「まあ、切り替えて薬草採っていくか」


 周囲の音に聞き耳を立てながら、薬草採取に専念していこう。



◆_◆


 

「……一体も出なかったな」


 結局、昼休憩を前にして100束の薬草を手に入れてしまった。


 いや、いいんだけどさ。採取の速度は上がってるってことだし、これで三万TPなわけで。喜んでいいはずなんだけど……。


「はぁ」


 いつもと違うってだけで、気味が悪くて仕方ない。嵐の前の静けさみたいな不気味な感じ。


 まあ、ここはダンジョンだし、いつも通りという決めつけもしないほうがいいんだろう。頭では分かっていても、どうにも体がムズムズする。


「休憩するか」


 こういう時は、リセットが大事だ。

 


 いつもの休息地に向かう。


 小川の流れる音が、心地いい。装備を外して、手と顔を洗う。ふう、川の水が冷たくて気持ちがいいな。ここにいるときだけは、心が落ち着く。実家の公園を思い出すな。まあ、小川は流れてなかったけども。


「さて、飯だ」


 今日は鶏肉のサンドイッチを作った。手作りトマトソースと、冷凍してあった鶏ハムと野菜を挟んだだけの簡単料理だ。トマトソースもトマト缶に調味料ぶっこんだだけ。それでも、コンビニのサンドイッチよりは美味いと思う。あと、安い。


「んー……うまい」


 パスタに合うくらい濃いトマトソースだからな、パンと鶏肉との相性もバッチリだ。トマトの棘のない酸味がいい。三つはペロリだな。




「本当に、ペロリだった」


 作るのには時間がかかるのに、どうして食べ終わるのはこんなにも早いのか。まあ、食べるペースが早いってのもあるんだろうけど。食事って儚いよな。


「……さて」


 自然の中で飯食ったあと、体を伸ばしたくなる現象に名前を付けたい。体はまだまだ元気だ。採取をする予定だが、今日は雑木林の中を探索しようと思う。


 狙いは、蜜熊の蜜とブルーマッシュだ。とはいえ、こればかりは運だ。三日間見つからない日もあれば、連続で見つけられたりする。探索する場所をあまり深くしていないせいもあるだろう。


 ゾーンには進入区画、中間区画、最深区画と、三つの区画に分けられる。指導員の時は人数もいたため、中間区画と最深区画の間で採取を行った。ゾーンの最深区画あたりから、モンスターは数が増えるか、強化されている。


 蜜熊が二体いたのは、最深区画にいたからだろう。強化されているだけならいいが、数が増えるのは厄介だ。中間区画までに、ブルーマッシュや、蜜塊を見つけられたら御の字。


「さて、どうなるかな」


 装備を整えて、雑木林を探索する。


 30分ほど雑木林を歩いていたとき、甘い匂いが微かにした。


「お」


 この先に間違いなく、蜜塊があるだろう。雑木林は雑草や土の臭いが強い分、甘い蜜の香りが分かりやすい。


「見つけた」


 蜜塊のサイズから見て、1リットルと自分用くらいの大きさだ。いいね、これは助かる。荷物は重くなるけど、金になるからな。


 蜜塊用のストローセット完了。うん、甘い濃厚な香りがする。


「さてと」


 さて、いつも通りなら蜜熊が来るはずなんだけど。




「……来ないな」


 5分くらい経つはずだけど、一向に蜜熊が現れる気配がない。蜜塊を壊せば、絶対に出てくるはずなんだけどな。


「蜜は……採れてるな」


 まあ、戦闘がないのはありがたい。いや、強くなりたいんだから、多少モンスターが出てくれた方がいい。ずっとこのままってのも、体が鈍りそうだし。


「なんかの兆候なのか」


 異変ってやつだろうけど、撤退するべきかと言われれば難しいところだ。モンスターが出ないんだから、撤退するのもおかしな話だ。


 気にしすぎても仕方ないか。って、今日ずっとそんなこと思っている気がする。


 はあ、切り替えて自分用に蜜と、蜜塊でも入れておこう。


 余った蜜塊は、この場で食べておくか。疲れてるわけじゃないけど、作業していると甘いものが欲しくなる。


 うん、甘くて美味い。


 疲労も回復したし、なんて素晴らしいアイテムなのでしょうか。

 

「うし、ブルーマッシュでも探すとするか」


 今日は見つけられそうな気がするんだよな。


「あ、ブルーマッシュ」


 歩いてすぐのところでブルーマッシュの群生地を見つけてしまった。


 鳥肌が立ってしまう。運がいいことに慣れていないせいだ。これから大きな不幸が訪れてしまう気がする。小心者過ぎる自分が嫌になるが、性分だから仕方ない。


 蜜とブルーマッシュを同時に見つけたのは、一ヶ月ぶりだ。いや、そう考えると、そういうこともあっていいのかもしれない。ダンジョンに潜る日は雑木林に来ることとイコールだ。


 毎日見ている場所だからこそ、アイテムの発見が早いと考えれば筋は通る。


「採るか」


 採取をしていると考えることがある。


 これほどの幸運はないとはいえ、採取だけでも生活はできるという点だ。


 他のソロ探索者がなぜ採取をしないのか疑問に思ってしまう。いや、そもそもソロになること自体がレアなのかもな。パーティーの活動が必須と言われるダンジョンだ。それに、探索者は強くなって金や名声を欲しがる傾向がある。


 俺みたいなやつの方がレアなんだろう。


 YouCastの動画配信サイトでも、ソロの活動はほとんど見ない。ソロになる人自体少ないし、採取の動画を上げても伸びないからだ。伸びているのは、一部の才能あるソロ探索者だけ。日の目を浴びない地道な生活をしているソロの動画に、誰も興味を示さない。


「結局は華がある探索者が伸びるわけだし」


 興味は持ってたけど、撮影用魔道具は高いし、必要ないな。


 俺は有名になりたいわけじゃないんだから。


 止めだ止め。


 気長に細々と、無理せずDランクソロ探索者を目指すとしましょう。


「よし、必要分は採れたな」


 一キロと、自分用のブルーマッシュも確保できた。


 他にもまだやろうと思えば、やれるけど。


「……帰ろう」


 なんか、急に寒気がしたし、さっさと帰った方が身のためだろう。


 足取りは軽いのに、嫌な汗が背中から垂れる。


 背後には何もいないはずなのに、ずっと見えない何かから追われているような感覚。


 逃げろ、急げと、脳内が叫んでいる。


「……なんなんだよ」


 急ぎ足で探索協会を目指す。




 結局、帰り道ではモンスターと遭遇することなく、すぐに帰還できた。


 換金の結果も、申し分ない。

 

 約7万TPも手に入れることができたのだから。


 それなのに、素直に喜べない自分がいた。


 なんというか、イレギュラーすぎたのだ。


 気分が悪いという一言に尽きる。


「……景気づけに、寿司でも食いに行くか」


 美味いものを食べれば、気分が晴れるというものだ。


 


◆◆◆◆

 

 翌日、探索協会にて。


「え、ダンジョンに入れない?」

「はい。実は、第二エリア前哨領域から、第二エリアで現れるはずのない第三エリアのモンスターが現れたとの報告がございました」

「前哨領域って確か」


 どうやら、昨日の違和感は、ダンジョンのイレギュラーが原因で起きたようだ。


 ダンジョンに当たり前は存在しないと、現実を突きつけられた。


「そう……ですか」


 言葉が震えてしまったのは、必然といえるだろう。


 すれすれの幸運だったんだからな。 




第二十二話 休日の日でも探索者

 

「上層部からの判断で、ダンジョン封鎖が決定いたしました」

「ダンジョン自体、封鎖すると」


 受付嬢はコクリと静かに、そして深刻そうに頷いた。


「エリアを超えてモンスターが出現した場合、原因が解決するまでダンジョンは一時封鎖となります。Bランク以上の探索者たちが、急ぎ原因を究明しておりますので、それまではお待ちいただきたく思います」


 たまにあることなのだろう。こういう対応に慣れている。たまに探索動画がYouCastにアップされていないことがあった。きっと、ダンジョンに問題が発生していることと関係しているのだろう。


 自分も探索者になったと実感するな。


「……分かりました」

「ご理解いただきありがとうございます」


 深々と頭を下げる受付嬢。


 探索協会のせいではないというのに、頭を下げないといけないから大変だよな。雪のせいで遅延したときの駅員さんみたいだ。


「いえ、それでは」


 仕事がなくなってしまったな……。ぶっちゃけ、蓄えはあるから焦る必要はない。三カ月以上封鎖とか言われたら他のダンジョンに行くしかないけど。


 まあ、それは様子見だな。


「ふう……」


 にしても、今さらながら手が震える。


「メンテナンスでもしておくか」


 本当なら、ダンジョンの探索終わりに装備品のメンテナンスをするつもりだった。まあ、少し時間が早まった程度と考えておけばいいだろう。


 ロッカールームに装備品を取りに行こうか。


「はぁ」


 足取りが重い。気が滅入っている。


 貯蓄は十分あるし、稼ぎが消えたわけじゃない。


 だというのに、稼げない恐怖を感じている。ニート時代以来だ。自分の道を閉ざされてしまったような感覚。息苦しく、自由が利かない感じだ。


「……はぁ」


 まったく、心が弱すぎるな。


 もっと鍛えないと、この先やっていける気がしないな。


「……」


 ロッカールームには誰もいない。


 まあ、朝早いからって理由もあるだろうけど、探索協会に人の気配がなかった。いつもなら、もっと人の声や、装備の音が聞こえるんだがな。


 ……気配って、どこぞの一級探索者だよ。


 職業病ってやつかね。


「やだやだ、考えるの止めよう」


 あ、そうだ。


 そういえば、ロッカールームに回復薬の素材を持ってるんだった。明日にでもやろうと思ってたけど、ちょうどいい。


 今日やっていこう。


「おっと」


 その前に、まずは装備品のメンテナンスだ。

 


 ◆◆◆◆


 探索協会に併設されている装備店まで来た。


「あ、佐伯さん」

「あ、おはようございます、漣さん」


 制服姿からでも分かる肉体を持つ佐伯さんは、いつ見ても俺より強そう……いや、強かったな。


「メンテナンスですか?」

「はい、お願いします」

「では、お預かりしますね」

「はい」

「漣さんは、これから何をするのですか?よければ、ご指導しますよ」


 ご指導……う、腕がなぜか痺れる……。


 佐伯さんのパワーは蜜熊の数倍上。初めて指導を受けた時、腕にひびが入ったかと思うくらいの衝撃だった。モンスターへの恐怖が少ないのも、この人のおかげだ。


 といっても、若干苦手意識があるけど。


「……長引くようなら、お願いできますかね」

「おや。てっきり断られるかと」


 う、顔に出ていたか。若干、血の気が引いている気がしないでもない。でも、あまりにダンジョン封鎖が長引くようなら体を動かしたいからな。鈍った状態でダンジョンに入るよりはましだから。


 ……いや、言い訳だな。


 目指すべきものができたから、修練もありだと思えるんだろう。


「強くなりたい……目標ができまして」


 好ましく思われているなら、それにふさわしい人になりたいと思ってしまったから。


「ほう、それは素晴らしいですね」


 う、佐伯さんの目を見れない。


 少しというか、こういう宣言はやっぱり恥ずかしいと思ってしまう。ああ、頬が熱い。男相手に照れたいわけじゃないんだけど。夢を追う若者みたいで、年甲斐もなくはしゃいでるみたいで胸がざわつく。


「目標を持つことに、歳は関係ないと思いますよ」

「え」


 静かに笑う佐伯さんの顔は、なんというか凄みがある。


 黒い瞳はどこを見ているのか、なんとなく想像がついた。


「ダンジョンに入るのに、強さは必須。最低限なんてない。いくらやっても足りないくらいですよ」

「……」

「後悔するのはいつだって自分です。そういう時、責任感が強い人ほど自分を傷つけるものですから。備えあれば患いなしというわけです」


 佐伯さんは、それを知っている人の顔つきだ。


 ただの職員ではないことは分かっていたけど、元々は探索者だったというわけか。


「そうですね。そうならないように、頑張りたいと思います」


 そう告げると、佐伯さんは笑顔を見せた。


「いい覚悟です。ご連絡を頂ければ、休みの日以外は駆けつけますよ」

「お、お願いします」


 というわけで、なぜか連絡先を交換することになった。カレンダーを見れば、修練日が分かるようになっている。


 まるで、パーソナルトレーナーだな。


「それでは、またお越しください」

「はい、ありがとうございます」


 装備屋を出て、ふと思い出した。


 そういえば、初回の回復薬作りには、頼元さんに連絡しないといけないことを。


「とりあえず、連絡してみるか」


 急ではあるが、いけるだろうか。


 まあ、ダメだったら後日でもいいんだけど。


「はや」


 もう連絡が帰ってきた。


 どうやら、すぐにでもいけるらしい。


「集合場所は……地下か」

 

 薬の製造は地下でやるらしい。関係者以外立ち入り禁止だが、どうやらすでにデバイスに許可証が発行されているようだ。


「行くか」


 アイテムはすでに持ってるし、今すぐ行くか。



◆◆◆◆



「ここか」


 関係者以外立ち入り禁止の扉には、端末が付けられている。


 デバイスをかざすと、ピピっと音が鳴って、鍵の開く音が聞こえた。


「よし」


 地下へと続く階段は、いたって普通だ。


 ただ、降りた先では、またしても扉に端末がセットされている。かなり厳重な措置が施されているな。企業秘密みたいなもんだし、当然と言えば当然なのだろうけど。


 地下といっても、設備が整っている。地下って言われたから、つい薄暗い雰囲気だと思っていたけど、そうではないようだ。


 ただ、若干花の香りがする。蜜熊の青い血と蜜を使っているせいだろうか。つけすぎた香水の臭いとは異なり、フレグランスのようないい香りがする。


 目的地の場所まで向かう途中、研究者っぽい見た目をした白衣を着た人たちとすれ違う。どうやら、回復薬以外にも研究がされているようだ。怪しい機関に入ってしまったみたいで、ちょっとばかり胃が痛む。


「ここか」


 コンコンコン――一応ノックしてみる。もしかしたら、先に来ているかもしれないからな。


「どうぞ」


 早い。今さっき連絡したばかりだというのに。


 さすが、キャリアウーマンといったところか。


 ガチャガチャ――ん、空かない。ああ、ここもセキュリティ付きの扉だったか。なんというか、本当に自分のような最低ランクの探索者が入っていい場所か不安になるな。


 ピピ――うし、これで入れる。


「お待たせしました。急なご連絡で申し訳ありません」


 ん、頼元さんも、白衣姿だ。


「いえ、問題ございませんので、お気になさらず。協会としても、回復薬の作成は最優先事項となっておりますので」

「そうでしたか」

「はい。さっそくですが、回復薬製造のレクチャーを始めさせていただきます」

「お願いします」


 必要な素材は、根付きの薬草10株、蜜熊の蜜100ml、ブルーマッシュ一本、注射器一本分の蜜熊の青い血。


 改めてみると、素材は意外と簡単に手に入るものばかり。青い血を除けば、食べ物でも作るのかって感じだ。いや、血も料理に使えるんだっけ。さすがに、モンスターの血は飲みたくないと思ってしまうけども。


「まずは、こちらの白衣を。中身が跳ねてもいいように着用ください」

「はい」

「次に手洗いをお願いします」

「はあ」

「こちらは、殺菌されたまな板と包丁です。使用する場合は、あちらの殺菌機器からお取りください」

「は、はい」

「まずは、薬草とブルーマッシュを一口サイズにカットしていきます」

「……はい」


 包丁とまな板。それに、一口サイズって……料理じゃないんだから。


 まあ、料理はできるから楽でいいけど。


「そうしましたら、ミキサーで細かくしていきます」

「え、ジュース用のミキサー?」

「はい、これが一番早いので」

「な、なるほど」


 カクテルみたいな作り方だな。


「そこにハチミツと、ダンジョン産の水を冷蔵庫からお取りください。100mlで保存されています」

「は、はい」

「三回に分けて入れてください。こちらは大体で構いません」

「分かりました」

 

 おお、なんというか……ちょっとドブみたいな色だ。あまり綺麗とは言い難い。これが綺麗な青色になるとは思えないな。


「一分ほどミキサーにかけたら、鍋に移し替えます。こちらも、殺菌機器からお取りください」

「な、鍋」


 うん、小さい鍋だ。取っ手付きの片手鍋。


「今度は青い血を入れます。5分ほど沸騰させます。臭いがきつくなりますので、ご注意ください」

「はい」


 ぐう……これは、強烈な臭い……。


 甘ったるさが倍増してる。柔軟剤と香水のダブルアタックのようだ。


 5分間、臭いと格闘した。なお、その間も、頼元さんは終始真顔。すごいな、この人。


「火を止めてください。一度、冷ましますので、こちらの急冷魔道具に入れてください」

「はい」


 おお、こんなのもあるのか。


「冷ましている間に、道具を用意します。こちらもすでに殺菌された容器と道具です。容器は殺菌機器から、道具はこちらからお取りください」

「は、はい」


 ビーカー二個、ガラス棒、ろうと、ろ紙……今度は実験っぽくなってきた。


 ピピっと電子音が響く。


 どうやら、熱を取り終えたらしい。


 早すぎないって思ったけど、本当に冷めていた。


 つか、これ。


「色が変わってる」


 澄んだ綺麗な青色だ。


 若干光っている気もする。


「この液体を濾過して、上澄みとなったものが回復薬となります」

「なるほど」

「原理の説明は必要でしょうか?」

「あー、いや、大丈夫です」

「かしこまりました。デバイスに原理も記載されておりますので、お時間があれば一読ください」

「……はい」


 果たして読めるだろうか。


「では、続きを。こちらをビーカーに移し替えてください」

「はい」 

「そうしましたら、次は濾過です。少しずつ、ゆっくりでお願いします」

「分かりました」


 多すぎず、少なすぎず青色の液体をろうとに注いでいく。


「濾過された液体は、こちらのコニカルチューブに均等に入れてください」

「はい」


 三つに分けて、均等にコニカルチューブとやらに入れていく。


「こちらは遠心分離機です。不純物を取り除くのに用います」

「なるほど」

 

 遠心分離機とやらの機器を操作していく。何やら難しそうに見えたが、ボタンの操作は設定されているものを選ぶだけでよかった。


 5分ほど待っている間に、洗い物をすませておく。水洗いだけでいいらしい。残りは作業員が洗ってくれるとのこと。回収用の籠に入れておく。


 ピピ――音が鳴ったのでコニカルチューブを回収する。


「固まっているのが、不純物です。もう一度、濾過します」

「はい」


 同じ工程をする。


「最後に、容器に移し替えてください。こちらのプラスチック容器が回復薬専用の入れ物です」

「おお、見たことあるやつだ」


 サンプルと同じプラスチック容器。


 蓋には薬草が描かれている。


「こちらで完成です」

「おお、これが」


 やることは多かったけど、思ったより時間はかからなかったな。


 これなら、空いてる日に作業できる。


 あの材料で、三本できる。つまり、一本は協会に売れるということだ。


 これで10万円の儲けか……エクセレント。


「一本は、探索協会で買い取らせていただきます」

「お願いします」

「それでは、最後に片づけをいたしましょう」

「はい」


 軽く水洗いで終わりなので、とても楽である。 

 

「以上が回復薬製造です。次回からは、漣様おひとりでの作業となります。二回目以降でも、質問や不安な点がございましたら、こちらにいる職員か、私をお呼びください」

「分かりました。ありがとうございます」

「いえ。それでは、白衣をこちらに返却してから換金所へ参りましょう」

「あ、はい」


 ここで換金するわけではないらしい。


 頼元さんについていき、換金所に行ってTPを受け取った。


 今日はこれ以上やることもないし、帰るとするか。


 回復薬作りを覚えることができたのはよかった。休みの日、作れそうなら作っておこう。ダンジョンアイテムは、腐らないってのがいいところだよな。適当に保存しておけるのは、大変ありがたい。


 

 なんというか、休みの日まで探索者してるって感じだ。


 修行と回復薬製造は、無理しない程度にやっていこう。


 とはいえ、早くダンジョンが開放されることを祈るばかりだ。


 強くなる修行にも金はかかるからな。


 それに……あの時の嫌な気配をさっさと解決してほしいというのもある。


 ままならないという感情が、胸の奥に残った。



第二十三話 食事会


「……死ぬ」


 ダンジョン封鎖二日目。


 佐伯さんのご指導を受けてきた。


 やっぱりあの人は職員をやってる理由が分からないほど強い。三回くらい腕にひびが入った気がする。どうなってんだろうな。ちゃんと威力を盾で受け流したはずなのに、受け流しきれなかった。


 まあ、未だにEランクの俺に、受け止められるほどの力があるとは思えないけどさ。もっとこう、成長したと思ってたんだけど。

 

 ああ、いかん……まだ手が震えてる。手だけじゃない。衝撃をもろに喰らったせいで、足までプルプルだ。これでは、本当にやっていけるのか不安になる。上には上がいるのは百も承知だけど、格が違い過ぎた。


 そもそもの始まりで、格力の差を思い知らされた。


 まず、恐怖。


 飯塚君や安藤さんが言っていた通り、格力に差がありすぎると恐怖で一歩も動けない。蛇に睨まれた蛙というやつだろう。佐伯さんが本気を出しますと言われた時は、一歩も動けなかった。見えない手に体を止められたように固定されて、激しい運動をしたように息が上がったからな。


 格力の差による恐怖というやつだろう。


 だが、面白いことに、数回ほどして体は動かせるようになった。とはいえ、ポテンシャルはいつもの半分以下だったけど。これが慣れというやつなのだろう。


 佐伯さん曰く。


『本気を出しても動けていたので、逃げるくらいはできるようになりましたよ』


 それと……。


『ちなみに、殺気も混ぜました』


 だそうだ。殺気というやつは、小説やマンガ、アニメや映画だけの世界だと思っていた。でも、実際にあれが殺気なのだろう。


 全身にくまなく小さい針を刺されたような痛み、心臓を掴まれた苦しみ、後ろに下がることも許されない圧力。とんでもなかったな。


 対処方法を聞いたけど……。


『経験と場数、慣れと……感情(ハート)ですかね』


 と言われてしまった。


 要は根性論だ。社畜時代に培ってきた根性論とは訳が違った。


 Dランクを目指すうえで、必須の心構えだそうだ。パーティーだったら難易度も下がるらしいけど、現状ソロだからということで、厳しいご指導ご鞭撻を受けた。


 殺気混じりの攻撃は、受け続けるだけで精神を摩耗する。力の差を思い知らされたというのが率直な感想。


 幸い、ネガティブモードにならなかったのが救いだ。つうか、そんな余裕ないくらいにギリギリを攻め込まれて、いじめ……指導を受けた。


 備えあれば患いなし。


 その言葉を信じて、愚直に挑み続けるしかないだろう。


「とはいえ……」


 ダンジョンが解放されるまで指導が続くと思うと気が重い。あと、シンプルに金の問題がある。一回で二万円の出費だもんなー。今は余裕があると


 でもまあ、やらないとな。


『デートしようってか?』

『そういうことだ』


 律葉さんにガッカリされるのも嫌だしな。


 少しばかりは、男見せんと。


 つうか、俺がそうなりたいだけで、彼女がそう思ってるとは思えないけどさ。


 まあ、こういうのは心が大事だろ。


 って、誰に言い訳してんだっての。


 はあ、でも気が重いぜ……。


「漣さん!」

「ん?」


 まさか、駅前でヴェスパーの犬堂君と会うとは。探索協会の最寄りの駅だから、いてもおかしくはないけど、ダンジョン封鎖されてるからいるのはおかしいのか?


 いや、何かこっちに用事があるんだろう。


「やあ、犬堂君」

「ういっす!って、漣さん、ボロボロっすね!」

「ん、ああ。探索協会の指導を受けたんだ。まあ、手も足も出ずにボロボロだったけど」

「はは、そりゃそうっすよ! 探索協会の指導員は、Cランク以上が必須なんすから」


 凄いありがたくない情報をどうもありがとうございました。そりゃ強いわけだよ。つっても、Cランク以上なのに探索協会ってことは、やっぱり何かしら後悔した理由があるんだろうなと考えてみたり。


「漣さん?」

「ああ、いや、すまん。強い理由が分かって納得したよ」

「知らなかったんすね!相変わらず、漣さんの知識は偏ってるなー!」

「はは、おっしゃる通り。ところで、犬堂君はどうしてここに?」

「ああ、それは……あ!」

「ん」


 なんだその、いいこと思いついたって思っているような顔。


「漣さんもどうっすか、一緒に飯。みんなも来るんすよ!」


 う、凄い笑顔だ。18歳のはずなのに、あまりの純粋な笑顔に、おじのメンタルが奪われてしまう。


「いや、さすがに18歳と30歳じゃジェネレーションギャップがあるし、周りも気まずいだろうから遠慮しておくよ」

「ええー、絶対そんなことないっすよ!行きましょうよ!」


 俺が気まずいんだよ!!


 分かってくれ、青年I君。夢と希望溢れる若者と一緒に飯なんて、心が痛くなるでしょうが!


「いやー、その」


 グウウウ――くっ、俺の腹の虫よ! タイミングが悪いにもほどがある!


「やっぱ腹減ってるっすよね! じゃあ、行きましょう!」

「あ、ちょ、まって犬堂君! いや、力強いな!」


 うん、勝てないわ。まあ、ヴェスパーの誰かが、迷惑だろうと言って止めてくれるか。


 そうして、ずるずると引っ張られて着いたのは、食べ放題で有名な焼肉チャンピョンの前。う、換気扇から流れてくる肉の焼ける匂いが余計に腹が空く。


「おおーい、お待たせー!」

「やっと来たって……漣さん?」

「はは、どうも」


 全員集合してるよ。


 視線が痛いぜ。


「ボロボロ」

「どうしたんですか、その怪我」

「ああ、いや、探索協会の指導を受けてね」


 安藤さんと飯塚君、なぜ俺がここにいるのかツッコミを入れるところだと思うぞ。


「偉いですね! ダンジョンが休みでも、指導を受けるなんて!」

「あはは、まあね」


 四宮さん、君もかい。


「じゃあ、飯食いに行こうぜ!」

「いやいや、ダメでしょ。おっさんなんて入れちゃ」


 自分から言いたくなかったけど、なんか全員受け入れてるし言わないとな。


「え、みんなから許可貰ってるけど?」

「へ、いつ」

「漣さんを見かけた時から!」

 

 ああ、最初からそのつもりだったのね……恐るべし若者の行動力と受け入れ力。


「えっと、みんなはそれでいいのかな?」

「もち」

「もっちろんですよー!」

「力也、お前……無理やり連れてきたな……」


 飯塚君だけは、事情を把握してくれたらしい。


「ええ、飯はみんな食べたほう美味いじゃん!」

「その通り」

「間違いない!」


 安藤さん、四宮さん……なんで受け入れちゃってるのさ。


 飯塚君はため息ついているよ。


 ほら、やっぱり場違いでしょうが!


「漣さん、すみません。こいつ、一度決めたら梃子でも動かないんで」

「えっと、飯塚君はいいのかな」

「? 自分は問題ありません。漣さんには、お世話になりましたから」

「ああ、そうなの」


 当たり前じゃないですかみたいな顔をされてしまった。

 

 え、なに、俺がおかしいのかな?


「ご迷惑じゃないなら、一緒に食べましょう!」

「お腹空いた」

「俺もー!」

「どうですか、漣さん」


 う……純粋な視線を向けられると、弱いのよ。


「いや、みんながいいなら、いいんだけども」

「うっしゃ、焼肉だー!!」


 結局、流されるままに、全員で食事をすることに。まあ、みんなから指導員代として5万PT貰ってるわけだし、ここは奢らせてもらおう。12歳下に割り勘要求とか絶対にしたくない。

 

 周りの目を気にしなきゃ交流すること自体はいいことだ。いや、そもそも誰も俺のことなんか見てないだろうけども。


「いつものにしようぜー!」

「漣さんも、同じでいいですか?」

「ああ、もちろん」


 四宮さんは気遣いできる子だなー。


 というわけで、牛肉・豚肉・鶏肉が食べられるコースに決定した。食べ放題のコースが決まれば、タブレット操作が早い早い。すでに食べたいものを決めていたようだ。


 ドリンクも飲み放題。酒もありだなと思っていたけど、止めた。最近の子はあまり飲まないからな。


「漣さんもどうぞ!」

「ああ、どうも」

「飲み物も取ってきますよ」

「じゃあ、コーラで」

「はーい!」


 いい子だな、四宮さん。すみませんね、奥側の席選んじゃって。


 ああ、そうだ。飲み物が帰ってくる前にオーダー決めないと。ハラミ・タン・赤身。これさえ食べられればいい。あとは、石焼ビビンバでも食べようかな。お、辛いスープもあるのか。じゃあ、これも。


 デカいハラミとか分厚いタンより、すでに小さく切られた肉の方が好きなんだ。刺身もそう。高めの回転寿司よりも、120円くらいの回転寿司がちょうどいい。貧乏舌なのだ、俺は。


 あ、でも、これは美味そうだな。ガーリックバターのハラミ。これは頼んじゃおう。なんだかんだ楽しいな、この店。一人席もあるみたいだし、たまに来てみようかな。


「おお、肉来たアア!」


 おお、犬堂君の動きがいつもの10倍は早く動いているように見える。みんな慣れてるなー。


 ジュゥ――肉の焼ける匂いって、どうしてこんなにも罪深いのか。焼いた脂の甘い香りが鼻に抜ける。しかし、カルビね。若い、若いぜ。俺はカルビは一枚でいい。なんなら食べなくても幸せになれる。若者たちよ、いっぱい食べておくんだぜ。30歳になった途端、カルビは少しでもよくなってしまうのだから。


「カルビうめぇ……」

「脂が甘くておいしいね!」

「いつ来てもうまいな、この店は」

「うん」


 あーあー、若者が幸せに食べてる姿だけでも心が満たされる。


 歳取ったなーと、思わざるを得ない。落ち込むほどではないけど、若干羨ましくはある。最年少同士、仲間を見つけた彼らのことを。まあ、俺は友人の誘いを蹴った愚か者だから、今さら羨ましいなんて感情を湧かせてはいけないんだけどな。


「どうしたんですか?」

「いや、あまりにも美味い肉で放心してた」

「なんですか、それ!」

「でも、分かる」

「ここの肉、美味いもんな!」

「美味いは正義です」

「はは、だな」


 俺も負けじと肉を食うが、制限時間の半分で腹が限界だった。みんなはまだ食べ続けている。さっきまで腹が空いていたせいか全員一心不乱に肉だったけど、肉以外のメニューも豊富なようだ。男性陣は海鮮や揚げ物に手を出していて、女性陣はデザートタイムだ。デザート食うの早いな。ケーキにアイスか……俺もアイスは頼もう。あと、ホットコーヒーを持ってこよう。


 ふう、さすがに一息つきたい。


 一息ついでに、ヴェスパーのことで聞きたいことがあったりする。


「なあ、今さらなこと聞いてもいいかい?」 

「はい、なんでしょう?」

「君たちのパーティー名、ヴェスパーの由来が気になってさ」

「ああ、そういうことでしたら!」


 コホンと咳払いして、四宮さんは背筋を伸ばす。


「一番星(いちばんぼし)と書いて、ヴェスパー。宵の明星(よいのみょうじょう)、夕方に見える金星を意味してるんです。金星は、夕方に見える惑星や星の中で一番の輝きを放っているんです。私たちも、たくさんの探索者がいる世界で、負けじと輝けるパーティになれるよう願いを込めて、一番星(ヴェスパー)を名付けたんです」

「なかなかロマンチックじゃないか」

「そうなんですよ、素敵ですよね!」


 満足そうなのは女性陣だけという感じだ。

 

「一番って書いて、オンリーワンが良かったけどな!」

「ダサいから却下」


 犬堂君がそう発言すると、言葉の刀でぶった切る安藤さん。犬堂君は、まったく気にしておらず、まだ料理を食べてるし頼んでる。


「四宮の提案で、一番に星を加えたんです。だから、一番星(ヴェスパー)になったんですよ。由来は完全に後付けですね」

「もう、ばらさないでよー飯塚君!」


 飯塚君の言葉に頬を膨らます四宮さんだが、飯塚君は困ったように笑うだけだ。


「リーダーの自分が決めたと思われると恥ずかしいから、勘弁してくれ」

「もう、しょうがないなー。こうなったら、やけ食いだよ!」


 おそらく食べるための言い訳だろうと思ったが、ツッコむのは止めた。


 紳士はそういう無粋なことしないのさ。


「あ、四宮さん。すまないが、俺にもソフトクリーム追加で」

「はーい!」


 ちゃっかりアイスのおかわりは許してくれたまえ。


 それにしても、一番星でヴェスパーね。


 名前の由来を聞いたことに意味なんてない。話題の一つだ。まあ、多少気になっていたというのもある。まあ、由来を聞いて思ったのは、名前の由来通り最高のパーティになるんだろうなってことだ。


 有名になる前に知り合った幸運に感謝しないと。


「時間がヤバい! 俺もデザート食べよっと」


 犬堂君、君の胃袋は無限大なんだね。


 まあ、そんなこんなで会話と飯とデザートを楽しみつつ、全員で焼肉食べ放題を満喫した。


「え、払ってくれたんですか!?」

「え、うん」


 さすがに払うでしょ。何でそんなに驚くことがあるかね。だいたい一回り違う子と割り勘とか、恥ずかしすぎてできないっての。


「ごっそさんです、漣さん!」

「ごちそうさま」

「ごちそうさまです、漣さん。本当にありがとうございます」

「ありがとうございます!!」


 うんうん、いいじゃないの。こういうのも悪くないよな。


 大人の楽しみの一つというやつだ。


「また、食べに行きましょう! いつになるか分からないですけど、高級な焼肉屋で奢れるくらい稼いでみせますから!」

「期待しててくれていいぜ、漣さん!」

「そうですね。奢られてばかりで、それを目的と思われても悲しいですから。ランクが上がったら、美味しいものを御馳走させてください」

「うん、出世払い」


 はは、出世払いときたか。いい響きだ。それくらい立派に育ってくれたなら、ぜひ奢ってもらうとしよう。


「じゃあ、その時はよろしく頼むよ」

「はい!」


 そうして、今日の食事会はお開きとなった。


 未来ある若者たちと交流して、英気を養えた気がする。


 これが若者パワーというやつか。


「うし、やるか」


 明日の佐伯さん修練予約完了っと。


 こういうのは、ノリと勢いだ。


 



 結局、ダンジョンの封鎖が解けるまでに一週間。ダンジョンが開放されるまで、5回ほど佐伯さんにこってり盾の指導をしていただきました。


 久しぶりのダンジョンではあるが、大丈夫と思えるのは佐伯さんのおかげだろう。


「明日からまた、ダンジョン生活だ」


 稼げない恐怖が消えたことで、ようやく安眠できるなとベッドに寝転んですぐだ。


 気が付けば朝である。


 思っていたより、精神的に来ていたんだなと感じる目覚めであった。

 


第二十四話 嫌な予感


 ダンジョン閉鎖から一週間が過ぎて、ようやくダンジョンが開放されて一安心だ。ここのところ、金を使い過ぎたせいで、まだ金はあるのに不安が減らなかった。それも、ダンジョンが開放されたことで、不安も解消されるだろう。


「久しぶりのダンジョンだ。見守っててくれよ」


 思い出の遺骸、ミルとカフェオが眠る魔石に声を掛ける。ミルとカフェオの幻聴が聞こえて以来、習慣化してしまった。まあ、悪いことではないだろう。


「うし」


 三ヶ月前とは変わり果てた自分の姿に、思わず口角が上がった。表情も体つきも違う。自信が漲っている感じだ。先週、若者との交流があったからかもしれない。パワースポットで力を蓄えてもらった的な。


「少しさっぱりしないとな」


 デート前に髪の毛でも整えておこう。長髪になってきてるから、探索の邪魔にもなるしな。まあ、今週中は大丈夫だろう。


 さて、いつもやるか。


「俺は、大丈夫」

「俺は、今日も無事に帰ってこれる」

「きっと、うまくいく」


 よし、終わりっと。


「じゃあ、行ってきます」


 ミルとカフェオに挨拶すると、魔石が一瞬だけ光った気がした。


 

 ◆◆◆◆


 

 いつも朝は早い方だが、さらに早く出たおかげで人通りが少ない。ダンジョンが封鎖されて一週間も経つからな。仕事を求める探索者が増えるはずと思って。


「あれ」


 全然混んでなかった。というか、人がほとんどいないわ。朝早く活動する探索者は少ないけど、今日は俺が一番乗りまであるな。


「おはようございます、漣さん」

「おはようございます、頼元さん」


 今日の受付担当は頼元さんなのか。本当に何でもできる人なんだな。


「入場記録の登録でお間違いないでしょうか」

「はい、お願いします」

「では、端末にデバイスをかざしてください」

「はい」


 ピピ――久しぶりに聞いたバーコード読み取り音。ようやく、普通の日常が帰ってきたって感じだ。


「漣さん」

「はい」

 

 入場記録を登録すると、頼元さんが緊張した面持ちで声を掛けてきた。いつもなら、お見送りの言葉で終わりのはずなんだけどな。


「封鎖後のダンジョンですが、モンスターの数が増加傾向になっております」

「はい、デバイスで確認しました」

 

 そういうお知らせ的なのは送っていいんだなと思った印象だ。


「ありがとうございます。ダンジョン内の問題は解決しておりますが、何かしらのイレギュラーが発生する場合がございます。探索者の中でも、封鎖明けは二日ほど時間を置く方もいらっしゃいます」


 なるほど。だから人がいないのか。じゃあ、早く来る必要もなかったんだな。


「探索の判断は探索者の方にお任せしております。ただ、ご無理なさらぬようお気を付けください。何か問題が発生した場合は、デバイスから救助要請をお願いいたします」

「分かりました」


 素直に返事をすると、頼元さんも柔らかい笑みを浮かべてくれた。聞き分けのいい探索者って、意外と少ないんだろうな。素直でよろしいって感じの笑顔だし。


「本日はより一層の注意を払って、お気をつけていってらっしゃいませ」

「いってきます」


 なんかあれだな……普通に嬉しいよな。いや、社会人同士のコミュニケーションと言ってしまえばそれまでなんだけどさ。誰かに心配されるなんて、働き始めてからなかったし。


 これだけでも、探索者になってよかったと思えてしまうのは良くないんだろうな。


「いかんいかん」


 気持ちを切り替えないとな。


 さっさと着替えてダンジョンに向かおう。


◆◆◆◆


 着替えてゲート前に着くと、俺より早くに行動している探索者がちらほらいた。


 なにやら話し合っているが、いつもの騒がしい感じではない。なんというか、ピリついている。封鎖明け直前のダンジョンは、予想外なことが起こってしまうということだろう。


 ふう、気を付けなければ。


 ゴールデンウィークや、年末年始明けの仕事のような感じがする。とはいえ、感情は真逆だ。昔は、行きたくない死にたいしか頭になかったけど、今はそうじゃない。


 少しの高揚感と、やるぞという気持ちが入っている。


 たったの三ヶ月で、よくもまあここまで変われたもんだ。


 ゲート前の広場のヒリついた空気すら、嫌じゃないんだからな。


 といっても、長居は無用だ。さっさと行こうか。


 ゲートを抜ける時のいつもの浮遊感は変わらないはずなのに、少しだけふらついてしまった。


「ふう、いつもの大草原」


 どこまでも澄み切った太陽のない青い空に白い雲。風に運ばれてくる緑と土と花の香り。美しくも、どこか不気味な風景。


 ダンジョンって感じだ。


「うし、いくか」


 いつもの雑木林へ。



「うお」

「ぎゃぎゃ!」

「ぎゃあ!」


 歩いて10分くらいで、ラットマンと遭遇した。まさかの二体同時だ。ゲート周辺は、ラットマンは一体しかでないはずなのにな。やっぱり、色々と狂ってるっぽい。


「二体か……」


 ここで怖気づいてしまうようなら、雑木林には行かないほうがいいだろう。多少のリスクは背負うべきだ。今日だけじゃなく、イレギュラーが発生した際に複数体を相手に立ち回らないといけないことだってあるだろう。


 それに、ラットマン二体で躓くようなら、Dランクも諦めたほうが身のためというやつだ。

 

「まあ、やるしかないか」


 初めて何かをするってときは、いつも手が震えるな。武者震いということにしておくか。そっちの方が、カッコいいしな。


「失敗するイメージは不要。必要なのは、勝つためのイメージ」


 佐伯さんの指導で教えてもらった心持ちだ。常に成功のイメージを頭に浮かべておくことで、咄嗟の時に体が動かせるようになる。


 大丈夫。佐伯さんの指導を五回も生き抜いたんだから、絶対に大丈夫だ。


 あの時の地獄を思い浮かべれば、手の震えも気のせいだと思えた。


「よし、行こう」


 イメージだ。一体は体重と盾で吹き飛ばして、一体は引き付けて短剣で刺す。同時に相手をするのは危険だけど、同時に相手さえしなければ問題ない。


「ぎゃあ!」

「ぎゃああああ!」

「こいやああ!」


 同時に襲い掛かってこないな。


 なら、こっちのもんだ。


 盾を構えてタックルするように盾と体で弾く!


「ごぎゃあ!」


 よし、吹き飛ばし成功だ。


「ぎゃぎゃ!?」

「どこ、見てんだ!」

「ぎゃあ!」


 運がいい。まさか、よそ見をしてくれるなんて。おかげで、急所に一撃だ。意外とそういうこともあるのかもしれないな。まあいいや、残りの一体に止めを刺しに行かないと。


「ん?」


 最初に吹き飛ばしたラットマンが、なぜかダンジョンに吸収されてしまった。どうやら、先ほどの盾の体当たりで死んだようだ。


 盾の体当たりって結構重たいダメージだったりするのかな。今までやってこなかったけど、意外とありな戦法なのかもしれない。モンスターに囲まれてしまった時に有効だろう。まあ、そんなことがないことを祈る。


 さて、二体分の魔石を回収して、次に行くかな。



 ◆◆◆◆



「つ……疲れた……」


 なんで雑木林に着くまでに十六体も倒さないといけないんだ……。ああ、盾がすでに重く感じる。モンスターを相手にすると肩も凝るし、疲れがひどい。


 いや、モンスターの数が多いとは聞いてたけど、こんなに多いとは思わないじゃん。聞くのと体感するのは、全く違う。どおりで、ゲート前にいた先輩探索者たちの空気がピリついていたわけだよ。


 初手からずっと二体同時で相手だもんな。


 毎回相手にするのは、二体のラットマンというボーナスにもならない。魔石が増えるとリュックが重くなる。捨てるわけにもいかないけどさ……なんともやりきれない。値段のことを考えると、どうしても採取メインになってしまうよな。贅沢な考えなのは分かっているが、体験してしまうと考えてしまう。


 雑木林に着くまでに、腕力と体力を根こそぎ持ってかれた気分だ。少し休んでから薬草採取に励むことにしよう。朝早く来たし、時間的に余裕もある。無理する必要はない。


 薬草を50株でも持って帰れたら儲けもんだ。


 といっても、本当に集まるかは不明。なにしろ、行きで大量のラットマンと出くわしたんだから、雑木林からラットマンが出ないわけがない。

 

「嫌な予感するよ」


 なんか肩が重いというか、頭の上がやけに重いというか。漠然と嫌な予感がするんだよな。


 こういう時の嫌な予感って当たるんだよ。


 想定していることとは違うことで嫌なことが起こるんだ。仕事が忙しくなるんだろうなと思ったら、明日使うはずの資料が保存されていなかったと帰り際に気付くとか、そういう予想できないこと。


「……」


 本音を言えば、ここで帰った方がいい気もしている。とはいえ、今週使い過ぎたから、少しでも稼ぎたい欲もある。なにより、Dランクを目指すうえで尻込みするのはどうかと思う。


 封鎖明けのモンスターの数にビビってるだけな気もしている。認識が甘かったということだ。まあ、初めての経験だから、仕方がないと言えば仕方がない気もする。


「……はぁ」


 ひとまず、休憩に入ろう。


 疲れた体で帰るのも危ないし、疲れた頭では変なことしか思い浮かばん。


 休息地に向かおう。


 そこで決断すればいい。



第二十五話 悲鳴

 

「ふう、休息地に来るだけでも四体か」


 ひとまず、休憩だ。休息地だけは、気を張らずに休める。あー、リュックすら重く感じる。魔石一個は小さくとも、数が増えた分だけ重い。当たり前だけど、当たり前のことがしんどいな。


「はあー」


 クソでかため息だって出ちまうよ。まあ、誰もいないしいいだろう。あー、左腕がジンジンする。まあ、二十体相手にしたらそうなるか。


 つか、待ってくれ……。


「帰りも、同じ数相手にするの?」


 背中がぞわっとしたね。これが寒気ってやつか。幽霊に肩掴まれてた気分だ。まあ、そんな経験ないんだけどさ。


「帰りも同じ数のラットマンかー……」


 ……意地でも薬草採って帰りたい。これだけ頑張った成果が二万円以下なんて嫌だ。耐えられない。最低50株。モンスターが多いとはいえ、頑張れば採取できる数だと思う。


 ただ、問題は疲労だよな……。腕が怠い。動かせなくはないけど、なるべく激しく動かしたくないというのが本音だったりする。


「あ」


 疲労で思い出した。


 そういえば、飲み物あったな。


「蜜ドリンク回復薬入り」


 疲労回復に効く蜜熊の蜜と、回復薬一滴分。実はこのドリンク、回復薬製造レシピの終わりにアレンジメニュー的なノリで書かれてたんだよな。佐伯さんの指導で、ドリンクの有用性に気付くことができたから、ダンジョンにも持ってくることにした。


 若干青色っぽいのは、回復薬の色が移っているからだろう。青い血の恐ろしさを垣間見た気がするが、気のせいだと思うことにした。


 よし、では一口。


「うーん、爽やか」


 レモンも絞って入れてみたけど正解だったな。柑橘系のジュースの味だ。レモンの風味と蜜熊の蜜の味が合わさって非常に飲みやすい。回復薬の匂いは分からなかったけど、甘味には多少影響している気がする。


「おお……相変わらず凄い効果だな」


 体が軽い。腕の痛みが引いた。回復薬一滴でこの効果。千切れた腕を治せる理由も頷ける。ダンジョン産のアイテムは人知を超えてるよな。ダンジョン産のアイテムで、色々と試してみたい欲求が湧く。今はまだ三種類だけしか使えないけど、Dランクに上がれたら実行したい。


 ダンジョンに潜るべき理由がまた増えた。多少の冒険もしてみるべきなんて考えも浮かぶくらいだ。


 だとしたら、今ここで逃げるわけにはいかないよな。


「休憩したら、薬草だけでも採って帰るか」


 体が疲れていると、ネガティブな言葉が頭を過って仕方がない。こういう癖は止めたいけど、止めるのも難しいんだよな。


「……ん」


 あれって……一番星(ヴェスパー)か? 少し遠いから分かりにくいけど、四人組の男女のパーティということは分かる。


 ……手を振ってるよな?


 たぶんそうだな。探索者の知り合いなんて一番星(ヴェスパー)くらいだし。ぴょんぴょん飛んでるのは四宮さんか。隣で大きく手を振ってるのは犬堂君だね。彼らは大きい反応を見せてくれるから分かりやすい。


 手を振ってくれたので、こちらも手を大きく振り返す。飯塚君と安藤さんと思われる子は、軽くお辞儀をしてくれた。うん、あの二人っぽい。


 ちょっと距離があるため、お互いに簡単な挨拶だけだ。


 犬堂君が持っていたのは、採取用の道具にも見えた。試験日も近いと言っていたし、採取の練習だろう。ダンジョンが開放されてすぐに行動するとは、本当にできた子たちだ。


 俺も負けてられないか。


「さてと」


 疲労回復ドリンクと一番星(ヴェスパー)のおかげで、疲れは吹き飛んだ。未来も才能もある若者に支えられてばかりいるな。自分でも動けるように頑張らないと。


 とはいえ、無理もできないし様子見だな。雑木林の中を確認して、厳しいようなら撤退。


 命、大事に。


 ダンジョン封鎖前のすれすれの幸運で思い知らされたんだから、反省しないと。


 装備を整えてから、再度探索に向かう。


「うし」


 バチン――頬がジンジンと痛むが、気合を入れ直すには最適だ。


「行くか」


 雑木林へと向かう。


 ◆◆◆◆


「雑木林というか、ゾーン内は意外と普通なのかね」


 ゾーン内の進入区画ではラットマンが二体同時に出現したが、中間区画では一体だけだった。入口から離れた最深区画では二匹同時に出ると言うので、判断が難しい。


「つうか、二体同時に相手できるなら、最深区画も探索できるよな」


 同時に相手した二体のラットマンを倒せたからこその自信。蜜熊の二体はまだ難しいだろうけど、ラットマンならいける。


「最深区画いくか」


 薬草の採取はできているが、今日は中間区画近くでも生えてなかった。目標の数には届いてない。最低50株は採って帰りたいんだよな。


 佐伯さんのおかげで、少しばかり戦闘にも自信がついてきた。それに、格力の成長には精神面の成長も必要だというし、やっぱりここいらで挑戦するのはありな気もする。


「行ってみるか」

 

 最深区画に向かいながら、薬草を探す。


 と思ったが、意外と近くに薬草があったので採取を始める。


 この時点で50株を手に入れたわけだけど、せっかく決めた覚悟を無駄にしたくない思いが先行して、ゆっくりと最深区画を目指す。


「ふう、ここが最深区画か。つっても、見た目は変わらないな」


 空気感はなんとなく変わったと思う。なんというか、頭や肩が重たい感じがする。物が乗っているというよりは、重力が1.1倍くらいの感じだ。要は、色々と重い。


 あとは、音だろうか。ゾーンを最深区画を抜ければ第一エリア中継領域と呼ばれる次のステージに変わる。その第一エリア中継領域が近いから、戦闘音が聞こえるようになってきた。


「遠吠えかな」


 たしか、このゲートの第一エリア中継領域には狼系のモンスターがいるらしい。正直、まだ相手にはできないだろう。中継領域から二体同時は必須だ。新しい相手に二体同時で対処できる自信があまりない。


「今日は採取だけ」


 そう言い聞かせて、最深区画を探索する。今のところ、モンスターとは出会っていない。薬草もちらほら見かけるようになってきた。60株なら帰ってもいいと思えるくらいだ。


「この匂い……蜜熊の蜜か」


 さすがに採れない。もったいないけど、ここは我慢だな。二体同時で蜜熊相手は危険すぎる。背が小さいだけの熊を二体も相手にできるかっての。


 もったいないけど、薬草を探す方が先決だな。


「お、発見」


 薬草見つけ次第、即採取だ。


 これで70株は確保できた。ふう、ここまで潜ってきて正解だったな。


 一時間近く潜っている気がするけど、モンスターに遭遇してないし……。


「あれ?」


 そういえば、モンスターと戦闘したのっていつだっけ。デバイスの時間を確認する。やはり一時間以上、モンスターに遭遇していない。


 そもそも、最深区画に入ってから、モンスターを見かけてない気がする。


 頭や背中から嫌な汗が浮き出てきた。心臓がドクドクと鼓動する。手が震えて、胸が苦しい。まだ何も起きていないはずなのに、鳥肌が止まらないのは何故か。


 ダンジョン封鎖直前と、同じ現象だ。連続では起きないと高を括っていた。けれど、ダンジョンに入る前に頼元さんから警告されていたはずだ。イレギュラーもあると。


 どうして、今日に限って奥まで入ってきてしまったのか。


「何度か聞こえた遠吠えってたぶん、モンスターだよな」

 

 普通のモンスターの声が雑木林まで聞こえるのだろうか。いや、聞こえても不思議ではないはずだ。今日に限ってはモンスターの数が増えているんだから、徘徊場所が広がってる可能性もあるだろ。


 なのに、ここにはモンスターがいない。


「……帰ろう」


 その前に、疲労回復のドリンクを飲んでおこう。飲み物を飲むだけでも、緊張が取れると聞いた。それに、疲れも取っておかないと。疲れのせいでドジをしたくないからな。


「……よし」


 ふう、歩いた分の疲労はリセットされたぞ。

 

 まずは、安全に帰ること。


 それから、帰ってすぐ頼元さんに報告する。


 情報共有は大事だし、何もなければそれでいいんだから。


 うし……気を付けて帰ろう。


 ゲートの方へ、足を運んですぐのこと。


「……ぁぁぁぁ」


 中継領域の方で、悲鳴が聞こえた気がした。



第二十六話 蛍光灯は割れる


「……悲鳴だよな」


 心臓が痛いくらいに騒いでる。風で揺れる木々の音が、いつもより大きくざわめき始めた。モンスターが出ていないことが、より一層の不安を煽っている。


 気にしすぎ。最近、ダンジョン封鎖の原因を知ってしまったから、余計に気にしている節がある。イレギュラーなことが多すぎて、理解が追いつかない。


『何か問題が発生した場合、探索タブレットからの救助要請をお願いします』


 そうだ。頼元さんが言ってただろう。こういう時のための救助要請だ。


「でも……」


 もし勘違いだったら?

 

 恐怖が生み出した幻聴だったら?


 誤報で救助要請をした場合、探索協会や探索者に迷惑がかかる。きっと、協会や探索者の信用が落ちるだろう。これから臨時のパーティを探すなら、見ないで救助要請を送るのは危険だ。


 得策じゃない。


 なら、何が最適解か。


 モンスターがいない今なら、様子を窺うことも視野に入れるべきだ。この目ではっきりと見ないと分からないことだってあるのだから。


「……やばかったら撤退、やばかったら救助要請」


 ふう……大丈夫だ、落ち着け。慌てることが一番やってはいけないことだ。何が起こっているか見極めろ。


 いつも以上に気が張っているせいか、体の動きがぎこちない。それでも、足を動かさなければ情報を得られないのだから進むしかないと、自分に言い聞かせる。


 10分くらいたっただろうか。まばらに生えていた木々が減っている気がする。時間の感覚がない。


 正直、かなり動揺してるし、緊張してる。


 周りの音が煩いのに、心臓の音が自棄に大きく聞こえた。


「……ooooon」


 ビクッと肩が揺れた。まだ距離がある。怖気づいてしまうのは、初めてくる場所と状況のせいだろう。


 少しでもヤバいのがいたら、即撤退と救助。


 それだけを頭に刻み込め。


 キーン――小さい金属音だろうか。硬いもの同士がぶつかる音。


 間違いなく戦闘音だろう。爆発音は聞こえてこない。かなり激しい戦いをしていると思われる。強敵との戦いは長引くとも言われているけど、今戦闘が始まっただけかもしれない。


 色々な考えが無駄に頭から離れず浮かんでくる。


「……ッ!?」


 思わず口を手で覆ってしまった。


 視線の先には、ここからでも分かるほどの人よりも大きな存在。狼のようなモンスター。それを相手にしている六人の人影。


 その周りで倒れている人影は、ピクリとも動いていない。


「う……!」


 遠くで戦っているにも関わらず、頬を撫でる風と共に鉄の匂いが微かにした。モンスターから出る青い血の臭いではない。ハッキリと分かる。分かってしまうほどの鉄の臭いだ。


 死んでいる。


 その事実が、手を震わせる。手の震えが体に伝わり、歯が揺れてカチカチと音が聞こえた。スッと血の気が引いていくのを感じる。胃が暴れ始めて、今にも吐きそうだ。


 死体を見るのは初めてじゃない。


 親戚、祖父母、友人。


 棺桶に入った遺体を見たことがあった。


 でも、今は状況が違う。


 殺されたのだ。あの大きな狼に。


 ここからでも分かってしまうほどの威圧感。


 格力の違い。

 

 改めて実感する。


 ここにいていいはずのモンスターではない。


 暴力の権化。


 そういわれた方が、納得できる空気を帯びている。


「……連絡しないと」


 くそ、上手く操作できない。画面がぼやけて、操作できてるのかも分からなかった。


「ぁぁあああああ!」

「ッ!?」


 距離があるというのに、断末魔が聞こえてしまった。前衛向けの装備を整えた人が、軽々と宙を舞っている。動きがゆっくりと見えて、思わず凝視してしまう。


 地面に叩きつけられた人が……動くことはなかった。


「はは……」


 なんの冗談だよ、これ。俺がラットマンを吹き飛ばしたみたいに、狼は重たい装備を付けた大人を吹き飛ばしたってことかよ。


 本物の化け物(モンスター)じゃないか。


 駄目だ……見てるだけじゃ。


 きゅ、救助要請をしないと。


「……おい、なんだよ……こんな時に!」


 動かない。デバイスがピクリともしない。なんでこんな時に反応しないんだよ! さっきまで使えてたはずだろ!?


「ぐああああああ!」


 また一人、男の声がこちらまで届いた。


 残り四人。


 今から本気で走って、どのくらいでゲートに着ける!?


 考えてる暇はない。


 荷物は置いて……くそ、手が震えて……。


 ――カチ、カチ。


 と、とにかく、逃げないと!


「WOOOOOOOOOOOOOON」

「っ!」


 なんだ……体が……。


 おいおいおいおい!


 冗談は、止めてくれ!


 動かない……足が……。


 佐伯さんの指導を受けた時の比じゃない。


 体が硬直してる。


 なのに、顔は化け物の方を向いてしまう。


「……ッ!」


 目が……合ってる気がした。


「……」


 他の探索者を無視して、こちらを凝視している。

 

 間違いない。


 俺を見てる。


 距離が遠いのに、そのことだけは明白にわかってしまう。


 バチッと電気が走ったみたいに、パズルのピースがあってしまったように。


 目と目が合っているのが、直感で分かった。


「ばれた」


 居場所が……今の咆哮は、索敵にも使用していたんだ……。


「ま、ずい」

 

 まずい

 まずい 

 まずい

 マずイ

 まズイ

 マずい

 マズイ


 このままじゃ……。


「しぬ」



 どうやって逃げる。頼むから、勘弁してくれ。俺が悪かった。どうして、見に来た。あのとき、帰っていれば、こんなことに。なんでいつも、こんな目に。ああ、馬鹿だった。取り返しのつかないことをした。俺はいつもそうだ。すぐ調子に乗る。自業自得だ。でも、だからって、これはないだろ。まだ、やりたいこともある。恋人もいない。これからだった。独りぼっち。親より先に死ぬ。親不孝者だ。



 どうしてこうなった。



 どこで狂った。



 また……間違えた。



「ああ……」



 ああ

 ああ

 ああ

 ああ

 ああ



 ……誰か……助けて、くれ。


 ……


 ……


 ……



『ワン!!』

『アンアン!』


 犬の……鳴き声?


 ミル……カフェオ……?


「……」


 げん……かく?


 げん……ちょう?


『いき、とまってる』

『ほんとうに、しぬ』


 幻聴……じゃない?

 

 いきって……息?


 しぬって……死ぬ?


「っはぁ!」


 はぁはぁはぁ……はぁ……。


 目の前が、暗い……酸欠、か。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 なにが、起きた。


 いや、そうだ。アイツと目が合って、それで……何も考えられなくなって……。


 いつものダメな自分が、自分を責めてきて……。


 それから……息が、止まってたのか。


 ミル、カフェオは……ただの幻覚と幻聴?


「震えが……」


 止まった。


 足は……動く。


 なんだ、これ、何の奇跡だよ。


「あの魔石って……まだ、意味があるのか?」


 【思い出の遺骸】……幻聴や、幻覚じゃないのか?


 魔石だけになっても、なにか、意味が……。


「……違う、それは後だ」


 戦いはどうなってる。


 まて……あの制服……見覚えが。


 男女の四人組。


 そういえば、今日……会ったよな?


「ヴェス……パー?」


 休息地で、手を振った。

 

 軽いあいさつ程度だったけど、間違いなく一番星(ヴェスパー)だったよな。


 まさか、ずっと前から戦いに参加してる?


 あの髪型は、たぶん犬堂君だ。


 まて、彼が使ってる武器はいつもの斧じゃない。


 普通の剣だろ、あれ。


 壊れたのか?


「違う……」


 食い込んでるんだ。


 あの狼のモンスターに食い込んでる。首元近くに見えるのは、犬堂君の斧なのか?


 いつもとは違う武器で、それでも戦ってる。


 気づけば、力強く手を握っていた。


「でも……」


 今、俺が行ったところでどうなる。無駄足で済めばいいが、邪魔になる可能性だってあるだろ。


 そうだ、俺にできることをしないと。


 足が動く今なら……せめて、救助要請を。


「あ」


 犬堂君と思われる人影が宙を舞う。


 前線が……崩れる。


「!!」


 なんだ……どうして、走ってる。


 自分の足が、前へ前へと進む。


 さっきまでの恐怖が吹き飛んだみたいに、体の自由が利く。


 今まで感じたことないほど、心臓が痛くて熱い。


 これは……怒りだ。


 佐伯さんの言葉が思い浮かぶ。


『経験と場数、慣れと……感情(ハート)ですかね』


 ドクン、ドクン――心臓の鼓動が耳まで届く。


 周りの動きがやけにゆっくりと見える。


 こういう体験を、昔したことがある。


 あれだ。昔、室内でボール遊びをしていた時、弾いたボールが蛍光灯にぶつかった。あの時、心臓が跳ねたんだ。それで突然、外れた蛍光灯を必死に手を伸ばして掴めそうにある感覚。


 そう、まさしく今がそれだ。


 間に合うんじゃないか、今なら。


 出遅れてしまったけど、まだ間に合う。なら、彼らの盾になることはできるはずだ。俺の武器じゃ、致命傷は与えられないかもしれない。でも、他のメンバーならきっと、化け物(アイツ)を倒せる力はあるはずだ。


 信じろ、犬堂君はまだ生きてる。


 今の俺の役割は、そのための時間稼ぎ。


 最前線に立てれば、数発は受け応えられる。イメージしろ。奴の攻撃を受け流す成功イメージだけを脳内に埋め尽くせ。

 

 体が壊れてもいいだろ。あんな化け物相手だ。名誉の負傷だろ。一番星(ヴェスパー)を守った影の英雄だって、ネットで語られるに違いない。


 それになんだ……化け物も無傷じゃない。近づいて分かった。片目は潰れてるし、よく見ればあちこちボロボロじゃないか。鉄の臭いだけじゃなく、シンナーの臭いがする。傷を負ってる証拠だ。ほら、少しずれた位置に、犬堂君の斧も食い込んでる。きっと、弱りかけに違いない。


 だから……俺が間に合えば、きっと勝てる。


「はあああああ!」

「GAAAAA!!」


 い、いいぞ、飯塚君!!

 

 化け物の喉元に剣を刺した!

 

 これなら!


「がは!」


 飯塚君が吹き飛ばされて、化け物の前足をもろに喰らった瞬間が見えた。


 体がおかしな方向に曲がったまま、地面に倒れ込んだ。


 剣はまだ、あの化け物に刺さったまま。


「ッ!」


 だ、大丈夫だ。彼はまだ、きっと生きてる。一番星(ヴェスパー)の前衛で、頼りになる子だ。あの程度で死ぬわけないだろ。


 一番星(ヴェスパー)は、凄いんだ。若くて、才能もあって、勇気もある。


 俺とは違う。


 だから、この程度で!!


「ゆき、にげてえええええええ!」


 安藤さんを逃がそうとして、四宮さんが振り返った。


 彼女と、目が合う。


「……」


 なんで……こんな時に笑ってるのさ……四宮さん。


 あと少しの距離で、四宮さんの姿が消えた。


 ほんの数メートル先だ。


「……!!」


 安藤さんがボロボロに泣きながら、こちらに走って手を伸ばしている。 


「……ないで」


 今、何を言ったんだ。

 

 いや、そんなことはいい。


「……ないで」

 

 どうして、君まで微笑んでるんだ。


 何を言ってるのか、分からないよ!!


 それに、そんなことしてる場合じゃないだろ!


「!!」


 分かってる。


 淡い希望はもう抱かないから……。


「頼む!!」


 彼女だけでも!!


 若くて才能のある命を優先させてくれ!!


 若者の命を奪わないでくれよ!!


 俺の命なんて、どうなってもいいから!!


「だから!!」


 届いてくれ!!


 もう少しだから……あと、ちょっとなんだ!!


 頼む!!



「あ」



 それは、どちらの声だったのか。


 手に触れた気もしたし、触れなかった気もした。


 一つだけ、確かなことがある。


 それは、目の前から安藤さんの姿が消えたという事実。




 自分の息と、心音だけが、脳内に響く。





 ああ、そういえば……そうだった。


『あーあー』


 周りがゆっくり動いて見えても結局。



『割れちゃった』



 ……蛍光灯は、割れちゃうんだよな。



第二十七話 英雄はいないし、英雄にはなれない


「はぁ、はぁ、はぁ」


 なんだよ、これ。

 近くない距離で、八人が血を流して転がっている。


 なにこれ……本当に、現実なのか?

 頭……おかしいんじゃねぇの。


「GRUUUU」


 おい、なんなんだよ、お前。

 ふざけんなよ……なあ、おい。


「なに……笑ってんだよ」


 そのにやけた面、こっちに見せるんじゃねぇよ。

 なあ、おい。


「聞いてんのかよ、なあ」


 なあ、教えてくれよ。

 なにがどうしたら……こんなことになるんだよ。


「GAAAAAAAAAAA!」


 ざっけんなよ……もう、勝った気でいるのか。


「はああああ」


 吐いた息が震えてる。


 でも、これは恐怖じゃない。分かる。

 

 これは……怒りだ。


 どうしようもない怒り。体が熱くて、血が沸騰しているようだ。


 ――ギギギ。


 はは。歯を喰いしばると、こんな音がなるのか。


 新発見だよ。


「GRUAAAA!」

「っ!」

 

 ――ガアアアアン!


 今まで聞いたことのない音と、衝撃が腕に伝わる。

 佐伯さんの攻撃と同等か、それ以上。

 でも、自然と口角が上がってしまうくらい、体が後ろに下がらない。

 指導の最中は、なんど吹き飛ばされたか覚えてないくらいなのに。


 それでも、余裕じゃない。


 でも、耐えられた。


「ハハ」


 んだよ、おい。


 ……意外と耐えられるじゃねぇか。


「なあ、この落とし前……どうつけるつもりだよ」

「GAAAAAAAA!!」

「うるせえんだよ……お前」


 やってやるよ……死に損ない。


 覚悟なんて、さっきから決めてたんだよ。


「殺す」


 来いよ、化け物。


 モンスター狩りだ。


「GAAAAAAAA!!」


 ――ギイイイイン!!!


 クソ、さっきより重い!


 んだよ、舐め腐りやがって!!


「うおおおお!」

「GAAAAAAAA!!」


 まず!

 コイツ、どんな動きして!


「ぐっ!」


 視界から狼が消えた。

 違う。

 吹き飛ばされたんだ。

 なんだこれ、なんつう威力の前足ひっかきだよ。

 駄目だ、武器なんて構えてる暇がねぇ。

 まずは、防御に徹しろ。


「まだ……終われねぇ……」


 いかれた痛みだ。

 味わったことのない苦痛。

 血が流れてるのは、見なくても分かる。

 右腕がドクドク悲鳴をあげてるせいだ。


 でも、だからどうした。それくらい、覚悟の上だったろ。

 むしろ、それ以上に壊れてもいい覚悟だったろうが。

 立てよ、体。

 盾を動かす左腕は、まだ生きてる。

 右腕がやられただけだろ。


「なめんな……いぬ、ちくしょう!」


 くそ……遊んでやがる。

 ニタニタニタニタと、気味の悪い笑み浮かべやがって。


「ざけろ、犬畜生が!」

「GAAAAAAAA!!」


 左腕は……動く。

 右腕だって、動かないわけじゃない。

 なら、十分だ。

 勝機はある。


 それに、コイツ。

 余裕ぶってるが、ダメージは相当なもんだろ。

 一気に仕留めてこないのが、その証拠だ。


【格力】の差は、不思議と感じない。いや、さっきは間違いなく感じた。となれば、俺のたかが外れてるってことだ。頭がおかしいんだろう。


 いいじゃねぇか。

 

 それくらいしないと、コイツはやれねぇ。


「我慢……比べだ」

「GAAAAAAAA!!」


 ――ギイイイイン!


 クソ、これは駄目だ。

 もっと受け流せ。

 受け続けたらダメだ!

 左腕が痺れて動かなくなるぞ!


「GAAAAAAAA!!」

「ぐ!」


 ――ギイイン!


 駄目だ、まだ、重い。

 近づけないことには、勝機はねぇ。

 現状を把握しろ。


 今の俺は、アドレナリンと火事場のクソ力だけで動いてるようなもんだ。


 つうことは、痛みはある程度無視していい。

 問題は、いつまでこれが続くかってことだ。


 時間がない。


 でも、避けるっていう選択肢はない。

 避ける練習なんてしてこなかった。


 なら、一歩ずつだ。

 この馬鹿が油断している間に、懐に飛び込める距離まで耐えろ。


 勝機は、あれしかない。


 あの喉に刺さってる剣、あれだ。

 それまで、耐えろ。

 腕が折れても関係ねぇ。

 後遺症やらなんやら、んなもん、あとだ。

 やれ、動け。

 今は、それだけを考えろ。


「GAAAAAAAA!!」

「ぐう!」


 ――ギイイイイン!


 だから、駄目だ。

 真正面から受ける防ぎ方じゃ。

 盾を斜めに、触れたと思ったら、斜めに流せ。


「GAAA!!」

「っ!」

 

 ――ギイン!

 

 よし、いいぞ。

 上手くなってるじゃねぇか。

 イメージしろ、諦めるな、防ぎ続けろ。

 徹しろ!!


「GYAAAN!!」

「舐めんな!」

「GYAAA!」


 へ、馬鹿が。

 噛みつきなんて、甘いこと考えやがって。

 どうだ、少しくらいクラっとするだろ。

 体当たりは得意なんだよ。


「!」

「は、馬鹿が」


 おいおい、逃げ腰か。

 いくら距離を取られようともなぁ……。


「なんどでも……やっでやるぜ」


 はは、声が掠れてら。

 いいねぇ。

 もっと、追い込まねぇと。


 ――狂え。


 今だけは、怒りで常識を、我を捨てろ。

 でも、冷静に……決して思考を止めるな。


「GAAAAAAAA!!」

「ぐ!」


 ――ギイン!


 まず、鼻が……くそ、盾が近すぎたか。

 でもいい。上手く受け流してる


 一歩ずつ、一歩ずつ。


「GAAAAAAAA!!」

「っ」


 ――ギン!


 丁寧に、着実に。


「GAAAAAAAA!!」

 

 ――キイン!


「GAAAAAAAAAAAAAAAA!!」


 おい、マジか。


 全体重乗せた前足での、のしかかり。

 随分苛立ってるじゃないの。

 踏み潰そうってか。


「ハハ」


 でも、それは……。


「悪手だろ」


 防御は、寸前で捨てる。

 懐をわざわざ開けたんだ。

 

 これだけ大振りの攻撃なら避けられる!


「くっ!!」


 風圧に体が吹き飛びそうになったが、耐えた。 

 前足でのしかかるなら、隙間が空く。

 喉に剣が刺さってるんだ。

 喉元の空間は作るだろう。

 

「ほら」


 肩透かし喰らったろ。

 来るはずの衝撃が来ない。

 少しは動揺するだろ。

 人間も、動物も、モンスターだって。

 予測していない動きに、不意を突かれる。


 ほら、届いた。


「!!」


 深く刺さった剣を握りしめる。

 あとは、力任せに横へと引き裂いてやればいい。

 だが、引っ掛かる。

 圧倒的に、力が足りていない。

 それは、そうだ。

 左腕はパンパンに腫れて、右手は支えているだけ。

 よくもまあ、ここまで無理に動かせたもんな。


 まあ、でも、最後だからよ……。


「うごげええええええええええええええええええ!!」


 叫べば、わずかに動く。


 火事場のクソ力だ。

 

「うおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 叫べ。


 怒りを、ぶちまけろ。


「おおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」


 討て。


 仇を……討て!!!


「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!」


 ――ギイイイイン!!!!


 甲高い音が、響いた。


 頭上から、大量の青い血液が降り注ぎ、止んだ。


 ツナギには一切の青い血が付かずに、流れていく。


「……」


 青い血の跡を辿れば、剣の全体像が見える。


 どっぷりと、青い血がついていた。


 青い血まみれの剣が、証明してくれる。


 首を……切ったのだと。


「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」


 ――ドスーーーン!

 

 巨体が倒れる音が響く。


 振り返れば、暴れてまだ生きている。


「は、しぶと」


 このくらいの暴れなら、どうってことねぇ。


 終わらせてやるよ。

 

 突き刺さった斧を、掴んで、奪い取る。


「GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!」


 なに、情けない声出してんだよ。


 つか、うるせぇんだよ、お前。


「さっさと……くたばれええええええええ!」


 何度も、何度も、執拗に。


 頭を、首を、何度も、何度も、斧でぶった切る。


「うおおおおおおおおおおおおおお!」


 ――ズサ

 

 斧が、地面に食い込んだ。


 目の前には、何もいない。


「……ああ」


 死んだのか。


 少し離れた場所に、大きな魔石と牙。


 どうやら、アイテムがドロップしたらしい。


 ……拾うか。


 かなりの大きさだ。


 でも、そこまでじゃない気もする。


 死闘の末、戦利品はたったこれだけ。


「アホくさ」


 やりきったという充実感はない。


 心の底から喜べるはずもないんだ。


 周りの現状が、それを教えてくれる。


 人

 ヒト

 ひと

 hito

 

 全員が倒れて、一ミリも動かない。


 八人の死体。


 九人目の俺が辛勝して……生き残った。


 生き残ってしまったんだ。


「クソ……」


 ダンジョンで大声をあげるのは自殺行為だ。


 声を聞いた魔物が大量によってくるから。

 

 だから……どうした。


「クソオオオオオオオオオオ!!!!」


 叫んだ。


 気が済むまで。


 心のままに。


 でも、腹の虫がおさまらない。


 意味のないことだった。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 疲れた。


 もう、家に帰りたい。


「ああ、でも……そうか」


 みんなの死体、どうしようか。 


 ダンジョンに死体を置いていけば、どうなるか。


 損傷具合にもよるが、二十四時間経ってしまえばダンジョンの一部となる。


 それだけは……絶対にさせたくない。


「運ぶのは……」


 できるだろうか。

 

 こんな状態で。


 たぶん、無理だろう。腕にほとんど力が入らない。痛いのではなく、ほとんど感覚がない。痛みは、どこかに行ってしまったようだ。


 まあ、それはいい。


 他の手段を考えよう。


 そうだ……デバイス。


「ダメか」


 つか、完全に壊れてる。そらそうだ。盾がひしゃげてるんだから。左腕につけたデバイスが壊れるのも当然だ。盾はもう意味ないな。捨てていこう。


「ッ」


 あーあー、腕痛い。腕だけじゃない。全身が砕けて千切れそうだ。


 右手にほとんど力が入らない。これじゃあ、盾も外せないな。


 なら、どうするべきか。考えよう。幸いなことに、辺りにモンスターはいない。きっと、あの化け物が現れたせいだろう。モンスター同士にも縄張りがあるんだから、逃げて当然と言えば、当然だ。


「ああ、そうだ。リュック」


 どこに置いたっけ。


 こんな時の回復薬だよな。


 自分で作れて本当に良かったわ。


 これから、大仕事が待ってる。百万円の回復力、見せてもらわないとな。


「ああ、あんなところに」


 転がっている。いつ外したのか、全く覚えていない。まあ、でも、意外と近くて助かった。


 足は動くけど、力が入ってない。まあ、あれだけの威力を抑えてたわけだし、そうなるか。


「はは」


 プルプルしてら。


 我ながら、まったく情けないね。


「はあ……意外と遠かったな」


 回復薬は……あれ、ないな。


 ああ、落ちてら。リュックの横ポケットって、落ちやすいのか。気を付けないと。百万だぞ、百万。


「手が滑る」


 本当に全力だったんだな。


 キャップがうまく外せない。


「こんの」


 震える左手で回復薬を掴んで、歯を使ってこじ開けられた。これって、ソロ向けじゃないな。もっと使いやすくなってほしい。


「ひえ」


 右腕、凄いことになってら。すんごい深くまで傷ついてるな。ツナギも意味はなしと。あれだけの化け物だし、仕方ないか。これ、沁みるだろうな……ん、まったく沁みないや。痛みはどこへ行ったのやら。


「うし、動くな」


 これが回復薬の力か。


 凄まじいね。


 これなら盾を捨てられるな。ガントレットも無駄だろ。最小限でいいや。


 短剣が無事でよかった。この辺の敵なら短剣で殺せるだろ。


「うお」


 左腕は……おう、真っ青でパンパン。今さらながら、凄くジンジンします。摩擦のせいか、これ。つか、血まみれじゃないの。


「イッ!」


 こっちは少し痛むんかい。


 まあ、人間らしくていいか。


「……さすが、百万」


 完全回復だ。


 短剣以外の装備は全滅だな。


「まあいいや……ああ、つか、喉乾いた」


 帰る前に飲み物。

 

 うわ、うま。


 なにこれ、めっちゃうまいわ。


「はあ……うわー、すげー元気出た」


 さすが、蜜と回復薬効果。


 ほとんど全快したんじゃないか、これ。


 これなら、リュックも背負えるな。


「え、軽い」


 中身は……無事だな。なんでこんなに軽いんだろ。まあ、いいか。荷物なんて、軽ければ軽いほどいいんだから。


「さて、戻るか」


 体力も回復した。


 みんなのところに戻らないと。


「ん……ああ、そうか」


 死んでたんだっけ。


 可哀想に。


 まずは、全員集めてあげないとな。


 ああ、血が凄いな。


 腕のツナギが壊れててよかった。


 みんなの血が弾かれるなんて、見たくないしな。


「飯塚君、意外と軽いな。眼鏡はどこに置いたんだ。しっかりしろ、リーダー」

「犬堂君、女子並みに軽いぞ……もっと食べないと。斧といえば、一撃入魂だろ」

「四宮さん、軽すぎる。片手で持てそうだ。短剣も使うなら、もっと鍛えないと」

「安藤さん、羽みたいに軽いよ。魔法使いでも、鍛えていた方がいいぞ」


 よし、四人集まったな。


 ああ、目を開けっ放しで。


 辛かったよな。


 大丈夫、今、閉じてやる。


「うん、眠ってるみたいだ」


 って、そんなわけないか。


 ボロボロだ。最後まで戦い抜いた探索者の死体だ。


 最初から見てあげられなかった。


 でも、きっと、頑張ったもんな、みんな。


「俺は……みんなが物語の主人公とかに見えたのに」


「いつか、英雄なんかになったりしてさ」


「その英雄を助けようとしたけど、間に合わなかった」


「はぁ……」


「つうか……そうだよな」


「こういうとき、ギリギリでも助けに来るのが英雄だもんな」


「死んでからじゃ、意味ないよな……」


「やっぱ、現実世界に英雄はいないんだな」


 ハハ……そうだよな。

 

 英雄がいたら、未来ある若者たちを見捨てるわけがないんだ。


 そうだよ。


 英雄はいない。

 

 よくわかった。


「俺は英雄にはなれないし、現実には英雄なんていない」


 当たり前のことだ。



「ん、なんだ?」



 水滴?


 雲が、真上にある。


 そうか、雑木林を過ぎたら雨が降るのか。


 ダンジョンも人が死ねば泣いてくれるんだな。


 意外と悪い奴じゃないな。


「うし、じゃあ、雨がひどくなる前に帰るか」


 あー、そうだ。


 残りの四人は……いいや。知らない人だし。


 ああ、でもあれか、ドッグタグとデバイスくらいは回収してやるか。死体はダンジョンに飲まれてしまうだろうけど、仕方ないよな。


「よし、みんな。ちょっと待っててくれな」


「おっさんが頑張って、みんなを家まで送り届けるからさ」


「なに、意外と元気だから、心配するなよ」


 はは、返事がないな。


 仕方がない。


 運んでやらないとな。


「さあ、帰ろう……家に」


 彼らへと手を伸ばす際に、腕だけが濡れる。

 

 雨が激しくなってきたはずなのに、濡れるのはなぜか腕だけだ。

 

 雨がひどく熱いわけがない。


 そんなこと、分かってる。


 このダンジョンでは、雨が降らない。




 そんなこと……分かってるんだよ。




第二十八話 手元に残ったのは


「……っ」


 ここは……どこだ。天井が白い。いや、そりゃそうだ。天井ってのはどこも白いだろ。


 家じゃない。なら、ここは……ああ、病院か。点滴が打たれている。怪我は治ったはずだけど、なんで病院なんだ。


 ああ、頭が重い。


「……はぁ」


 疲れた。なんか、どっと疲れてる。なぜか分からないが、空気を吸いたくなった。思いっきり、鼻で呼吸をする。


「うん、消毒液の臭い」


 アルコールの匂いは、結構好きなんだ。好きになったのは、ここ最近だが。まあ、目覚めてすぐに嗅ぎたい臭いではないけどさ。


 目が覚めた後って、なにしたらいいんだろうな。


 物語だと、隣に人がいたり、なぜか看護師さんがいるわけだけど。


 誰もいないしな。まあ、待つか。もうひと眠りしてもいいし。


「……寝れん」


 ほんのりと空が明るいな。夕方か、朝焼けのどちらかだろう。


 どれくらい眠ってたかなんて、知る由もない。記憶が曖昧だ。


 じゃあ、どこまで覚えてる。


 そうだ。


 たしか、狼と戦って、それで……。


「気付いたら、ここだったと」


 ここが地獄ではないなら、きっと病院に運ばれたんだろう。最後の記憶は……ダメだ。狼を倒したところで途切れてる。思い出せない。


「綺麗な星だな……」


 そういえば、最近、星なんて眺めてこなかった気がする。


「星……っ」


 頭が……痛い。


 気付けば、シーツが濡れていた。


『一番星(いちばんぼし)と書いて、ヴェスパー。宵の明星(よいのみょうじょう)、夕方に見える金星を意味してるんです。金星は、夕方に見える惑星や星の中で一番の輝きを放っているんです』


「ッ!?」


 そうだ……思い出した。


 狼、恐怖、怒り、剣、血、ヴェスパー……そうだ、一番星(ヴェスパー)


 彼らは、俺の目の前で殺された。突然現れた狼によって、引き裂かれ、死んでいったのだ。


 大丈夫、よく覚えてる。いや、思い出したくもないが、覚えていないといけないことだ。


 俺の行動が遅かったから、届かなかった。あと少し、ほんのわずかな数十センチの差。あの時、すぐにでも立ち向かえる勇気があれば……。


 きっと、届いていたはずの手だったんだ。


「ふううぅぅぅ」


 息を吐く音が震えてる。ひとつ、また一つを思い出すたびに、涙が溢れそうだ。いや、もういいか。そのままで。


「それ、から」


 そうだ、みんなの遺体を運んだ。ツナギが、みんなの血を弾いてたっけ。腕以外の場所は、ツナギの効果が発揮されてしまったんだ。みんなの血が流れ落ちていくのを、歯を食いしばって見ていた記憶。


 それに、徐々に硬くなりながら、冷たくなっていく体を腕が覚えていた。死後硬直だっけ。それから、人の顔って、あんなに血の気が引くんだなと改めて思わされた。


「そうだ……途中で」


 雑木林ゾーンを抜けた後、あと少しでゲートというところで、探索者に出会った気がする。いや、たぶんそうだ。探索者を見かけて、必死に声を出したと思う。それで、気付いてくれて、向こうにも死体があると伝えて……ここまでだ。俺が覚えていることは。


 きっと、助けてくれたんだな。じゃなきゃ、病院にいるわけないし。


 探索者にもいい人がいてくれてよかった。


 探索者……探索者か。


「ふうう……」


 こんな状態で、探索者をやれるだろうか。


 分からない。そこに立たないと、判断できないな。


「ああああああ……しんど」


 眠たくなってきた。もう一度、寝るか。


 今度は、誰かいてくれると、助かるんだけどな。


◆◆◆◆


 そのあと、もう一度目が覚めた。


 人の気配がしたからか。看護師さんが、俺の目が覚めたことに気付いて、すぐに先生を呼んだ。


 すでに、回復の方向に向かっているとのこと。記憶の混濁はないとも診断された。最初に起きたとき、一人で思い出せてよかったな。診断中に、間違いなく大泣きしていた自信がある。


 体は問題ないが、二日間ほど寝ていたので点滴を打ってくれたそうだ。まあ、寝すぎではあるが、ダンジョンでの出来事を考えれば妥当らしい。


 そういうものなのかとしか、思えなかった。


 これから検査入院をして、退院は明日になるそう。


 今は休みなさいと言われたので、検査をしながら惰眠をむさぼった。


◆◆◆◆


 翌日、無事に退院した。


 着替えは、探索協会の職員がロッカーから取ってくれたようだ。


 ありがたい。


 そういえば、なぜかは知らないが、心療内科の紹介状を貰った。問題なく振る舞ったつもりだが、やはり医者が見ると違うのだろうか。まあ、受けるつもりはないので、放置だ。


 それと、入院費はすでに受け取っているとも言われた。いったい、誰が払ってくれたのだろうか。お礼を言いたいのでと伝えるも、言えないと言われてしまった。


 そう言われてしまえば、こちらは何も言えない。


 受け入れるほかなかった。


 そうだ。退院と同時に、デバイスと、ドッグタグを返してもらえた。というか、病院が持っていたのかと目を見開いたよ。探索協会が、預かっているものだと思ったから。


 数日振りに開いたデバイス。


 中を見れば、一件の通知が届いている。荷物を預かっているので、取りに来てほしいとのこと。ああ、荷物はそっちなのねと思った。つうか、そういう連絡はしていいんだなと漠然と思ってしまう。


「まあ、行くか」


 割と元気だったので、すぐに探索協会に向かう。


◆◆◆◆

 

 うん、ここだけファンタジックな世界。なぜ、ここだけ、ゲームのような世界観なのか不思議だ。まあ、いい。荷物をさっさと取りに行かないと。


 なんか、昼間に来るって変な感じだな。昼間に来たのは初めてだけど、人が結構いる。全然いないと思ってたけど、割といるもんだ。午後から活動したい人もいるんだな。


 まあ、いいや。


 えっと、荷物はどこで受け取るんだっけ。


 換金所……ああ、先に換金してくれたのかな。お金というか、あれか、PTだけ受け取ればいい訳か。


 場所が分かったので、すぐに換金所へ。


 誰もいない。さすがに、この時間に帰ってくる人はいないのかな。


 お、これを鳴らせばいいのか。


 赤いプッシュボタン。これは……ファミレスかな? 


 ――ブー。


 うーん、どっちかっていうと、コンビニっぽい。裏で作業するとき、レジからボタンを押すと、似たような音が鳴るんだよな。


「漣さん」

「あ、どうも、頼元さん。荷物、取りに来ました」

「少々お待ちください」

「はい」

 

 荷物のはずだよな、きっと。それにしては、なんだか雰囲気が暗かった気がする。


 いつもはこう、仕事できますオーラが凄いのに。


「お待たせいたしました」

「はい」


 あれは、リュックと……ああ、リュックに入ってた中身だ。


 ということは、これから換金してもらう感じか。


「漣さん」

「はい」


 なんだ、急に。


「……」


 綺麗な職員さんが黙ると少し怖いよな。


「少し、お時間はございますでしょうか」

「ええ、もちろん」

「では、こちらに」


 カウンターから出て、どこかに案内してくれるようだ。


 なんか、見覚えがあるな。ああ……そうか。一番星(ヴェスパー)から指導員の依頼を受け取った時の会議室だ。


 ここに入るのは、二度目か。


 相変わらず、ドラマでしか見ないような大きさだ。


「どうぞ、おかけください」

「はい」


 ふう、なんか緊張するな。


 なんか、頼元さんの空気も重たいし。


「さっそくですが、本題から入らせていただきます」


 そういうと、頼元さんはどこからか封筒を取り出した。


 限界に膨らんでいる封筒が二つ。


 中身は何が入っているのだろうか。


「こちら、一番星(ヴェスパー)のご遺族からの謝礼金となります」

「しゃれいきん?」


 その言葉を聞いたとき、腹の底が熱くなるのを感じた。


 これは、あれだ……狼と対峙した時に感じた感情。


 怒りだ。


 無責任な怒り。


 助けられなかった後悔と、動き出せなかった罪悪感。


 正義感なんて、綺麗ごとの言葉じゃない。


 落ち着け。


 彼女に怒りをぶつけるのは、お門違いだ。


 深呼吸をしろ。


 アンガーマネジメントというやつだ。


「ふううう」

 

 声が震えてしまったな。


 でも、許してほしい。これでも我慢した。


「……」


 俺が話すのを待ってくれている。頼元さんは一切の感情も見せずに、真剣な表情で俺を見ていた。


 彼女も、思うところがあるのかもしれない。


「探索者は、ダンジョンで探索するうえで、全ての行動が自己責任となります。今回のことも、同じです。本来であれば、ダンジョンで亡くなった際は、探索協会から依頼を出し、ご遺体のデバイスとドッグタグを持ち帰る対応をしております」

「え、それだけ」


 デバイスと、ドッグタグだけ?


 それだけなのか。じゃあ、死んでいった人たちは、ダンジョンの一部になってしまうのか。


 まてよ……そういえば、最初に説明を受けた時も、聞かされたな。


「……すみません、取り乱しました」

「いえ」


 頼元さん、きっと、何度もこういう説明をしてるんだろうな。


 本当に、嫌な仕事だろうに。この人も、生活のためなんだろう。


 空気が静まり返る。


 こちらから、何を話すべきか、頭が働かなくなってきた。


 どうするべきか悩んでいると、頼元さんが話しを振ってくれる。


「……遺体を持ち帰ることは、簡単なことではありません。死亡判定がされただけでも、まだいい方です。本来であれば、数日時間を置いて帰還されない場合、行方不明リストに名前が載り、一ヶ月後には死亡判定がされてしまいます」

「……」


 言葉はでなかった。


 何を言えばいいか分からないから。


「最後に家族と会うことすら……できないのです」

 

 そうだ。それが探索者という職業だ。


 待て、そもそも、なんでこんな話になったんだっけ。


 ああ、そうだ。謝礼金から話が進んでなかったんだ。


 ということは、つまり。


「つまり、自分が遺体を……家族と最後に会わせてくれたお礼だと」

「さようでございます」


 ……そうか、そういうことか。


 ああ、なら、入院費を出してくれたのも、きっと一番星(ヴェスパー)のどなたかだろう。


「一番星(ヴェスパー)の遺族には、探索者の方もいらっしゃいました。ですので、探索者のことも重々承知の上で、今回の謝礼金に繋がります」

「理解しました……その、ありがとうございます」


 長々と説明させてしまって、申し訳ない。


「いえ……それと、こちら」

「えっと、これは?」

 

 ドッグタグだ。


 一人一人の名前が刻まれている。


「ご遺族の方々は、ドッグタグは不要とのことでした。ご本人がいれば十分と。それに、ドッグタグは見たくないとのことでした。本来であれば、探索協会で預かる物となっておりますが……」

「いただいても、いいですか?」


 すぐに、言葉が出た。


 分かってる。これは偽善だ。助けられなかった贖罪に使うべきものではない。


 でも、受け取りたかった。


 彼らとは、短い時間を過ごしただけだが……それでも、手元に残しておきたい。


「ありがとうございます」

「え」


 なんで、お礼を……。


 いや、そうか……このままでは、これはただの道具で終わってしまう。

 

 彼らが探索者として生きた証が、この世から去ってしまうんだ。


 ……それは、きっと、良くないことだ。


「いえ……失礼いたしました。こちらのドッグタグですが、すでに魔道具ではなく一般的なドッグタグと変わりございません。ご使用方法につきましては、漣さんに一存いたします」

「分かりました。ありがとうございます」


 ドッグタグを受け取る。


 彼らがいた証。忘れてはいけない贖罪。


 今の自分には、重たいけど……受け入れなければならない。


「その、謝礼金ですけど」

「申し訳ございませんが、受け取っていただきます」

「頼元さん?」


 じっとこちらを見つめる表情は、今にも泣きだしそうだ。


「探索者は、綺麗ごとで、生きていけません。一人一人に生活がございます。それに……ご遺族の意思を、汲み取ってあげていただきたいのです」

 

 なぜ、彼女がそこまでするか分からない。


 毎回そうなのか、そういう対応が必要なのか。


 でも、そのどちらでもない気がした。


『そこをなんとか頼むよ、千尋姉ちゃん!!』


 なぜか、犬堂君の言葉を思い出した。


 とても、嫌な予感がする。でも、それを聞くことはしない。

 

 それを聞くのは……きっと、とても無粋なことだから。


「……分かりました。ありがたく頂戴いたします」

「ありがとうございます」


 お礼は言わないでほしかった。


 俺は、何もしていないから。


 罪悪感で、胸が張り裂けそうだ。


「それでは、換金所に向かいましょう」

「はい」


 そのあとは、いつも通りの流れだった。換金所で、アイテムを換金して、TPを受け取る。


 売れなかったのは、狼の牙と魔石。


 これだけは、売ってはいけない気がして、また手元に残しておくことにした。


 いつかは、売りに出すかもしれないけど、今はそんな気分ではない。


 謝礼金の現金も、TPに変換してもらえるようだったのでお願いする。とてもじゃないが、手元においておける物でもないし、見るだけでもきつかったから。


 最後に、短剣は装備屋にあることを教えてもらった。

 盾とガントレットは捨ててきたからな。また買い直さないと。


「じゃあ、ありがとうございました」


 すべてが終わったと思い、換金所から出る。


 手元に残ったのは、狼のドロップアイテムである牙と魔石、謝礼金、ドッグタグ。


 贖罪の形だけだ。


「漣さん」

「はい?」


 換金所を出ようとして、頼元さんに声をかけられた。


第二十九話 月明かりの下で


「この度は、一番星(ヴェスパー)のご帰還をお手伝いいただき、誠にありがとうございます」


 深い、深い、お辞儀だ。


「このご恩は……決して忘れません」


 その言葉を聞いたとき、嫌な予感が的中したことも理解した。

 

 顔を上げた彼女の表情は、とても苦しそうだった。


 でも、少しだけ、憑き物が落ちた顔もしている。


 どう声を掛けるべきか、迷った。


 差し出した手をどこに向けるともなく、引っ込めてしまう


「こちらこそ、ありがとうございます」

 

 こちらも、頭を下げた。


 ただ、心の底からお礼を言いたかった。


 それが、少しでも、彼女に届けばいいと思いながら。


 頭を下げてからは、頼元さんのことは見えなかった。


 見てはいけない気がしたんだ。


 震えた息が聞こえた気がしたから。


 だから、背を向けてすぐ、装備屋に向かった。


 ◆◆◆◆


「装備なんですけど、また後日の受け取りでいいでしょうか」

「かしこまりました」


 そういえば、装備屋の人も理解を示してくれた。


 心遣いがありがたい。


 家に帰るのも止めた。


 帰る気分には、とてもならなかったから。


 今、家に一人でいるのは危険だ。


 本能が、そう伝えてくる。


 だから、出かけることにした。


 デバイスがあれば、どこへだって行けるから。

 

 荷物を持ったまま、電車に乗る。


 行先は、海の見える駅。


 今は、一人で海を眺めていたい気分だった。


 ◆◆◆◆


 電車に揺られながら景色を眺めていると、自然と涙が溢れる。平日のお昼時で、人が少ないのが救いだ。涙を拭くものなど、持っていないから。


 思わず顔を伏せた時、デバイスが起動した。


 何かメッセージを受け取ったようだが、今は開く気分になれない。


 しばらくの間、窓から流れる景色を見ることで精一杯だ。


 終着駅に着いてすぐ、二箱分のタバコとライター、酒を数缶を買って店を出た。日没時。なんだか、久しぶりにちゃんとした夕暮れを見た気がする。


 朝早く活動して、夕方になるころには、家に帰っていたからだろう。


 大海原が見える場所には、人がほとんどいなかった。まあ、春だしな。夜は多少冷える。今日は風も冷たいし、そのせいかもしれん。


 ザーッと寄っては去っていく波を見つめる。人がいない場所まで足を運んで、周りを見てから砂浜に座った。


 タバコに火を点けようとするが、海辺は風が強くて、なかなか火が点かない。金はあるのだから、ターボライターを買うべきだった。ライターなんて久しく買っていないから忘れてた。


 ようやく火の点いたタバコをゆっくりと吸う。


 喉に通った煙が心地いい。


「ふうー」


 どれくらい、そうしていただろうか。


 気づけば、太陽は海に飲み込まれていくところだった。海に飲み込まれる前に、この辺いったいを照らしてやろうと真っ赤に燃えあがる太陽。


 そして、時が経てば、海に飲み込まれていった。


 暗い空が、世界を覆う。


「……ふうう」


 真っ赤に燃え上がり、沈んだ太陽を思い出す。


 恥ずかしい限りだが、それを自分と重ねてしまった。自分を太陽みたいな存在だと言いたいわけじゃない。


 最後に燃え上がった部分だけだ。



 ――本当は、あそこで死ぬべきだったのではないか。



 そう、思ってしまった。


 自分だけ生き残って、なんて恥知らずなんだ。


 自分で自分を責め続ける。


「やっぱりダメ、か」


 元々ネガティブだったからな。


 そういう考えが浮かぶのも当然だ。


「はあ……部屋にいると、心が折れそうだから、ここに来たが……同じだな」


 電気も付けずに、きっと部屋で動きもせずに、呆然としていたに違いない。とはいえ、外も同じだ。音と風と海の匂いがするからまだましかもしれないと思ってここに来た。


 結局、夜の闇に飲まれるせいで、変なことを考える。


 よくないな、これは。

 

 昔と同じループに入る前に、そろそろここから去るべきだが……面倒くさい。


 前より、体は頑丈になっているし、今日くらい野宿でもするか。


 はは、それはさすがにダメか。十分、変質者だし、こんなところで寝てたら、警察を呼ばれてしまいそうだ。


 この辺、宿はあるんだろうか。


「って……」


 スマホの充電が切れていた。


 病院で確認しなかったのは、俺の落ち度だな。


「はぁ」

 

 はあ、もう少しだけ、風に当たるか。


 その辺に、一泊できる宿くらいあるだろ、たぶん。


「つうか、星が綺麗だなー」


 ああ、星ね……星、星。

 

「一番星(いちばんぼし)は……あれかな」


 一番星(ヴェスパー)……今の俺を見て、彼らは何を思うだろうか。


 んー……どうだろうな。


 何も思い浮かばない。


 想像力の欠如だ。


「はあ……いかんな」


 それから、ただ一番星(いちばんぼし)を眺めては、タバコを吸って酒を飲むのを繰り返した。


 ときたま、手を一番星(いちばんぼし)に伸ばしてみる。


 届かない場所に行ってしまった彼らを思い浮かべながら。


「……やばい奴だよな、完全に」


 このままじゃダメだな……。


 海に足を付けたら、何か変わるかもな。


「靴下で拭けばいいか」


 おお、砂浜の感触が懐かしいな。


「冷たい」


 足だけがヒンヤリと冷たい。


 引いては流れ込んでくる波に、砂が足に当たる。お前のせいだと、言われているようだ。


 そんなわけ、ないのにな。


 このまま、海に入る勇気があれば……良かったんだけどな。


「ふうー……そんな勇気もないくせに」


 もう少しだけ、奥に行ってみるか。


 一歩、また一歩前に進んだとき。


「早まるな、堅志君」

「え……」


 なんで、ここに。


「まったく、私とのデートをすっぽかそうなんて、いい度胸じゃないか」

「律葉さん」



 月明かりの下で照らされた彼女のお手製のピアスが、やけに眩しく映りこんできた。



第三十話 海辺の語らい 


「あはは、すまんすまん。てっきり、海にそのまま入っていくかと思ってしまったよ」


 ハイボール缶片手に髪に触れる彼女を見て、思わず笑みが零れる。


「はは、まあ、勘違いされる行動をとった俺が悪いんで」


 律葉さんがなぜここにいるのか分からないけど、少しだけ心が軽くなる。前から思っていたけど、本当にタイミングのいい人だと思う。

 

 最初に出会った時も、心が沈んでいる時だった。


 不思議な人だ。


 この人の香りは、いつも花の匂いがする。潮の香りが無くなって、波の音だけが耳に響く。空気というべきか。そのすべてが、一変したような感じだ。


「それで、律葉さんはなぜここに?」

「飯屋に顔を出さない常連客が、今にも死にそうな顔をしているのを見かけてね。嫌な予感がしたから、後を付けてきたんだ。来て正解だったみたいだね」

「それも、占いで?」


 そういうと、彼女は目を細めて微笑む。


「まあ、そうだね。占いの結果といってもいい。ただ、君のことを占ったわけじゃない」

「それは、つまり?」

「私のことをだよ。自分のことを占うことだって、精進の一部だからね。腕に磨きを掛けるには、身近な自分を占うのが手っ取り早い」


 彼女は微笑んだまま、夜空を眺めるように見上げた。


「占いは毎日欠かさず行ってるんだ。稼業だからね。その時、出たカードで行動を決めるんだ。といっても、百発百中ってわけじゃないが、ある程度は当たる。まあ、最終的には、自分自身の行動で全てが決まるんだけどね」


 本業の占い師がそういうのなら、そうなのだろう。


 彼女は星空を見上げたまま、ハイボールを一口飲んだ。


「今日はそうだな……大切な何かを失う可能性が出たから、素直に行動してみたんだ。まあ、最悪の結果にはならずに済んでなによりだったよ」


 大切な何か、か。

 

『君といる時間は心地がいい』


 いつかに言われた律葉さんの言葉が蘇る。


 この人は、いつだって素直だ。


 俺も、少しは素直な自分でありたい。


「……律葉さんのおかげだな。さっきは強がって見せたけど、結構危なかった」

「八人の探索者が亡くなったそうだね。私の顧客の数人が探索者で、そういう情報が入ってくるんだ」

「……」


 何も言えなかった。


 口に出そうとしたけど、言葉が出る前に突っかかってしまう。三十歳の男が年下の前で見せる涙ほど、ダサいものはない。


 情けないことに、震える指先では火が点かない。視点がブレているのも理由の一つだろう。


 ようやく点いた火を深く吸い込んで、逃げるようにタバコを吸った。


「その中のパーティと関わりがあったのかな?」

「……ふうー……その通りだ」

「そうか。心中お察しするとしか言えないかな」

「それだけでも救われる。いや、実際に救われたという方が正しいかな」


 家に引きこもるのは危険だったことには違いない。けどそれは、外へ出ても一緒だった。恐らく、人と一緒にいるべきだったんだろう。まあ、そういう相手がいないから、一人で来たわけだ。


 ああ、ダメだ。

 

 下を向いてもそうだけど、上を向いても蘇る。


 星がある限り、どうしても一番星(ヴェスパー)を思い出す。


「いい出会いだったようだね」


 彼女は星を見上げながら、静かにそう呟いた。


「……まあ、そうかな。俺には勿体ない子たちだったよ」

「言いたいことがあるなら、吐き出したほうがいい。幸い、ここには君と私しかいないのだから」

「……そう、しようかな」


 といっても、大した話もなければ、たくさんの想い出がある訳じゃない。

 

 それでも、話しておきたかった。


 一番星(ヴェスパー)が、どういうパーティだったか。


 誰かの記憶に残してほしかったのかもしれない。


 いずれ、英雄になるはずだった……彼らのことを。


 結局、彼らの話は三十分程度で終わってしまった。

 

 数本の吸い殻と飲みかけのアルコール缶が、それくらい短い付き合いだったという証明だ。


 けれど、同時に、それほど濃い時間だったという証でもある。


「惜しい子たちを亡くしたな」

「……本当に」


 しばらくの間、言葉は出なかった。


 律葉さんも気を使ってくれたのか、波の音だけが耳に届く。


 こうしている時間は、少しだけ心を落ち着かせてくれた。


 今はそれだけで、十分だ。


 波の音と、息が零れる音だけ聞こえる時間が続く。


 タバコを二本、吸い終えた時だった。


「堅志君は、今後どうしたい?」

「……どう、したいんだろうな」


 分からない。


 あれだけあった目標は、忽然と姿を消した。


 やる気も気力も、心の底から顔を見せてはくれない。


「質問を変えよう。少し、先走りすぎた」


 グッと腕を上げて背中を伸ばす律葉さんは、ハイボールを置いた。


「今したいことはあるかい?」

「……」


 今したいこと。


 ダメだ……何も思い浮かばない。


「なら、私のしたいことに付き合ってくれないか?」

「それは?」

「私はね、今とってもお腹が空いてるんだ」

「……そういえば」


 単語を聞いて思い出したかのように、腹が空いていることに気付いた。


 朝から何も食べていない。怒涛の展開というか、腹の具合すら考えられないほど、虚しさで溢れていた。


 ……虚しさで溢れるなんて、意味が分からないか。


 空っぽだから、何も考えられないが正解なのだろう。


 それを埋めてくれる彼女の存在が、なんだかとても眩しく思えた。


「どうして……一緒にいてくれるんだ?」

「それは、私が一緒にいたいからだよ」

「どうして……」


 そういえば、彼らもそうだった。


 採取だけが取り柄の俺に尊敬する眼差しを向けて、一緒にご飯まで誘ってくれて。


 どうしてだったんだろうか。


「乙女心に触れようなんて、気が早いね」


 質問には悪戯で返されてしまった。


「いや、別にそういうわけじゃ」

「私が君と一緒にいたいという答えに、理由が必要なのかい?」


 確かに、その通りだ。


 そういう気持ちに理由はいらない。


 現に俺も、律葉さんが傍にいてくれるから、普通でいられる。


 傍にいてほしいだけなのに、理由は不要だった。


「……悪い、無粋だった」

「いいとも、君と私の仲だ」

「……頼りになるな」


 思わず、そんな言葉が出てしまう。


「お互い様さ」

「え」

「私が誰かといたい時、君はいつも傍にいてくれた。例え、偶然であってもね」

「……そうか」


 スッと、視界に手が飛び込んできた。


「まだ電車も動いているだろう。人の多い駅前なら、店も開いてる。好きなだけ食べて、好きなだけ飲んで、好きなだけ語らい合おうじゃないか」

「……そうだな」


 まだ、どうするかの目標は決められなかった。


 それでも、飯を食べようという気力は湧いたのだ。


 今は……彼女の隣でそうしていたい。


 その心のままに、彼女の手を掴んだ。


「じゃあ、行こうか」

「ああ」


 自分の心に従って、一番星(いちばんぼし)と海から目を背ける。


 繋がれた手はいつまでも離れることなく、駅へと続く街灯の明かりへと先導してくれた。



閑話 不思議な関係


「ふぅー」


 宝月律葉(ほうづきりつは)は、ラブホテルの部屋の中でタバコを吸いながら、青い瞳で満月を眺めていた。妖艶なまでの美しさを持つ彼女の物思いにふける顔つきは、どこか退廃的で魅惑的な空気を纏っている。


「漣堅志、か」


 彼女が思い浮かべているのは、漣堅志のことだ。


 ここ最近、行きつけの小綺麗な町中華によく顔を出すようになった男の名。どこか頼りなく、どこか危なっかしい空気を持つ堅志と初めて出会ったことを思い浮かべる。


 彼との出会いは、コンビニの喫煙所だ。明らかに落ち込んでいる彼がライターを探しながら『ライター』と呟いていたのを聞いて、律葉は思わず自らのライターを貸してあげた。


 初めは新手のナンパかと思った律葉だったが、堅志が今にも死にそうな顔をしていたので、咄嗟に声をかけてしまったのだ。


 堅志は気付いていなかったが、ライターを貸した時に軽く手を触れてしまった。


(本当に、厄介な天能(スキル)だ……触れただけで未来が視えるときがあるなんてね)


 律葉は、漣堅志を視てしまった。この日を境に、目の前の彼が探索者を止めてしまうこと、その後の彼の人生がどん底であること、そして最後には自ら命を絶ってしまうこと。

 

 この時の律葉は、ただ堅志にライターを貸しただけの他人だ。けれど、勝手に天能(スキル)が発動してしまっただけとはいえ、人が死ぬ場面を視てしまった。


 だから、この時の律葉は、どうするべきかの最適解を考え始める。


 律葉は見た目に反して、人を思う心があった。


 どうすれば彼を救えるか。そのことで頭を悩ませてしまうも、彼女が取れる行動は一つだ。


『どれだけクソみたいな人生でもさ、最後には笑えるようになるよ』


 そう声をかけるだけで、精一杯だった。


 顧客相手であれば、もう少し具体的なアイディアが出たが、時間も関係値もない状態。アクセサリーを大量に付けた女が呟いたはずの言葉だ。


 誰もが聞き流すだろうと、そう思っていた。


(我ながら、適当なことを言ったもんだ……まあ、それを真に受ける堅志君も、随分と素直だよね)


 けれど、結果は違った。


 律葉の笑みが零れているのは、居酒屋で大泣きした酔っ払いの堅志が今も存命しているから。


 堅志は、居酒屋でも一番星(ヴェスパー)のことを話していた。一番星(ヴェスパー)というパーティと少し関わり、才能と未来がある若者たち。彼らに元気を貰っていたこと、自分が頑張れるきっかけをくれたこと、出世払いを約束してくれたこと。


 子供好きな笑みを浮かべる堅志は、ジョッキを煽る。


『俺には勿体ないくらい……いい子たちだったんだ……なのに!』

 

 グラスを置いて、ジョッキを握りしめた堅志は、力を入れ過ぎたあまりジョッキを破壊してしまう。


 砕けた持ち手を握りしめながら、堅志は涙を流す。


 目の前で化け物に殺されてしまった若者たちを思い浮かべて、酔っぱらった勢いで自分の行いを心から反省する罪人のように懺悔する。


『俺はただ……人生を取り戻したかっただけなのに……才能ある若者の未来を奪ってしまった』


 自責の念。


 彼はそれに囚われ続けている。


 この時、律葉が堅志を支えるように触れても、未来は視えなかった。なぜあのコンビニで出会った時だけ視えたのかは分からないが、彼は今もこうして生きている。


 今のところは、それだけで十分だった。


「ふうー」


 生きていることが嬉しい。


 律葉は、その想いに気付くと、自らの手を胸の位置に置いた。


「私は、彼を好いているのだろうか」


 好意を抱いていることには違いない。


 人間として好きなのか、異性として好きなのかは、律葉も迷っているのだろう。


(堅志君は、とても努力している)


 律葉は、目標に対して頑張る人が好きだ。それは誰にでもできることだが、誰にでもできるわけではない。だから、律葉は占いで頑張る人を応援している。


 都合よく手に入った天能(スキル)と掛け合わせて、占いという稼業を始めたのだから。


 正直、天職だと理解しているが、占いという仕事を理解してくれる男性は少ない。現に、これまで付き合ってきた男たちは、律葉の仕事を鼻で笑う事も多々あった。


 そのたびに、律葉は男をぶん殴って別れを告げてきたことを思い出す。


「……彼は、違ったな」


 行きつけの町中華に現れた堅志。


 どうやら、その後は上手くやっていると安心した律葉だったが、堅志が気になり始めていた。


 なぜ、見知らぬ女の言葉を真に受けたのか、律葉は気になってしまう。


 だから、自ら声をかけたのだ。



『やあ、元気そうで何よりだ』

『あ、ライター貸してくれた……どうも』



 そこから交流が始まり、堅志が店に顔を出すときは声をかける。


 ――気づけばそれが、いつの間にか律葉の日常になっていた。



 自営業の律葉は、お客とお茶を飲むことはあれど、基本は聞き手に回ってしまうし、酒を飲み交わすことはない。仲良くなったと言っても、顧客はどこまでいっても顧客のままだ。


 けれど、堅志といるときだけは違った。


 素の自分でいられることに気づいたのだ。


 気の合う同僚と食事を取っているような心地のいい居場所。


(本当に、それだけの関係だったはずなのにね)


 いつの間にか、堅志との他愛もない時間が大事な物へと変わっていた。


 それが変わったのは、いつもの町中華で堅志が発した何気ない一言が始まりだったと、律葉は思う。


『自分の力で飯を食えるのって、素直に尊敬するよ』


 変に媚を売らず馬鹿にするわけでもない、素直な言葉だった。目を見れば本心の言葉かどうか分かってしまう律葉は、堅志の言葉が本物であると理解できてしまう。


 律葉の傷だらけで穴だらけの心を埋めるような堅志の言葉が、律葉の心に馴染むように浸透していった。


(居心地がいいだけで、ここまでしてしまうとは……私は、思っていたより人に依存する女なのだろうか)


 ふっと自嘲気味に笑う律葉は、タバコを灰皿に押し付けた。


 バスローブを身に着け、眼鏡を外した青い瞳で堅志を見つめる。


「……ごめん、な」


 苦しそうに謝る堅志を見て、胸が痛む素振りを見せた。母性本能が擽られたのか、異性として心が痛んだのか、律葉には分からない。

 

 ただ、何かしたいという想いからか、律葉は堅志の頭を優しく撫でる。


「頑張れ、堅志君。君は、きっと幸せになれるさ」


 自ら未来を切り開いた堅志に向かって、律葉は言葉を伝えた。


 気持ちが届いたのか、堅志の眉間の皺が和らぐ。


「ッ!」


 その時、律葉の脳裏に映像が流れた。


『お前も死ねよ』


 ダンジョンの中で人を殺して、自ら命を断つ堅志の姿。


『俺は……誰も幸せにできない』


 心を蝕まれ、大切なひとを傷つけてしまった自分を責める堅志が失踪する光景。


『アハハ、クハハハ!!』


 またしても、イレギュラーな力を手に入れてしまった堅志が暴走し、誰かに殺されてしまう姿。


『ああ……やっと……死ねるんだな』


 結局、最終的には自ら死を受け入れる姿。


 受け入れがたい現実が律葉を襲うも、律葉は至って冷静だった。


「……なるほどね。どうやら、本当に君の人生は中々にクソみたいだ」


 律葉は静かに堅志の頭を撫で続けた。


 律葉は知っている。


 多くの人を占って、多くの人が未来を変えたことを見てきたから。


 変えられない未来はないと、知っている。


「努力家の君ならきっと未来を変えられる。私が、君を支えてみせるさ」 


 額にキスを落として、そっと離れる。


 堅志の眉間の皺が、少しだけ和らいだ。


「ふふ……朝、驚く君の顔が楽しみだ」


 悪戯に笑う彼女は小悪魔のよう。


 彼女は彼の眠るベッドに入り込んで、彼に身を寄せる。


 律葉は堅志と向き合いながら、堅志の胸に手を当てた。


 弱々しくも音を立てる堅志の心臓は、今の弱っている彼の心と重なる。


「まさか、ホテルまで来て眠るだけとは……ふふ、実に不思議な関係だな、私たちは」


 久しぶりに人の寝息を聞きながら、律葉は目を瞑る。


 抱かれることのない一夜は、律葉の静かな寝息と共に終わりを告げるのであった。



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