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新生デオンの暇仕事  作者: kazfel
ハプスブルクの黄昏
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第一次世界大戦・終結

 1917年2月3日にはドイツが無制限潜水艦作戦を再開した。

 指定外の航路を通った船は魚雷を撃ち込まれ、客船が沈められたため、アメリカの参戦を招いた。


 3月にはロシアで革命が起こり、ツァーリズム(ロシア帝国の絶対君主制体制)が崩壊した。


 5月ごろにエルトリアでも労働者の反戦デモとストライキが起きていた。

「ウィーンでは食糧デモや暴動が拡がったそうだな」

「カール皇帝も終わりかな」

「あんな若造は期待できん。うちの工場でも労働者がサボりだしたから」

「とっとと戦争終わらせて経済回らせろや」

 客のため息が続いていた。

 カール1世のしたことは6月に首相ティサを罷免したことだった。


 11月にパンと平和を求める労働者や市民の力を背景にレーニンは帝政を倒した。

 パンと平和を要求するロシアの労働者と兵士の運動は、ロシアから帰還した捕虜の兵士たちによってオーストリア、ウィーン、エルトリアにも知らされた。

 オーストリアでも市民と兵士の蜂起と抵抗が起きた。

 1918年1月にはウィーンをはじめオーストリアでも大都市で戦争終結を求めるストライキとデモ行進が起きた。


 そして18日。

「とうとうエルトリアでも大規模ストが起きた!」

「ブダ側はまだ静かだが、対岸のペシュト側は大騒動だよ」

「戦争が終われば丸く収まるのになぁ」


 このころになると軍隊内の不満と反乱が起き、脱走も増えていた。

 海軍では水兵の不満が高まって、軍艦の乗っ取りが勃発した。

 ウィーンの部隊で脱走兵が多数を占めていた。


 9月、連合軍はバルカンで大攻勢に出て戦局を逆転させた。

 ブルガリアとオスマントルコが降伏した。


 フランスのブレストで発生したスペイン風邪はヨーロッパのほぼ全域に広がり、各国の軍事作戦が小康状態に陥った。


 1月のアメリカ大統領ウィルソンの「14ヵ条の平和原則」の提唱で、ハプスブルク帝国の諸民族の独立運動を促していた。

 10月6日のザグレブにおいて、セルビア、クロアチア、スロヴェニア、オーストリアの代表が集まった。

 南スラブ地域の統一のための会議で、10月29日にはセルビア国を含む統一国家形成に合意した。

 12月1日にはセルビア人、クロアチア人、スロヴェニア人の王国が樹立された。

 11月14日にはポーランドの樹立が認められ、ガリツィアは帝国から離脱した。

 10月28日にはチェコスロバキア共和国の樹立が宣言され、オーストリア=エルトリア二重君主制が崩壊した。


 11月3日、オーストリアは連合国との休戦協定に調印した。

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