サライェヴォ事件
1914年6月4日。ボスニア・ヘルツェゴビナの町は長いオスマン帝国からの支配でモスクが多く、オリエントな雰囲気があった。
その日の新聞にはフランツ・フェルディナント大公が演習の視察で赴くことが書かれていた。
ハプスブルクの大公を殺害せよ。
殊勲をあげた者は、国家の英雄として永遠に称えられるであろう。
テロリスト「黒い手」の若者たちはカフェで談義していた。
出発前のフェルディナント大公は皇帝に拝謁した。
「あまり無理しなくてもよいのだよ」
「いいえ、今回は行くつもりです」
「そうか。今度は一緒にゆくようにな」
フランツ・ヨーゼフ帝はゾフィーの同行を認めていた。
6月5日。ベオグラード駐在のオーストリア大使は大公へ警告した。
「今時期フランツ・フェルディナント大公がサライェヴォを訪問されれば、いかなる不測の事故が突発するか、予断を許さない」
大公の親しい人たちも、サライェヴォ訪問を止めるよう、皇帝も急に甥に止めるように勧告したが、大公は意地になって突っぱねた。
6月28日の朝。自動車6台の車列がサライェヴォへ走らせていた。
大公夫妻は2列目の車で屋根が折り畳まれていた。
10時15分。中央警察署の前にいたネデリュコは橋を渡ろうとした夫妻の車へ爆弾を投げたが、白いドレスの大公妃ゾフィーの首をかすめただけで、路上に転がり、4番目の車の下で爆発した。
「これじゃあ、失敗だ。茶店でメシでも食おうか」
プリンツィプはカフェで一息ついて、食事をしているところで、店の前で大公夫妻の車が一時停車していた。
「これは!」
青年は銃を取り出し、車へ駆け登り、大公の後ろにいた護衛将校を狙ったが弾がそれてゾフィーの腹部へ発砲した。
「ゾフィー、ゾフィー。死んではいけない。子供たちのために、生きなくては!」
ゾフィーが大公の胸に崩れ、叫んだ大公も首に弾丸が命中した。
プリンツィプは自決のために毒をあおったが、効かず拳銃を自らに向けたところで群衆に取り押さえられた。
「反エルトリアの大公が凶弾に倒れたってよ」
「でもチェコ人の奥さんは可哀想だな」
「全く身分違いの結婚なんて不幸なもんだよ」
「あら、大公の奥さんって市民だったの?」
リアが尋ねた。
「いや、チェコの貧乏貴族のホテック家だよ。まぁ、ゾフィー妃は30人いる大公妃の最下位におかれて、公式行事に大公と一緒に出て行けず、今回のサライェヴォは大公が軍人として出席すれば大公夫人も一緒に行動できるからねぇ」
「それでのこのこ危険地帯に出掛けたのだろうなぁ」
「皇帝も身内が良く亡くなるのねぇ……」
自殺と他殺ばかりと穏やかではない皇帝一家であった。




