死期
オーフェンの王宮で新生児のマリア・ヴァレリーの洗礼式が行われていた。
貴族たちは豪華な馬車に乗ってきた。
エルトリア首相アンドラーシは帝国宰相ボイストを共に馬車で王宮の宮殿に直接乗り入れた。
アンドラーシは熱狂的な歓呼の声に包まれていた。
シシィは1年の大半をヴァレリーと共にエルトリアかバイエルンなどで過ごし、公務には一切参加していなかった。
1870年7月19日、フランスはプロイセンに宣戦布告を発した。
メキシコ出兵の失敗などで人気を失っていたナポレオン3世は、クリミア戦争とソルフェリーノの戦いと同じく勝てば、自身の名誉は回復出来ると企んだ。
フランス軍は緒戦で勝てたが、8月6日のヴェルトの戦いから敗戦が重なっていった。
9月2日にはセダンの敗戦後、セダンを包囲されてナポレオン3世自身がプロイセン軍は捕虜になってしまった。
9月4日、パリは共和制の臨時政府を樹立した。
チュイルリー宮の庭園に「スペイン女を倒せ」と叫ぶ民衆が乱入してきた。
ウージェニー皇妃は英国へ亡命した。
カフェ「テレーゼ」でもナポレオン3世の悲報が届いた。
「何にしても奴は廃位は確実だ」
「ひょっとしてプロイセンがパリを占領したりするのかな」
「だとしたらプロイセンはすごい国になったなぁ」
「ナポレオン3世も莫迦ね。プロイセンなんか相手して……」
ケーニヒグレーツの惨事を全く知らないのかとリアが呆れた。
オーストリアを敗北させてドイツから追放する。
(もしかしてフランスを狙うため、バイエルンなどの領地を得たのか。恐るべし!)
リアは震えた。
10月中旬。デメルでデオンはホイップクリーム詰め焼き菓子を3つ購入した。
3時ごろ、デオンの部屋でゾフィーを招いた。
「まぁ、インディアーナーね。コーティングしたチョコレートが美味なのよ」
テーブルにマシロを置いて菓子を食べた。
「フランツィやマクシィ、カールか幼い時に私が菓子を作ったのよ。ツヴェッチェン・クーヘン(プラムをのせたケーキ)で生クリームと一緒に食べるのよ。あなたは、お店に賠償金払いきったのにまた来てくれたのね」
ゾフィーはしみじみと菓子をつついた。
「あそこでは働きづめだからここで気楽にいたいだけだ。シシィはどこだ?」
「17日から南チロルのメラーノへギーゼラとヴァレリーを連れて行っちゃったわ。そこでひと冬を過ごすって」
「ウィーンは寒いからなぁ。マシロがいなかったら私も耐えられないな」
「あなたは本当にあった時と変わらないのね」
ゾフィーはマクシミリアン皇帝の死でさらに老け込んでいた。
「そのせいでマシロ一族というややこしいのと過ごす羽目になるがな」
ハルダーフォルクたちとの付き合いは永遠に続くだろう。彼らはいつも構ってくる。
「あれはあれで楽しいからいいっか」
フェンシング訓練とチェスと囲碁。デオンはココアを飲んで納得していた。
不老不死の体を得た代償として歴史の主役になれないことも。
1871年1月18日。1月早々にプロイセン軍はパリを占拠し、18日にはヴェルサイユ宮殿の壮麗な鏡の間で、ヴィルヘルム1世がドイツ帝国の樹立を宣言した。
初代皇帝となり、第二帝国が誕生した。
11月にはアンドラーシがボイストの代わりに外相になった。ゾフィー大公妃はマジャール人が外相になったことで、ひどく動揺した。
逆にエリザベートは涙を流して喜んだ。
1872年5月10日。ゾフィーはオペラ観劇の帰りに気分が悪化して床についた。
肺炎で病状が重くなり、脳出血を起こしてゾフィーはしばしば口がきけなくなった。
皇帝は何時間もベッドのそばでゾフィーを看護した。エリザベートはメラーノの湯治を中断してウィーンへ向かった。
皇帝は重い馬車が石畳の上でたてるうるさい音を低くしようと、ブルク広場にわらを敷かせた。
帰ってきたシシィはゾフィーの看護に尽くした。
「これからも皇帝を愛し支え、帝国の威厳を保つように」
司祭や官内官など宮廷の全員が集合していた。
5月26日の夕方7時には全員が部屋を出た。
27日の朝にゾフィーが息を引き取った。67歳だった。皇帝と皇妃はさめざめと泣いた。
後にゾフィーの遺骸はカプツィーナ納骨堂内部の、ライヒシュタット公爵とマクシミリアンの棺の間に安置された。
ゾフィーの死去を知ったマシロとデオンはもう、ウィーンへ行く義理がないと悟った。
「大公妃の死で私の宮使いは終わったのだ」
同時にゾフィーの死と共に、カトリックで保守的なハプスブルク帝国時代は終わりを告げたのだ。
皇帝家の家庭生活も実質的に失くなっていった。
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