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新生デオンの暇仕事  作者: kazfel
ハプスブルクの黄昏
78/185

危機

 7月26日。ボヘミアでニコルスブルク仮条約として普墺戦争の仮講話条約が結ばれた。

 ナポレオン3世が早期の休戦交渉を提案し、ビスマルクとフランツ・ヨーゼフがのってきた。

 オーストリアとザクセンは無傷で残され、ドイツからは完全に退く。2000万ターラーを支払う。

 ヴェネツィアは残ったままで済んだ。

 

 プロイセン軍が占領地域で狼藉(ろうぜき)を働いているため、ボヘミアでは食糧が不足していた。コレラとチフスがオーストリア兵士にも襲ってきた。

 8月になるとウィーンの皇帝の元に、シシィのゲデレー城のおねだり手紙が届いた。


 カフェ「テレーゼ」でも新聞記事の中で、メキシコ皇妃シャルロッテが大陸へ戻り、パリに行って、危機に瀕しているメキシコ帝国の援助をナポレオン3世に直訴していた。

「しかしメキシコがヤバいって皆気付けなかったのか?」

「一族の皆はマクシィのメキシコ行きを反対してたよ。でもシャルロッテ妃が皇妃になりたいからって。マクシィも兄から離れたかったんじゃないの」

「それで災難に巻き込まれるとは、誘ったナポレオン3世は相当ワルだな」

「ゾフィーに詐欺師扱いされていたわ」

「あの大公妃に罵られるんじゃ、かなりのワルよのぅ」

 客たちは爆笑した。


 ウィーンの皇帝の元にシャルロッテが出兵を求めてきた。

 メキシコの愛国主義者ファレス麾下(きか)の現地軍は1865年の南北戦争終結のち、リンカーンに代わったジョンソンから支援を受けていた。

 反フランスゲリラ闘争が激化し、アメリカがメキシコ内戦に介入するとナポレオン3世は怖じ気づいてフランス軍を引き上げさせたのだ。

 フランツ・ヨーゼフもメキシコに派兵する余裕がないと断った。


 8月18日、シシィが皇帝の誕生日にはウィーンに帰ってきた。

「君にこれほど思いやりがあって再びわたしを訪ねてくれることを心から感謝する。ここに来たときはわたしに良くしてくれ」

 皇帝は子供たちと会えなかったが、1日だけでも妻と過ごせた。

 19日にエリザベートはエルトリアに引き返した。


「プロイセンとオーストリア兵士を苦しめたコレラがエルトリア地方に広がり、死者が出ました」

 報告を受けた守り人たちは王族たちを集めた。

「余計な人を街に入れないで」

 キリルはブダとペシュトの衛士に指示した。

 ヴィクトリーアは80人の近衛兵にオリーブオイル製石鹸を持たせた。

「石鹸を街の人に配って、食事前と排泄あとの手洗いを人々に徹底させてください」

 ユーリは手の空いた街の若者を集め「生の食べ物を食べないでください。石鹸を各家庭に配って手洗いを守らせて、コレラが来ます」

 

 コレラに注意!

 石鹸で手をよく洗おう


 デオンはルカとカムナギとで看板を作り、街の各所に置いた。

「お前たちも手を洗えよ」

 デオン頭上のサラマンダーマシロは長い下で石鹸を子供たちにも配った。

 幸い2つの街はコレラ流行を防ぎきった。


 8月23日。プラハでプロイセンとの講和条約が結ばれた。

 まずヴェネツィアはフランスへ委譲された。

 プロイセンはハノーヴァー、ヘッセン選帝侯国、シュレスヴィヒ・ホルシュタイン、ナッサウ、フランクフルト・アム・マインの各地域を併合して北ドイツ連邦を形成し(ザクセンも入る)南ドイツの各国(バイエルン、ヴュルテンベルク王国、バーデン大公国、ヘッセン大公国、シュタルケンブルクとラインヘッセン)とも同盟を結んだ。

 オーストリアは千年に渡って歴史を共有したドイツから排除された。


 9月初旬、ようやくシシィは子供を連れてウィーンへ帰って行った。

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