普墺戦争
4月にプロイセンは反オーストリア秘密条約をイタリア王国と結んだ。
フランツ・ヨーゼフはプロイセンと和平を図ろうにも、ベルクルディ首相とメンスドルフ外相がプロイセンとイタリアとの妥協を拒んでいた。
皇帝は不本意ながら、5月7日には軍隊を動員することまで追い込まれていた。
フランスを警戒したオーストリアは6月12日にナポレオン3世と秘密条約を締結した。
フランス皇帝は1865年10月にもビスマルクと会談していた。
1866年4月にはプロイセン勝利のときにヴェネツィアをオーストリアに割譲させる協定も結んでいた。
6月15日に宣戦布告となった。
北部ではプロイセンに対し、オーストリア、ザクセン、バイエルン、ヴュルテンベルク、バーデン、ハノーファー、ヘッセン・カッセルというドイツ全域との戦争となった。
4月21日には南部イタリア方向への軍隊の動員が決定され、アルプレヒト大公はヴェネツィアに出発していた。
プロイセンがホルシュタインに軍隊を侵攻させたが、敵側を誘うための陽動だった。
オーストリアが抱く大ドイツ主義をビスマルク首相は打ち破る一心で、ローン陸軍大臣、モルトケ参謀総長と連動して、戦争準備を進めてきた。
6月16日にプロイセン軍はまずオーストリアに南下する手前のハノーファー王国を侵攻した。
9000人のプロイセン兵は2倍ものハノーファー軍と交戦したが、失敗した。
防衛していたハノーファー軍は攻撃に転じてプロイセン軍を撤退させた。
再編成されたプロイセン軍は一気に進軍してきた。武器と弾薬が尽きたハノーファー軍は降伏した。
三国がプロイセンに吸収されて王家の財産も没収された。
ドイツ同盟軍は全線でプロイセン軍によって撤退させられた。
6月24日のイタリア戦線にはオーストリア軍が勝利した。
帝国軍は北方のプロイセン軍の主力の迎撃のため、鉄道で軍をザクセンに送ろうと、バイエルン国王ルートヴィヒ2世に、鉄道使用の要請をした。
王はシュタルンベルク湖上に浮かぶ薔薇島に引きこもっていた。
大臣たちは国王と音信不通となっていた。
その間、ルートヴィヒ2世は湖で花火を打ち上げていた。
シェーンブルン宮で夫といたエリザベートは、親戚の王の態度に呆れていた。
「あの方が自分の領地のことに気を配ろうとしないとは!」
シシィは旅の途中で彼と再開して友人として親しくしていたが、今は憤慨した。
オーストリア軍は仕方なく重機を馬に引かせてゆっくりとザクセン方向へ北上することになった。その間プロイセン軍はザクセン王国をあっさりと占領したのだ。
普墺戦争はカフェ「テレーゼ」でも話の種になっていた。
「イタリアで勝利してもドイツ方面じゃ、駄目そうだな」
「ドイツ連合軍は数が多くても中身がさっぱりだからなぁ」
「となるとボロ負け確定が近そうだな」
「皇帝は我々に泣きつくか、こちらの革命が進展するか……」
「みんな、ボヘミアあたりで集結するのかしら?」
リアは客たちに何気に尋ねた。
「この様子だと7月初めごろには、決戦が近そうだよ。リアちゃんはマシロちゃん連れて戦場視察するかい?」
「行きたい! マシロ、行こう!」
「へーい」
閉店後、デオンはテントなど麒麟の鞍に付けた。北西のボヘミアは近いし7月になったら出発しだした。




