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新生デオンの暇仕事  作者: kazfel
ハプスブルクの黄昏
71/185

逃避行

 1861年2月にガエータの要塞が陥落した。

 20歳の両シチリア王妃マリアは夫と共にローマへ逃げた。シチリア王国の滅亡を知ったゾフィーは「私たちの最後の慰め、君主制度の最後の威光までが消えてしまった!」と嘆き悲しんだ。

 

 5月にエリザベートとフランツ・ヨーゼフはトリエステで再会した。民衆は熱狂的に歓迎した。

 シシィはウィーンに4日間いただけで発熱と咳の発作におそわれた。上級貴族たちとの最初の集まりの後に症状が悪化した。

 6月に侍医スコダ医師は奔馬性(ほんませい)肺結核の診断をして、ギリシャのコルフ島での療養を命じた。

 皇帝夫妻はラクセンブルクを出発する時、群衆が駅に集まっていた。

 皆おし黙っていて、時々婦人のすすり泣きだけが聞こえた。

 そして汽車がゆっくりと走り出した。

 皇妃の健康悪化は市民に広く知れ渡っていて、2日あとには皇妃逝去の噂が流れた。


 フランツ・ヨーゼフはトリエステに近いミラマールまで妻を送っていた。弟のマクシミリアンが33名の随行人と共にコルフ島まで同行した。


 エルトリア王国は1823年には農奴解放の勅令(ちょくれい)が発布された。

 ギルドが廃止され営業の自由が保障された。

 税制も統一され、教育制度も全国的に整備された。オーストリア資本の鉄道建設に関連して石炭業と鉄鋼業が発展し、機械工業も成長した。

 首都周辺のドナウ蒸気船会社や銀行などが建設された。

 ブダとペシュトを結ぶ鎖橋は1848年11月に完成していた。


 コルフ島で皇妃が元気になったというニュースはウィーン内外で流れていた。

「やっぱりゾフィーとその取り巻きが皇妃様を悪くしているのだろう」

「もうウィーンに閉じこめる必要ないじゃないか」

「今度はコルフ島へ行ったのかぁ。宮廷からの逃避行なのかしら」

 リアはシシィの心中が図りしれないが、宮廷の窮屈さは理解できる。

「リアちゃんはここがキツイってことはないよね……」

「私は皆さんと話すのが楽しいし、スイーツあふれる最高の職場よ」

「なら良かったよ」

 安堵した客の大半がゾフィーと皇帝の態度を避難し合った。


 10月になるとフランツ・ヨーゼフはコルフ島へ訪れ、シシィとの散歩と兵舎などお忍びで視察した。

「哀れな殉教者、子供たちの立派な父親がまたひとつ犠牲を強いられる!」

 ゾフィーは子供たちがヴェネツィアへ連れて行くことに憤慨した。

 皇帝夫妻は冬季にヴェネツィアで過ごすので子供たちを呼び寄せた。

 ゾフィーが水が悪いからだめとごねても、皇帝は新鮮な湧き水を毎日、シェーンブルンからヴェネツィアへ運ばせた。

「フランツィがいるんだから好きにさせたら?」

 デオンがやんわりといさめた。

「ならエステルハージ伯爵夫人をヴェネツィアに同行させます!」

 ゾフィーの抵抗は虚しく、伯爵夫人は女官長を解任させられた。


 シシィは慢性的に足が腫れて歩けなくなった。

 コルフ島とヴェネツィアにほぼ1年近く滞在したが、回復の兆しがなかった。

 1862年5月にシシィはフィッシャー医師の指示でバート・キッシンゲンへ温泉治療へ出かけた。

 

 7月の新聞をリアは読み上げた。

「わずか2,3週間前には支えられてやっと立てるほどだった皇妃陛下が療養所を何時間も散歩できるようになられた。その途中で多くの人々と話されながら、1度も休むことなく咳ひとつされなかったって。凄い、温泉療養って効くのね」

 リアはマシロを向いて休暇をねだる素振りをした。

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