決心
1847年4月中旬にルイーゼはウィーンに着いた。
シェーンブルン宮殿でゾフィー大公妃とデオンたちはマリア・ルイーゼを迎えた。
「お姉様、これは内緒の話ですけど私たちはメッテルニヒをやめさせる決心を固めているところです。だってイタリアのことで何もできないのですもの」
「メッたんやめろって初めて聞いたぜ」
デオン頭上のサラマンダーマシロが割って出た。
「私たちって他に誰です?」
「前皇妃のカロリーネ・アウグスタですわ。この他大公のほとんどです」
「メッテルニヒのあとは誰がやるのですか。他にいないのでしょう。国が危機にぶつかった時は力を合わせるのが一番です。若い有能な人はいないのですか。今は危機に陥っているのでしょう。人材を登用するべきです。老人の私には、もう大したことは出来ません」
ルイーゼがゾフィーを説いた。
「お姉様のパルマ統治は、大変評価されています。これだけ市民の支持と共感を得ているところは他にありません。良き女王様とあれだけ慕われていれば、反乱など起こらないでしょう。他の地域も見習うべきだったのです」
「いえ、ナショナリズムというものは自然と出てくるものです。どれほどこちらがいいことをしても感謝とナショナリズムは別です。世代が新しくなると、昔のことは忘れてしまいます。無法者は常に新しく目を配って、手を打っていかなければなりません。パルマでも反乱は起こり得ます」
「でもお姉様のパルマの功績から、単なる圧力、検閲とか秩序維持とかではなくて、もっと自由主義的な寛容さが必要なのではないかという意見も強くなっています。それが民心を獲得する一番の近道だという意見です」
ルイーゼは体調を崩して部屋に戻った。
後にメッテルニヒはルイーゼの病室を訪れたが、お互い老人の姿に変容したことに驚いた。
互いに他愛のないことを話し合った。
11月16日、ルイーゼはパルマへ帰ってきたが体調を崩した。
12月17日午後5時頃、リウマチ性胸膜炎で亡くなった。56歳であった。
1848年1月23日、オーストリアから戻ったルイーゼの葬儀とカプツィーナ霊廟の埋葬前に、ルイーゼ追悼会合が皇族14人と夫人たちの間で開かれた。
「今、マリア・ルイーゼ女王が亡くなったのは我々にとって、計り知れない損失だ。彼女ほどパルマ国民から慕われ、親しまれた女王はいない。我々は彼女の治世から大きな教訓を学ばねばならない。それは国民の希望に、できるだけそう統治をすることである。上からの締め付けだけのメッテルニヒ宰相の政治では、国民の反発を招くだけではないか」
「我々は宰相に任せ過ぎた。言うべきことを言わなければならない」
「なんかじれったくて、しみったれた会だぜぃ」
付き添いデオン頭上のマシロが文句を言った。
「皆、メッテルニヒにははっきりと言い出せないのよ。黙っていたツケが出たのよ。市民がどう出るか見物よねぇ」
ゾフィーはデオンとマシロにケーキ代も渡した。
「じゃ、行ってきます」
デオンらはグラーベン通りのカフェへ来た。カフェの学生と労働者たちは食料と燃料不足でこの冬どうやって越せるかと議論中であった。
マシロは客から代わる代わる抱きかかえられていた。
「暖かい」
「お前、うちに来いよ」
「私はマシロいないとウィーンの冬なんて過ごせない」
「騎士のあんたが何でここにいるんだ?」
労働者が尋ねた。
「宮廷じゃ仕事がないから、金せびってここで愚痴ってるのさ」
デオンはチョコレートタルトをフォークに刺して、生クリームに付けて食べた。
マシロも長い舌で器用にフォークを操り、ケーキを食べた。
「なんだ、オレらとたいして変わらないじゃないか。じゃ、行くか」
労働者たちは店を出て、後に学生たちも出て行った。
「うん、ここじゃ失業者。お利口のフランツィの世話がまわってこないし、マクシィもだし、ライヒシュタットの頃が懐かしい。私はもうお払い箱かぁ」
デオンが愚痴っている間、労働者がパンを抱えて来た。
「まさかパン屋を襲ったのか?」
震えたマスターが聞いた。
「当たり前だ。飢える前に奪うしかないのだよ!」
「いつかメッテルニヒをぶっ飛ばしてやる」
「もうあいつにデカイ顔をさせるものか」
「確かにメッテルニヒ体制は害悪だなぁ」
デオンはつぶやいた。
好きにハプスブルク家を支配して、ライヒシュタットまで拘束してイタリアでの治療に乗る気ではなかったし。
「そうだろう! オレらに協力してくれよ」
「まだ様子を見たい。反メッテルニヒは王宮にいる。彼らも何かしら手を打つだろう」
デオンは上からの反乱を期待して静観を決めた。




