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新生デオンの暇仕事  作者: kazfel
喜びに満ちた調べに共に声をあわせよう
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シュヴァリエ・デオン伝 晩年

 女装デオンのロンドン生活は負債のみふえ、蔵書、武具も売り尽くした。

 1792年2月に最後の宝石類を競売にかけ、348ポンドにしかならなかった。


 一座を作り、座長となったデオンはフェンシングの手合わせをして英国各地を巡回した。

 デオンは客寄せのため、半分男装、女装という衣装をつけ、竜騎兵の軍服姿はのときもあった。

 面と胸当てを付けない勝負も敢行した。

 60歳を過ぎ柔軟な足腰で観客をわかせた。


 巡業はどこでも大盛況で1795年9月にブライトン・シアターにウェールズ公を迎えた御前試合に、1796年1月には温泉地バス、オックスフォード、バーミンガム、ササンプトンと興業を重ねる。


 デオンは夏にはササンプトンで相手の剣が折れ、刀身で胸を突き刺される重傷を負った。

 4ヶ月寝込み、医者にフェンシング禁止を言われた。

 70歳になろうとする前に剣士を引退し、声明を出した。


 マドモアゼル・デオンは当市ならびに近郊の貴族の方々に、その最後の大試合にご臨終賜りましたことを、心から畏敬の念を持って感謝します。残念ながら、今や彼女は、その剣でパンを切らざるを得なくなりました。それは彼女にとって、苦痛と嫌悪に満ちあふれたパンであり、貧窮に追い込まれておればこそ、そのパンを手にせざるを得ないでしょう。しかしながら、その性にも、齢69というという彼女自身の感情にも、その従属の状態にも、まことにふさわしくからざるこの方策を選んだものの、剣を手にとる力が残っているかぎり、不幸に見舞われ、傷つけられ、本当のことを申せば、しばしば涙にぬれている一人の女性を支援するためには、剣の助けを借りざるを得ません。彼女の不幸はその誕生とともにはじまり、同様に、その生涯とともにしか終わらないでしょう。「盛運」が彼女に授けた友人たちも、「逆境」により、すべて奪い去られてしまいました!


 健康を損なわれ、友人たちを失ったデオンはメアリー・コール夫人の所へ移った。

 病床を離れることがなかったデオンに夫人は献身的だった。

 赤貧の2人の老婆は慎ましく暮らした。

 手紙をしたため、祈り、ボロになった古着を縫う日々だった。

 2人の元に昔の友人たちは救済の手を差しのべ、英国女王から500ポンドの僅かな年金が約束された。


 デオンは質屋に聖ルイ勲章やルイ15世肖像入りの嗅ぎタバコ入れを持ち込んでも、借財が弁済不能で投獄された。


 1804年76歳のデオンは負債者拘禁所に入り、1799年5月18日にカロン・ド・ボーマルシェが卒中で獄死したことを知る。


 5ヶ月後にデオンは釈放された。彼に同情した亡命司祭が罰金半ギニーを肩代わりしてくれたのだ。

 

 病床暮らしのデオンはローマ詩人ロラチウスのオード集を慰みの書とした。


 1810年5月21日の夜。

 2年間闘病し、82歳でコール夫人とエリゼ神父に見送られ、眠るように亡くなった。

 医者のエリゼ神父はデオンの死亡確認し、外科医らが検査解剖し、マドモアゼル・デオンが紛れもない男性であることに仰天した。

 

 ロンドン市民も驚き、賭けも決着した。

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