シュヴァリエ・デオン伝 デオンの心変わり
1792年6月11日にデオンの嘆願書が、立法議会で読み上げられた。
熱烈な拍手で迎えられ、軍隊組織委員会に提案されたが、そのままであった。
デオンは小貴族とはいえ、貴族の出である。
フランスを離れたままで、デオンの名前は亡命貴族のリストに入った。
革命政府がデオンにしたのは、トンネールの財産を没収することであった。
それでもデオンはパリからの朗報を待ち続け、帰国の準備をしていた。
1793円1月12日にロンドンの友人スチワードに手紙を書いた。
一日中、私は大部分の衣類の荷造りに専念しました。昨日、私は我が共和国の陸軍大臣から、一刻も早くパリに戻り、ただちにデュムリエ将軍の軍隊に向かうぺし、という命令を受けたのです。
あとは神のみぞ知るです。
1793年1月21日にルイ16世の処刑が行われた。
ロンドンのデオンは新聞記事で蒼白した。
体が震え、共和制に憎しみを覚えた。
やがてデオンは革命家たちを非難した。
「私には国王の専制政治のほうが、暴虐で血なまぐさい、あの自由よりは好ましく思われる。我々は自由だと、そう私は信じはじめているが、それは日々、ギロチンという都合のいい刃物が、あらゆる市民の命を遠慮なく奪うようになってからのことだ」
デオンはロペスピエールも非難を強めた。
「彼の唯一の美徳は、最新の自由という祭壇の上で、自分の両親、友人、敵、さらには人類を切り殺すことにある!」




