送別の指揮
9月15日、回復したライヒシュタット公爵は兵営に戻ったが、ペストが流行し、死者が出た。
公爵もシェーンブルン宮殿に戻された。
ペストはウィーンの貧民街だけではなく、軍隊や高級住宅街に広がっていった。
9月27日の閲兵の指揮がライヒシュタット公だった。
閲兵には皇帝夫妻と皇族が参列した。
1段と高い皇族席にゾフィー大公女も着飾って列席していた。ライヒシュタット公は閲兵行進する全兵士の先頭に立ち、列席している貴族たちと、正面に立っていた。
双頭のワシのハプスブルク帝国の旗、各部隊の色とりどりの多くの軍旗がはためいた。
軍楽隊のあとに、先頭グループにいるライヒシュタット公は、皇族と全市民が注視した。
市民に混ざったデオンは2時間もの大パレードを満喫した。
「なんか、公爵の声がかすれて低いなぁ。大丈夫なのか?」
「また痩せたみてぇだな」
公爵は閲兵の後に、シェーンブルン宮殿で休養を余儀なくされた。
病気で落ち込み、自信をなくした公爵の元に10月1日、親友のオステン大使が訪れた。
11月になるとペストが下火になって、ライヒシュタット公はホーフブルク王宮に戻ってきた。
舞踏会シーズンで宮廷主催のみ、デオンが出て、ゾフィーと踊った。
ヨハン・シュトラウス(父)のワルツ音楽と変わっていた。
「私たちは公爵に世話を焼きたいけど、まだ休養が必要なのが残念ね」
「静養のため、あまり立ち入っちゃ行けないのだろうな」
ひとりの時間が大事なのは分かっている。
プリンスのようなおぼっちゃまは、思うように活動できないから、落ち込んでいるのかとデオンは察した。
「来年には少し顔を出して元気づけたいわね」
「そうですね」
1832年1月初めからライヒシュタット公爵は兵営に戻った。
大隊長として先頭に立って部下への模範を示すため激しい訓練を重ねていた。
1月16日。とある将軍の葬儀がヨーゼフ広場で行った。
ライヒシュタット公が指揮を執ったが、送別の一斉射撃のときの号令が、声がかれて射撃隊まで届かなかった。
公爵は高熱で倒れ、ホーフブルク王宮に運ばれた。
1月初めからの軍隊生活の無理がたたったのか、指揮ができないことで公爵は泣き続けた。
公爵が回復して軍務に復帰したと、皇帝や宮廷人たちは思い込んでいた。
「喀血して絶対安静とは、主治医のマルファッティって奴は、一体どんな判断で軍務に復帰させたのだ!」
デオンは博士を非難した。
「ライヒシュタット公は10代の後半からひょろリと背が伸び、体力が体の成長に追いつかなかった。だから体を鍛える時間を作らなければならないと、私があれほどいったではないか」
ディートリヒシュタイン先生も怒り出した。
「もう、やめちまえ!」
マシロも便乗した。
2月25日、新任の医師ハルトマン博士は「まだ粘膜の炎症が障害になっていますが、散歩や劇場に行くこと、軽い乗馬、舞踏会も踊らない限りは差し支えありません。ただし慎重に、決して無理をしてはなりません」と診断した。
2月、3月の公爵は小康状態が続いていた。
3月の初めにデオンとサラマンダーマシロは見舞いに部屋に来た。
部屋は広く、フランスの画家ジェラールが描いた大きなナポレオン肖像画と反対側に大型本棚がある。
大きなゴブラン織りが、部屋一杯に飾られていた。
「あ、これはブルボン王朝のLだ……」
「あれはテレーゼがルイ15世からもらった織物なんだぜぃ」
「あぁ、陛下からの物なのか……」
デオンは織物端の2つ絡まったLの字を凝視するうちに、涙が落ちた。
「デオンさん?」
暖炉の前に椅子に腰掛けたライヒシュタット公が声をかけた。
「陛下の贈り物が、こんなところにあったとは……」
デオンはわけも分からず、とめどなく落涙した。
「この本棚、ナポちゃんの戦記とか多いな。おっ、なんかすげーの発見!」
マシロは白狼の頭へ飛び移り、部屋の隅の金色乳母車へ寄った。
「君たちは自由でいいなぁ」
公爵は時々、咳をしていた。




