デオン対メッテルニヒ
「まぁ、絶対にポーランドへ行ける訳ではないが、メッテルニヒと掛け合ってくる!」
デオンはメッテルニヒの執務室へ入った。
「いい加減、ライヒシュタット公爵を登極させたらどうだ?」
「まさか、ポーランドの新国王にしろというのですか? ご冗談はあなたの経歴だけにしてくださいよ。ボナパルト派の面々にとっては、ライヒシュタット公こそ反ブルボン、反政府運動の格好の獲物なのですよ。
デオン殿には報告しなかったのですが、4年前の1826年8月24日の夜に、公爵と皇帝が劇場に行く途中、不審者がフランスの三色旗と手紙を馬車の中に投げ込む事件がありました。『フランス国民が閣下の帰国を待っております』という不届きな文面でね。ルイ18世のブルボン派は、公爵の暗殺まで画策していましたが、我々は未然に防いでいたのです。
それだけではなく、ナポレオン2世をさらって一旗あげようとする者たちもいます。あなたはすべての悪漢どもから、公爵を守りきる自身がお有りですか?」
メッテルニヒは声を荒げることなくやわらかい口調で語った。
(そうか、あの時フランス語も学びたいといったのか。これはうかつだった。ナポレオンは死してもその遺児の影響力が計り知れないのだ)
「命を狙われた事がある元外交官の私の経験上、ライヒシュタットを外へ出すのは無理だ。それは分かった。飼い殺し状態なのを認めるしかない。不本意ながら……」
落涙したデオンはメッテルニヒをしばらく睨み続けた。
別の日にデオンはライヒシュタットと会った。
「デオンさん、やっぱり駄目でしたか?」
「ああ、メッテルニヒの言うとおりだったよ。下手に外国へ行っても敵の前に君を差し出すようなものだ」
「そういえばコルシカ島の王になんて話があるのですよ」
「あんな辺境の島でか?」
デオンはライヒシュタット公爵と笑いあった。
12月26日。
「ライヒシュタット公爵はどの国王にも、門は閉ざされています」
メッテルニヒはサロンで言い放ち、ポーランド共和政府寄りの財閥エステルハーツィ家たちを牽制した。
ポーランド共和政府は1年近くまでしか持たず、1831年9月、ロシア軍によってワルシャワは陥落した。
ポーランド弾圧にもメッテルニヒは支援した。




