シュヴァリエ・デオン伝 シュヴァリエ・デオン・ド・ボーモンの暇仕事
ゲルシィに代わりロンドンの全権公使にデュランが任命された。彼は機密局の一員でデオンの以前からの仲間だった。
2人はロンドンで親しくなった。やがてデオンが正気になるとデュランはブリウァー・ストリート36番地の地下室の奥に、厳重に隠された文書が取り出せた。
1766年4月1日、秘密指命が明るみになることに恐れていたルイ15世はデオンに自筆の手紙をしたためた。
ロンドンにおけると同様に、我が軍並びに朕が命じた所々の用件においてデオン殿が尽くして奉仕に報いるべく、朕は彼に1万2000リーヴルの年報を保証し、それが6ヶ月ごとに、いかなる国に彼がいても、戦時下の敵軍のもとにいる場合を除いて、正確に払われることを確約したい。
また彼に関しては、その給与か現在の手当てよりもはるかに多い何らかのポストを考えてさえもいる。
6月には冷ややかだったブロリー伯爵からもデオン宛の書簡か届いた。
人間が正しい心と勇気ある魂をもち、それが少しも残忍にして粗暴なものでないならば、全世界の憎悪と羨望に打ち勝つ期待も持ちうるのです。
デオンは機密局からは身を引いたものの、国王への個人的な情報提供者として秘密文書を取り交わし続けた。
ルイ15世はデオンの狂人扱いをやめ、ロンドンの人気者となったデオンのために、年金1万2000ポンドを約束した。
とはいえフランス国庫は底をつき、空っぽであるからデオンの定期支給額が届かずにいた。
すかんぴんなデオンは保護者たちに「このままでは飢え死にする」と泣きついた。
金はなくてもデオンのロンドン生活は楽しかった。
デオンはどこに行っても歓迎され、友人に恵まれていた。
8000冊もの多くの書籍と貴重な資料に囲まれ、彼の理想な文人生活が堪能できた。
政界を去ったデオンは気ままに暮らし、執筆にはげんだ。
1774年にアムステルダムで13巻もの大冊が刊行された。
『行政に関するさまざまな重要題目についてのシュヴァリエ・デオン・ド・ボーモンの暇仕事』
上級公務員を目指す人々のための百科事典であった。歴史、一般行政、戦争、内政、外交、司法、財政などの分野が扱われていた。
本はベルリンとロンドンで大評判となった。
プロイセン国王フリードリヒ2世は「デオンの暇仕事」を読み、そこに示唆されているいくつかの改革案を直ちに通用するよう命じた。
しかしフランス国内ではデオンの本が発売禁止となっていた。
友人にして保護者のショワズール公爵への献辞がそえられているが、ショワズールはデュ・バリー夫人の不興を買って失脚していたのだ。
警視総監サルティーヌは「デオンの暇仕事」をフランス国内での販売を禁じていた。




