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アドリアン・ターナーの魔術講義[4]

「魔術の威力というのは、自然環境内では限定的だ。お伽噺のように何でもできる、というわけではない」

 物を浮遊させる、という術がある。そう言って、魔術師(アドリアン)はペンを持った手を動かし、指輪の石をテーブルに軽く打ち付けた。

 リン、と自然音らしからぬ音がして、ふわっとペンが浮き上がり、やや高い位置に広げた手のひらの上に着地した。

「これだけなら問題なく発動するが、倍の時間浮遊させようとすると、必要魔力が跳ねあがってくる。リリアナ、乗算ってわかるか」

「ええ、わかります……けど」

「魔力値Xに対して必要回数nの乗算だ。仮にXを5として、一回あたり5カウントとしようか。10カウント維持するのに必要な魔力は」

「25ですわね」

「じゃあ、25カウント維持するには?」

「5乗ですか。……ええと、3125、かしら」

「合ってる。さすがだな」

 リリアナの両側ーー王子とマリヤは、ついていけてないらしく、ポカンとしている。

「つまり、発動に5しか魔力がかからない魔術を5回分維持するのに600倍を超える魔力が必要だということだ。必要魔力が高い魔術なら、さらにとんでもなくかかる。これを自然環境負荷というが、魔術が自然法則の影響をうけていることを示している」

 そう言って、生徒たちの顔を見渡した。理解が進んでいないのを見てとると、苦笑しながらペンを生徒たちの前に掲げてみせた。

「例えば、ここで手を離したらこれはどうなると思う? マリヤ」

「……落ちると思いますわ」

「そうだな。空中にある物体は、つねに落ち続けている。これは、魔術の影響下になければ、落ちようとする。魔術を何回かかけ直せば、そのたびに浮くが、影響がなくなれば、そのたびに落ちる。浮かせたままにしようとするには、かけなおすより大変に魔力を使う。わかるか?」

「……何となく、わかるような気がいたします」

 たよりないマリヤの返事に、アドリアンは一瞬くすりと笑ったあと、講師らしい顔つきになった。

「魔術には限界がある。例えば、ここに火の玉を出したとする。ーー睨むなよ、本当に出すわけなかろうが」

 王子の護衛であるエリアス・ブランドンの鋭い視線を一瞥する。

「とにかく、出したとして。ブランドンのところまでは飛ばすことが出来ないよ。何故か分かる?」

「燃える材料がないからですね」

 王子の回答は、自信ありげである。あの、恩寵のせいだろうか。時々、魔術について習ってないはずのことを言う。魔術師は、もう驚きもしない。

「その通りだ。燃え移るものがないと、魔力で維持しなければいけない。あの位置まで飛ばそうとすると、風の抵抗も受けるから、さらに魔力が必要だ。火は、風で消えることもあるよね? だから、火の玉を短距離飛ばすには、べらぼうな魔力が必要になる」

「戦場で使うためには、油が必要でしょうね」

「そういうこと。これが魔術の限界ってわけ。ただ、自然法則の影響しない魔術であれば、長時間発動も可能だよ。これは、上級魔術師以外に言ったことないんだけど」

 アドリアン・ターナーは、秘密だよと言って固まったような笑顔のまま、ほとんど唇を動かさずにしずかな声で告げた。

「敵の陣中にいる人間の精神に働きかけて、混乱を招くことは、かなりの規模で可能だ。瘴気の多量発生の可能性が高いから政略的にはマイナスが大きいけど、戦術的には劇的な効果があるだろうね。一年で瘴気を元に戻せとか無理難題吹っ掛けられそうなんで、僕は絶対、ぜーったいにやらないけどね。脅されても国外逃亡するレベルで」

 さらに、にこにこしたまま、普通に続ける。

「清涼殿や王宮、あとこの離宮もだけど、そういう攻撃は受けることないから安心してよ。そのための紋章魔術だし。小細工しすぎて洗脳が全解除になっちゃうのは不都合な人もいたみたいだけどね」

 あっはっはっはー、と声を出して笑う。リリアナは、その様子で洗脳の全解除がわざと行われたらしいと悟った。被守護者の安全のためもあるだろうが、何らかの意趣返しでもあるのだろう。本人が言うように、彼がいわゆる天才であるのならば、彼以上の機能を持つ結界を作れる人がいなかったために、この意趣返しが成功してしまったということなのではないか。

 ともあれ、特別講義は終了であるらしい。アドリアンは、黒板を片付けつつ言った。

「まぁ、基礎の基礎の基礎は、こんなところかな。マリヤは分かってないところもあるけど、魔術の才能あるから実地で勉強してもらおうかな。魔道具が扱える侍女なんて重宝されると思うよ。所得倍増間違いなし。魔術師なら、その体質も誤解されることはないだろうし、頑張ってね」

 マリヤが、息をのむ気配があった。かつて彼女が口にした、エリラヤの血の呪い。それをこの男は、あっさり体質だと言い切った。そして、その誤解は魔術師になればなくなるだろうと言ったのだ。

「私、がんばります」

「いいね、期待してるよ」

 立ち上がったアドリアンを追うようにに王子が声をかけた。

「アドリアン、私もーー」

 皆まで言わせず、魔術師はぴしりと言った。

「殿下は、導師に神官の術を学ぶといいでしょう。(とうと)()きアガルタのために」

「貴き善きアガルタのために」

 魔術師に習って、揃えた二指を胸の前で横に引く仕草をした王子は、はっとして自分の左手を見つめた。

「……そういう、ことですか」

 わかりました、ありがとうございますという声には、どこか諦念の響きがあった。よく聞くようになった響き。

 これが例の恩寵からくる記憶のせいならば、なぜ、よりにもよってウィリアム王子にあらわれてしまったのだろう。リリアナには不条理に思えてならない。

 他の王族なんて、どうでもいい。リリアナには、ウィリアムだけが大事な子なのだ。

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