突然の来訪者
夏の最中、その日は離宮中がバタバタと騒がしかった。朝の声明時には、そうでもなかったのだが、朝食後あたりを境目にして主に侍女と下働きの人間が品を壊さないギリギリの速度で駆け回るのが見られるようになった。そうして、皆がリリアナを見るたびに、早く隠れろと言うのだ。
突然始まった大掃除、というわけではなさそうであった。ウロウロとして、なにやら見て回っている様子のアドリアンを捕まえて問うと、突然来客が決まったという。以前から、ウィリアムの兄である第2王子が離宮に行きたいと騒いでいたのだが、離宮の監視をしている者達が、それに便乗して王の許可をもぎ取ったらしい。不意打ちでなければ監査の意味がないとして、今朝突然通告があり、午後には、もう来てしまうのだそうだ。
誰も使わないからと転移魔法陣の部屋が片付けられておらず、封鎖状態となっていたため、大急ぎで体裁を整える必要があるのだという。それだけでなく、王子が来るとなると、それなりの格式が必要なため、部屋の準備が大変なのだ。少なくともウィリアム王子よりは格上の設えが必要である。これは、元老院での決定事項なのだ。ウィリアム王子を他の王子、王女より格下として遇するべしとの。
アガルタ古王国の王族としての苦しみを知っているのに、扱いは格下というのもリリアナにしてみれば納得しがたい話ではある。しかし、ウィリアム王子本人は、それに対して何ひとつ文句を言ったことがない。
古い王族の記憶を知る彼が、そのことに気がつかない訳がないのも、その上で充分満足しているのも知っているのは、おそらくリリアナだけだ。しかし、情報がないにも関わらず何故か念を入れて監視されているようなのだ。離宮に籠っているのは、本人が望んだことでもないというのに。
「転移魔法陣なんか見もしてなかったからさ、エリアスに叱られたよ。陣の上に荷物が置いてあってさー、事実上封鎖になっていたのなら故意を疑われるだろうって。怖ぇのなんのって」
アドリアンが、リリアナの気も知らずに呑気そうに言う。
「故意って、どういうことですの」
「何か隠したいことがあって、転移魔法陣を使えなくしたんじゃないかって、疑われているということかな。まー、去年あたり、マナが多くなりすぎて通信が不安定になってたことがあって、二心を抱いている向きがあるんではという妄想が出てきたみたいで」
「それって、あの、声明を始めてからの……」
「そう、それそれ」
ウィリアム王子が初めて倒れる前、この魔術師はマナが多すぎて防御魔術が安定せずに走り回っていたが、安定しなかったのは防御の魔術だけではなかったようだ。通信が途絶えがちになることもあったという。
「上司には、あの状況を報告なさったんですの」
「してない。信じないだろうしね。僕も目の前で起こってなければ、信じられなかったろうと思うよ」
「ですけれど、報告しなかったから、疑われて」
「違うね。報告を聞いたら、さらに疑うだろう」
アドリアンは、らしからぬ表情を浮かべる。まるで蔑むかのようなそれは、へらへらとだらしなく笑っている普段の様子とは別人のようだ。
「真実など、どうでもいいのさ」
謀反をたくらんでいる者がいる方が、都合がいいらしいよ、と昏い笑みをみせた。
「謀反など、企むだけ無駄な程度の人員しか置かせなかったくせにね。都合の悪い情報を全部伏せて、これ以上何を心配することがあるのかねぇ。後ろ暗いところのある奴ほど過剰に心配するというが」
そこで声が途切れたのは、近づいてくる人物に意識が向いたからである。それと共に、シニカルな表情はすっかりぬぐい去られてしまった。廊下の向こうから、静かに、且つ、ものすごい早さで近づいてくるのは侍女のマリヤである。
その勢いに思わず後退りするアドリアンに、ピンと張った声が投げ掛けられる。
「お待ちなさいな、不良魔術師。こンの忙しいのにフラフラフラフラと」
「フラフラなんかしてない。これは結界の様子を見回ってるだけで、大事な仕事の一環だ。だいたい、言うに事欠いてこの僕に対して不良魔術師はないだろ。他にもっと言いようがあるだろう。天才とか、稀代の大魔術師とか」
「では、北の裁定者さま?」
「神殿の称号をここで呼ぶな……だいたい、何で知ってんだよ」
「それは、教えてくださった方がいらっしゃいますから」
アドリアンの目前まで来た侍女は、恐ろしいほどの笑顔で言った。
「さぁ、お着替えの時間ですわよ。とっととその野暮ったいローブじゃなく正装になっていただかないと。さぁ! お部屋にお戻りになって」
そうして、魔術師の肩をぐいっと押して、背後に方向転換させると、ほとんど背中を押すようにして急かした。アドリアンは、お盆で思いっきり殴られてから、どうもこの侍女には弱いようで、文句を言いながらも逆らう様子はない。
「リリアナさまも、お客様に見つからないようにしてくださいまし。何か問題視されるといけませんから」
「分かりましたわ。姿を消すのは一瞬で出来ますから、大丈夫ですわよ」
「いや、それじゃダメだ。協会の魔術師も来るから、森の中にでも隠れたほうがいい。僕ほどじゃないが、魔術師には見えるやつもいる。妖精を研究材料としか思わないやつも」
頼むから隠れていてくれと言われて、リリアナは仕方なく了承した。第二王子の人柄を知りたい気もしたが、やはり身の安全も大事だ。ウィリアム王子の傍にいられなくなっては、元も子もない。
自室に戻ったアドリアンは、正装とやらがローテーブルに置いてあると見るや、全く何の前触れもなく、ばっさばっさと服を脱いでソファに放り投げ始めた。ちなみに、そこは来客を迎える場所であって、着替える場所では全くない。普通は、続き部屋になっている寝室か、書き物机などのある衝立の向こうあたりで着替えるのが普通だ。
マリヤは、驚いて小さく悲鳴をあげて、魔術師に背を向けた。
「着替えるなら、衝立の向こうでしてくださいませ!」
「あ? 別に見られても困らないぞ?」
「こちらが困るんです」
「何でだ? 急いでるし、襲わないぞ。距離も離れてるし、何なら全裸でも平気」
蹴られる心配はないからとか、どこかピントのずれたことを言う魔術師に、こちらも目を逸らしながらリリアナは呆れる。
「アドリアンさま……。羞恥心は、どこに置いてきてしまったんですの」
「うーん、実家かな。無駄な鬱屈とか余分なものは全部捨ててきたから」
「羞恥心は余分じゃないと思いますわよ……」
「恥ずかしいのはさ、実際よりよく見られたいからでしょ。僕は、そういうのはないから。嫌われるのにも慣れてるし、困らないな。ーー大体終わったから、もうこっち向いたら」
「釦の位置がずれてますわ」
慌てて着たせいか、途中から釦の位置がずれて、シャツの胸の辺りがふくらんでいる。
「あれ? あー、そうだマリヤ。これ」
アドリアンは、服を直しながら左手でゴソゴソと脱いだローブをさぐって、何か金属製のものをぽいっとマリヤに放った。
「なんですの?」
思わず受け取ったマリヤは、手の中のものを見て首を傾げた。繊細な意匠の銀色のバングルである。花を象った飾りがついており、花弁のひとつひとつに透明の石が填まっている。
「二の腕につけて。いや、僕じゃなくて、きみが。二の腕なら服に隠れるでしょ」
「え?」
「この間から気になってたんだよね。きみ、ちょっと体内に魔力貯めちゃってるでしょ。体が熱っぽくない? それ、よくない兆候だから。魔石を身に付けておくといい。服の外からでも分かるくらい光り出したら新しい石に替えるから言って」
「え、でも」
「あげるよ。気にすることないから。とにかく、体内に魔石が出来ちゃうと大変だから、すぐ着けて。何なら、寝室の方に入っていいから、早く」
気圧されたのか、言われるままにマリヤは、奥の部屋に行った。ややあって、小さく悲鳴があがる。
「何ですかこれ! 勝手に締まったんですけど」
「便利でしょ。サイズを図る必要がなくって」
「そういうことは、先に言ってください!」
「あー、悪い悪い。うっかりしてた」
魔術師は、悪い顔で、すこしも悪く思ってなさそうに言って、小さな声で実は簡単には外れないのも言い忘れたと付け加えた。もちろんマリヤには聞こえないようにだ。そうしてリリアナには、よく聞こえるような普通の声量で、そういえばさ、とすぐそこに本人がいるのに噂話を始める。
「彼女、すごく人気があるんだね。後で気が付いたけど、締まるところは締まっててスタイル抜群だし。なんかエロいっていうか。きれいな足なんだから、隠すことないのに」
「こンの、大馬鹿!!」
マリヤは、叫んで背後から重ねた両手で脳天から打撃を加えて、走り去っていった。
「……今の、わざとでしょう。叩かれるのが趣味なの?」
リリアナの声が冷たくなるのも当然であった。
「いやいやいや、違うけどね。うー、いててて。彼女、魔術師の才能があるんだよ。絶対こっちに引きずり込んでやろうっと」
危険なのも本当だけどね、と言いつつ叩かれたところに手を当てて唸っている。
「魔力を体内に溜めちゃうと、魔石ができてしまうんだけど、それで内臓やられてしまう人もいるから。大魔術師への近道でもあるけど、そんなものは……」
続く言葉はない。つぶやく声は、リリアナには少し暗い色を帯びて聞こえた。




