3 愛想を尽かされるわけがない
カロリーネが見当たらない、とエリオットは不機嫌を振り撒きながら足を踏み鳴らして周りを睨む。チャコールブラウンの制服は特注品のように見目麗しいエリオットによく似合う。普段なら完璧な自分を崩さないように顔を歪ませたりはしないのだが、今日は違った。
(なんでカロリーネがいないんだ?このオレがわざわざ待ってやってるんだぞ)
今朝、エリオットは昨夜の約束を無視したのはさすがにまずかったと思い立ち、ご機嫌取りにカロリーネと共に登校しようと部屋を出た。だが、何分経っても彼女は現れない。いつもならすでに男子寮の前でクルクルに巻いた似合もしない髪型で待っているというのに。
──まさか、拗ねているのか?
エリオットは心底面倒くさそうにため息を吐く。これだから嫌なんだ。ちょっとしたことをいちいち気に病んで。エリオットは朝からカロリーネのことを考えるのが嫌で、げんなりした。
仕方ない、あと十分は待ってやるか。エリオットがそう決心したところ。
「おい、カロリーネ嬢に昨日のことを謝ったか?」
カロリーネより早く、朝早くから鬱陶しい説教を垂れてくる友人が現れた。全く、どいつもこいつも面倒くさい。エリオットは友人の胴にきつく通学鞄をぶつけてひとりでずんずんと歩き出した。
「カロリーネは今日は休みです」
王立学園に着くなり、エリオットがカロリーネと何度か喋っているところを見かけたことがあるアンドレカに、廊下で彼女のことを尋ねるとつっけんどんにこう返された。カロリーネの友人らしきアンドレカに何か文句を言ってやろうと口を開きかけると、逆に怪訝な顔をされてしまった。「婚約者なのだから当然知っているのでは?」と正論を言われ答えに詰まる。
(どこまでオレに恥をかかせるつもりなんだ!)
そう叫びたい衝動に駆られたが周りの目がある以上口をつぐむしかない。エリオットは苛立ちを抑えながら相槌を打つ。
「婚約者のオレに連絡さえも寄越さないんだ、困った奴だよ。きみからも注意しておいてくれ」
「今、なんておっしゃいました?」
アンドレカの咎めるような視線。エリオットは予想外の反応をされて動揺する。共感が得られるものだとばかり思っていたからだ。
「え?あ、ああ、気分を悪くしたのなら謝る」
「……そうですか」
アンドレカは何か言いたげにエリオットの方をちらりと一瞥してから自分の赤毛に視線を戻した。
「もうお邪魔しても?」
「あ、引き留めてすまなかった」
エリオットは自分のどの発言が悪かったのかわからなくて小首を傾げる。それを横目で見たアンドレカはちょうど廊下の向こう側から来た自分の婚約者、ヴォルの制服の裾をぐいと引っ張ってそのまま去っていった。
──いくつかの授業を受け終えてやっとの昼休憩。
エリオットの周りには令嬢たちによる人だかりができていた。
「エリオット様、今日は私と昼食を!」
「抜け駆けはよしてくださる?わたくしがさきよっ」
あらゆる女性の色めきだった声を聞いてエリオットが満足げにふんぞりかえる。王立学園ではリュカの次の次の次くらいにエリオットが女性人気を勝ち取っていた。毎日こう騒ぎ立てられるものだから悪い気分にはならない。
カロリーネがいる時は彼女のじとっとした目を気にして断るところだが──
迷いのあるエリオットの目にひとりの女性が映った。桃色のふわふわとした髪にキャラメルのような瞳。可愛らしいその娘は甘い声を出してエリオットの腕に飛びついた。
「エリオットさまぁ、今日はカロリーネさまがいないのでしょう?ぜひわたしと!」
それもそうだ。今カロリーネは不在なのだ。エリオットは頬を緩めきって彼女の手を取ろうとした。
が、エリオットの上からにゅっと手が伸びてくる。
「ごめんね、エリオットには先約があるんだ」
「フィニルタ、生徒会長」
エリオットはげっと声を漏らさないように我慢する。フィニルタはエリオットの一学年上の上級生で、この学園の生徒会長だ。彼の誘いを断れるはずがない。「でもぉ」としぶる令嬢をフィニルタは優しく、でも強引さを秘めた物言いで追い払った。
「生徒会の仕事なんだ、いいかな?」
エリオットは生徒会の一員である。ただチヤホヤされたいから入ったに過ぎないのだが。
(こんなことなら入るんじゃなかった)
こころの中で小さく舌打ちをしてフィニルタに続く。
「さっきはごめんね。好意を向けていない令嬢たちに囲まれて大変そうだったから」
何だか妙な圧を感じたが、エリオットは知らんふりをして「結局、用はないんですか」と返す。
「うん、ないよ」
なら邪魔をするなよ、とエリオットはフィニルタをこっそり睨みつける。フィニルタはそれに気づきつつも笑みを崩さない。
「婚約者は大切にした方がいい」
「あー、そうですね」
(カロリーネに大切にする価値があるとは到底思えないけどな)
エリオットは生徒会長の手前、自由な物言いができないため心の内で悪態をつくことにした。
「最近はカロリーネ嬢と、どうだい?」
「あー、まあまあ、ですかね。でも粘着質なところは……ちょっと」
「粘着質?彼女が?」
「毎日一緒に登校するために朝早くから待っているんですよ?授業は全部一緒、頼んでもいないのに課題を手伝ってきて……」
最近は課題を押し付けたりもすることが多いけど、まあ間違ってはいないだろう。カロリーネの行き過ぎた好意は自分には重すぎる。
フィニルタは愚痴をこぼし続けるエリオットにうんうんと相槌を打つ。
「あ、ご友人だよ」
エリオットの愚痴が中盤に差し掛かった頃、フィニルタは男二人組にすらっとした指を向けた。
「げっ」
今度こそ声が出た。
片方が昨夜から説教を垂れてくる友人だったからだ。あちらもエリオットに気付き、駆け寄ってくる。
「あっ、エリオット!」
同時にフィニルタが急用を思い出したと言ってきた。
「今すぐ行かなきゃ」
「それじゃ」とフィニルタは爽やかに手を振り反対方向に戻ってしまう。これで彼を盾にすることはできなくなった。
エリオットはうるさい友人を押し除けながら早歩きで食堂へ向かう。だが向こうもしぶとい。
「そんな態度じゃ愛想を尽かされるのも時間の問題」だとか「婚約者が可哀想」だとかいい加減なことを言ってくる。かけられた言葉全てにそんなことない、と断言できるほどエリオットは確信を持っていた。
自分はカロリーネに迷惑なまである熱情を向けられている、と。
「はいはい、わかったよ、お前に相談したのは間違いだった」
「相談?お前がしてたのはただの愚痴だろう」
エリオットが足を早めると向こうもそれに合わせてくる。
「なあ、聞いてるか?こんなんじゃ婚約破棄も秒読み──」
「本当にうるさいな!」
エリオットは力強く、念押しするように友人の胸を指でドンと叩いた。それが思ったより強かったようで友人はよろける。その場を静観していた片方がそれを支えた。
「……お前を友人だと思っていた俺が馬鹿だった。最低だよ、お前」
友人は泣きそうな、いろんな感情が入り混じった目でエリオットを見つめる。熱のこもった言い方に反してその瞳がいやに冷ややかだ。そして彼はもう片方を連れてエリオットの前を横切った。
エリオットは彼が怒っている理由がさっぱりわからない。ひとりで勝手に熱くなって、何がしたいんだ。そういえば彼は変に正義感が強いやつだった。
(どうせあっちが謝ってくる)
明日くらいにはカッとした頭も冷える。
友人の忠告よりエリオットは食欲がいつの間にか失せていることに苛立ちを覚えた。
(本当にいい迷惑だ)
本当は今日見舞いにでも行こうと思っていたが、行く気が失せた。ご機嫌取りはまた今度でいいだろう。
(オレがカロリーネに愛想を尽かされる?そんなわけない)
エリオットは友人の言葉を鼻で笑う。
──だって、カロリーネはオレにベタ惚れなんだから。




