1 あなたが言ったから
カロリーネはいつの間にか会場を出ていた。どうやって出たのかはわからない。だけど、相当な注目を浴びていたのは確かだろう。まだ体に火照りが残っている。
『あんなに趣味の悪い服を着て……』
今夜約束をしていた相手──そう、エリオット。彼の声が頭に浮かび、磨きぬかれた噴水に映った自分の姿を確認する。
「……ひどい姿」
普段はしていない化粧をしたせいか、おしろいが浮いている。カロリーネにはとてもじゃないが似合っているとは言えないきつい口紅も不自然だ。派手なドレスについた自分の顔ほどもある大きいリボンは野暮ったく見えるし、走ってきたせいか髪も乱れている。
どれも彼女に似合わない。
彼がああ言うのも無理はない。理解っている。理解っているけれど……
婚約者の名を泣いて叫ぶことも、会場に戻って彼を非難するなんてこともしたくなかった。今はもう、何もしたくない。噴水に腰掛け、星空を眺める。
『鬱陶しい』
『期待はずれ』
『パッとしない』
きっと、エリオットの言葉ひとつひとつ、すべてが正しいのだろう。婚約者なのだからと甘えて一緒にいようとしたのはカロリーネ自身だ。趣味の悪い服を着てきたのも、カロリーネ。
カロリーネは澄んだ瑠璃色の瞳を閉じて、思った。
──でも、だけど。私をこうしたのはあなたでもあるのよ。
生まれた時から、カロリーネとエリオットは婚約者同士だった。
カロリーネの生まれたアミスカ伯爵家とエリオットの生まれたランスール子爵家。カロリーネの親と彼の親は驚くほど仲が良く、お互いの子供が生まれたら婚約させよう、などと約束を取り付けていたらしい。約束を取り付けた矢先、エリオットが生まれ、そしてカロリーネが生まれた。ちょうどいいタイミングで生まれたものだから、両親は喜んで彼女たちを婚約させた。
親に決められたからこそ、せっかく婚約したのだから愛を育んでいきたい。そう思って彼に接していると、彼もそれに答えてくれた。両親が私たちの仲を深めようとして企画したデート、その何回目かに一緒に花を見に行った帰り、彼ははにかみながら言ったのだ。
『きみみたいに可愛い娘こ、とられないようにしないとね』
エリオットには初めて会った時からその端正な顔立ちや振る舞いに少し好意を寄せていた。癖っ毛なブロンドの髪にトパーズを思わせる瞳。
その上こんなことを言われたのだから、嬉しくて、恥ずかしくて、うまい返しが思いつかなかった。その日はそれで会話は終わってしまったけれど、好意を寄せるには十分すぎる出来事だった。
当時の彼女にとって、同年代の男の子からそんなことを言われたのは初めてのことだったのだ。
令嬢のほおをたちまち紅色に染めてしまう褒め言葉も、優しい微笑みも、こちらをリードしてくれる力強さも、すべてが彼から与えられたはじめて。
それに、甘えすぎてしまったのだ、きっと。
何かが変わり始めたのは十一歳の春。
これで何度目かの茶会でエリオットは遠慮がちに、だけどはっきりとカロリーネに向かってこう言った。
『カロリーネ、きみはあの娘みたいな可愛らしい服を着たらどう?』
エリオットが当然のように指すのはカロリーネとは似ても似つかない、“可愛らしい”を前面に出した少女だった。素朴だけれど、静かに在るカロリーネの美しさに、エリオットの言う“可愛らしい服”は到底合いそうにない。それを理解していたカロリーネは、その日も自分を引き立てるしなやかな花の刺繍をあしらえたドレスを身に纏っていた。エリオットはカロリーネの姿をいつでも褒めてくれたのに、なぜかその日は違った。
何も言えずにいるカロリーネにエリオットは追い討ちをかける。
『だって、ほら。なんだかきみの姿は……地味じゃないか』
少し気まずそうに口に出された言葉。
きっと、それが始まりだった。
それからもカロリーネへのエリオットの要求は続いた。
カロリーネがエリオットの要求を受け入れ続ける度、彼の語気はどんどん荒くなっていく。
『カロリーネ、もっと可愛い服を着てきな』
『きみにそれは似合わない』
『お前は可愛らしくないな』
『なあ、化粧ぐらいしたらどうだ?みっともない』
『他の奴を優先するな。オレだけを優先しろ』
褒め言葉は罵声に、優しい微笑みはせせら笑いに、カロリーネをリードしてくれる力強さは傲慢に。
だけど、カロリーネは彼の要求を生真面目に聞き入れていった。
お淑やかなドレスはリボンのついたフリフリのドレスに。
控えめな化粧から誰もが振り向くような派手な化粧に。
友人との時間をエリオットと過ごす時間に。
今夜の約束だって。
『明日のパーティーはオレがエスコートしてやる』
エリオットはもう一年も前からカロリーネを何かに誘うことがなくなっていた。たまのデートを誘うのはいつもカロリーネから。だから明日のパーティーは友人と行こうか、などと予定を立てていた。なのについ昨日の昼、直前にそう言われたものだから、カロリーネは戸惑いと喜びを噛み締めながら急いでパーティーの準備した。エリオットの趣味に合う服を選んで、自分の顔には合わない可愛らしい化粧をした。
──だけれど、全部、無駄だったのね
カロリーネの頭の中に再び彼の忌々しげな声が蘇る。
『期待はずれの女』
(これまでの努力はなんだったんだろう)
努力。それは努力のはずだった。努力は空回りして、エリオットにも嗤われる始末。
こぼれる涙を拭いもせず、もう誰もいないバルコニーを見つめ続ける。
今すぐエリオットが駆けつけてあんなの全部冗談だと笑ってくれやしないだろうか。
(ああ、あんなことを言われたのに、まだ期待してしまっている)
自身を照らしてくれた太陽みたいな笑顔を、差し伸べてくれた手のひらを探してしまっている。
(私ってどこまでも面倒臭い女ね)
カロリーネは愚かな自分を鼻で笑った。だから陰であんなことを言われるのだ。
勝手に期待されて、勝手に傷つかれて。こんな面倒な女が婚約者だなんて、エリオットも良い迷惑だろう。
──自分勝手に期待するのをやめたら、彼は私を鬱陶しい女だと思わなくなるだろうか。




