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追放された魔力ゼロの土壌オタク、モフモフ神狼の落とし物で死の大地を豊穣の楽園に変える~土を殺した兄は地脈枯渇で破滅する~  作者: 黒崎 隼人


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第9話「鉄の刃と広がる緑の波」

 夜明け前のひんやりとした空気が、荒野の岩陰を静かに包み込んでいる。

 アルトは自分の息がかすかに白く濁るのを見つめながら、真新しい鉄のカマを右手に握りしめた。

 磨き上げられた鉄の表面が、東の空から漏れ始めた薄明かりを反射して冷たく光っている。

 手作業で削り出した木の柄はまだ少し角張っていたが、両手でしっかりと包み込むと、ずっしりとした頼もしい重みが手のひらに伝わってきた。

 これまでは落ちていた鋭利な石の破片を使い、手に血をにじませながら麦の茎を刈り取っていた。

 アルトは足幅を広げ、腰の高さまで成長した黄金色の麦畑の前に立つ。

 深く息を吸い込み、腕の筋肉を引き絞って、手首のスナップを効かせながら鉄のカマを真横に振り抜いた。

 刃が麦の群れに触れた瞬間、抵抗らしい抵抗はまったく手元に返ってこなかった。

 みずみずしい繊維が刃先を滑るように断ち切られ、数十本の太い茎が同時に崩れ落ちる。

 切り口からは、太陽の熱と土の栄養をたっぷりと吸い込んだ、青く甘い樹液の匂いが弾け飛んだ。


「すごいな。石の道具とは比べ物にならない」


 アルトは切り倒された麦の束を見下ろし、かすれた声で感嘆を漏らす。

 一振りの労力で、これまでの十倍以上の面積を刈り取ることができる。

 開拓の速度を劇的に引き上げる、まさに文明の利器だった。

 背後で乾いた土を踏む軽い足音が聞こえ、アルトは振り返る。


「私も、新しいクワを使ってみたわ。土がまるで水みたいに柔らかく返るの」


 リリアが、自らの背丈ほどもある長い鉄のクワを肩に担いで歩いてきた。

 街の服屋で新調した深い森の緑色をしたチュニックが、彼女のしなやかな動きに合わせて滑らかに揺れる。

 裾の丈は足さばきを邪魔しない絶妙な長さで、革のズボンが彼女の細く引き締まった脚のラインを美しく際立たせていた。

 これまで身にまとっていたボロボロの外套とは違い、上質な綿の布地は彼女の肌に優しく馴染んでいる。

 頭頂部の獣の耳が、心地よさそうに風を切って小刻みに動いていた。

 リリアはアルトの隣に立ち、クワの刃を大きく振りかぶって足元の土に打ち込む。

 分厚い鉄の刃が、ルヴァの肥料をすき込んだ黒褐色の土壌に深く突き刺さる。

 柄を手前に引くと、たっぷりと空気を含んだ土が、内部に蓄えられた豊かな水分とともにひっくり返った。

 土の奥底から、発酵の過程で生まれたじんわりとした熱気と、森の奥深くを思わせる濃密な匂いが立ち上る。

 彼女の額にはうっすらと汗がにじんでいたが、その横顔には労働の苦痛ではなく、確かな喜びが満ちていた。

 少し離れた岩の上では、ルヴァが前足を組んで腹ばいになり、黄金色の瞳を細めて二人を見守っている。

 その周囲には、街への荷運びを終えて休息をとっていた銀狼の群れが、思い思いの姿勢でくつろいでいた。

 彼らの毛並みは、アルトたちの麦を腹いっぱいに食べたことで、かつての薄汚れた姿が嘘のように銀色の輝きを放っている。

 筋肉は豊かに隆起し、呼吸のたびにしなやかな肉体が波打つのが見えた。

 片目に傷のあるリーダー格の狼が立ち上がり、長く美しい尻尾を揺らしながらアルトの元へ歩み寄る。

 彼は鼻先をアルトの手のひらに押し当て、作業を手伝う意思を示すように低く喉を鳴らした。


「ありがとう。それじゃあ、刈り取った麦を向こうの岩陰まで運んでくれるか」


 アルトが短く指示を出すと、片目の狼は仲間たちを振り返り、短く吠える。

 狼たちは一斉に立ち上がり、アルトが束ねた麦を器用に口にくわえ、次々と指定された場所へ運び始めた。

 人間の数倍の筋力を持つ彼らの手伝いにより、収穫の作業は信じられない速度で進んでいく。

 太陽が中天に差し掛かる頃には、広大な畑の半分以上が刈り取られ、新たな種を蒔くための黒い土がむき出しになっていた。

 アルトは額の汗を袖でぬぐい、水筒の水をあおる。

 喉仏を上下させて冷たい水を飲み下しながら、彼はさらに遠くの荒野へと視線を向けた。

 鉄の農具と狼たちの労働力があれば、今の畑の面積を三倍、いや五倍に広げることも不可能ではない。

 しかし、面積を広げれば広げるほど、作物を育てるための水が深刻なまでに不足する。

 岩陰の小さな水場から湧き出る量だけでは、いずれ限界が来るのは明白だった。


「リリア。少しここを離れて、水源の調査に行こうと思う」


 アルトの言葉に、リリアはクワを置いてうなずく。

 二人はルヴァに留守を任せ、水場から続くわずかな湿気の痕跡を頼りに、岩山の奥へと足を踏み入れた。

 乾いた風が吹き荒れる荒野の中にあって、その岩山の一部だけがかすかに冷気を帯びている。

 足元の土を手ですくい上げると、表面は白く乾燥しているものの、指先には微かな冷たさが残った。

 地下深くを流れる水脈が、どこかで岩の亀裂からにじみ出ようとしている証拠だ。


『この岩の壁の向こう側に、まとまった水があるはずだ』


 アルトは鉄のクワを両手でしっかりと握り直し、岩肌のひび割れた部分に向かって力任せに振り下ろした。

 硬い衝撃が両腕を伝い、肩の関節を激しく揺さぶる。

 火花が散り、もろくなっていた岩の表面がパラパラと崩れ落ちた。

 アルトは何度も何度も、息を乱しながらクワを打ち込み続ける。

 やがて、岩の奥深くから、くぐもった水の流れる音が聞こえ始めた。

 最後の一撃を振り下ろした瞬間、岩の壁が大きく崩れ落ち、その奥から澄み切った地下水が勢いよく噴き出した。

 冷たい水しぶきがアルトの顔を打ち据え、乾ききった岩肌を濡らしていく。


「やったわ。これで、畑をどこまでも広げられる」


 リリアが歓声を上げ、噴き出した水に両手を差し出す。

 アルトはあふれ出た水が荒野へと流れ出さないよう、急いで土と小石を積み上げ、即席の水路を作り始めた。

 鉄のクワを使って土を深く掘り下げ、畑へ向かうなだらかな傾斜をつけていく。

 水は新しく作られた溝を滑るように流れ、発酵床をすき込んだばかりの黒褐色の土へと吸い込まれていった。

 水路の完成により、土の中の微生物たちは爆発的な増殖を開始する。

 土全体が生き物のようにかすかに脈打ち、さらなる熱を帯びていくのがわかった。


 それから数週間。

 豊穣商会の勢いは、誰にも止めることができない領域へと突入していた。

 潤沢な水と極上の肥料を得た大地は、黄金の麦だけでなく、アルトが街で仕入れてきた様々な種を見事に育て上げた。

 特に、砂漠地帯で育つはずだった分厚い葉を持つ根菜は、ルヴァの魔力を吸い上げることで巨大化し、大人の頭ほどもある鮮やかな紫色の実を土の中に結んだ。

 刃を入れると、中からは果実のように甘く、疲労を一瞬で吹き飛ばすほどの栄養を秘めた水分があふれ出す。

 アルトとリリア、そして銀狼の群れは、三日に一度のペースで辺境都市への行商を繰り返した。

 今や、彼らが市場の空き地へ向かう必要はなくなっていた。

 街の巨大な鉄格子の門の前には、豊穣商会の到着を待ちわびる商人たちが長蛇の列を作っているのだ。

 狼たちが姿を現した瞬間、商人たちは血走った目で硬貨の袋を振りかざし、狂乱の取引が幕を開ける。

 アルトは感情を一切交えず、冷静に作物を配分し、莫大な富を袋へ詰め込んでいった。

 拠点となる岩陰の周囲は、すでに荒野の面影を完全に失っていた。

 見渡す限りの緑と黄金色が風に揺れ、小川のように引かれた水路が太陽の光を反射してきらきらと輝いている。

 街で買い付けた木材と帆布を使い、雨風をしのぐための立派な天幕と倉庫も完成していた。

 夜になり、満天の星空の下で、アルトは巨大な紫色の根菜をかじりながら自らが作り上げたオアシスを見渡した。

 隣ではリリアが、新しく買った柔らかい毛布にくるまりながら、穏やかな寝息を立てている。

 死に絶えた大地を自らの手で蘇らせ、命の循環を確立した。

 その確かな手応えが、アルトの胸の奥で静かに、だが熱く燃え続けていた。

 しかし、彼の視線はふと、遠く西の空へと向けられる。

 そこは、彼を追放した兄、ガリウスが治める侯爵領がある方角だった。

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