第10話「枯渇する地脈と忍び寄る軍靴」
◇ガリウス視点
開け放たれた豪華な窓枠から、ひび割れた大地をなめるように這ってきた熱風が執務室へと吹き込んでくる。
風に乗って運ばれてきた細かい灰色の砂が、磨き上げられた大理石の床に薄く降り積もった。
ガリウスは苛立たしげに舌打ちをし、金糸の刺繍が施された厚手の外套の襟元を乱暴に引き下げる。
首筋にはじっとりとした汗がへばりつき、最高級の絹で作られた肌着が不快に肌にまとわりついていた。
彼は窓辺に立ち、眼下に広がる侯爵家の直轄地を見下ろす。
かつては大陸中から集められた希少な植物が、魔法の力によって季節を問わず色鮮やかに咲き誇っていた庭園だった。
しかし今の惨状は目を覆うばかりだ。
見渡す限りの土は生気を失い、骨のように白く変色して深くひび割れている。
植物の茎は水分を完全に失って茶色く縮れ、わずかに残っていた花弁も、風が吹くたびに粉々になって虚空へ散っていった。
『あの無能が言っていた通りになったというのか』
ガリウスの脳裏に、土にまみれて土壌の危機を訴えていた弟の顔がよぎる。
彼は反射的に窓枠を強く殴りつけた。
鈍い音が室内に響き、拳の関節に鋭い痛みが走るが、胸の奥で渦巻く怒りの炎はまったく収まらない。
領地を維持するために、侯爵家は代々、強力な魔法陣を使って地脈から直接魔力を吸い上げ、作物の成長を強制してきた。
それが貴族の強大な力であり、魔力を持たない平民や土くれの微生物などに頼る必要など一切ないはずだった。
しかし、数ヶ月前から事態は急変した。
いくら高位の魔術師を動員し、大量の魔石を消費して魔法陣を起動させても、土は一切の反応を示さなくなったのだ。
作物の種を蒔いても、芽を出す前に黒く変色して崩れ落ちてしまう。
大地そのものが、魔力の搾取を完全に拒絶しているようだった。
背後の重厚なオーク材の扉が、控えめな音を立てて開いた。
振り返ると、灰色のローブをまとった老齢の魔術師が、震える両手を腹の前で組み、深く頭を下げて立っていた。
ローブの裾は白茶けた砂埃で汚れ、その顔には深い疲労と絶望の色が濃く刻まれている。
「報告しろ。東の農区の状況はどうなっている」
ガリウスは冷たく言い放ち、執務机の後ろにある大きな革張りの椅子に腰を下ろした。
老魔術師は乾いた唇を震わせ、ひきつった声で答える。
「申し訳、ございません。東の農区も、完全に沈黙いたしました。新たに投入した魔石は、土に触れた瞬間に砂と化し、地脈の反応は……完全に消失しております」
「消失だと。魔力が枯渇したとでも言うのか」
ガリウスの声が一段低くなり、執務室の空気が氷のように冷え込む。
「は、はい。もはや、この領地の土には、魔法を受け入れるだけの器が残っておりません。すべてが、死に絶えております」
老魔術師の言葉が終わるか終わらないかのうちに、ガリウスは机の上にあった銀製の重い酒杯を無造作に掴み、魔術師の足元へ向かって全力で投げつけた。
酒杯は石の床に激突して大きな金属音を響かせ、無惨にひしゃげて転がる。
老魔術師は短く悲鳴を上げ、その場にへたり込んだ。
「言い訳など聞きたくない。魔法が足りないなら、貴様らの寿命を削ってでも作物を芽吹かせろ。この領地が干上がれば、侯爵家の権威がどうなるかわかっているのだろうな」
ガリウスが立ち上がり、魔術師の胸倉を掴み上げようとしたとき、再び扉が開いた。
今度は、領地の財政を預かる家令が、血の気を失った青白い顔で転がり込んでくる。
彼の手には、赤いインクでびっしりと数字が書き込まれた分厚い帳簿が握られていた。
「当主様。一大事でございます。下層の街で、食料の配給を求める領民たちが暴動を起こしました。倉庫の備蓄はすでに底を突き、軍の兵糧すら今月末には枯渇いたします」
家令の報告に、ガリウスは魔術師から手を離し、額に青筋を立てた。
飢饉が現実のものとなり、領地の経済が完全に崩壊しようとしている。
強大な力で支配してきた領民たちが、飢えによって暴徒と化すのは時間の問題だった。
「近隣の領地から買い付ける手筈はどうなっている」
「それが……各都市の商人たちが、こぞって西の辺境へと向かっており、こちらへ作物を回す余裕はないと跳ね除けられております」
「西の辺境だと。あんな僻地に何があるというのだ」
ガリウスがいらだちを隠せずに問い詰めると、家令は怯えたように身を縮め、震える声で続けた。
「『豊穣商会』と名乗る、正体不明の商人です。巨大な銀色の狼を従え、これまでに見たこともないほど高品質で魔力に満ちた麦や野菜を、莫大な量で売り捌いているとのこと。その作物を口にすれば、数日間の疲労が瞬時に消え去ると、市場は熱狂の渦に包まれているそうです」
その言葉を聞いた瞬間、ガリウスの心臓が不快なリズムで大きく跳ねた。
西の辺境。
そこは数ヶ月前、魔力を持たない弟のアルトを追放した不毛の荒野がある方角だ。
土いじりに執着していたあの無能が、巨大な商会を立ち上げて奇跡の作物を生み出しているというのか。
『あり得ない。あのようなゴミに、大地の恵みを生み出す力などあるはずがない』
ガリウスは強く首を振り、自身の思考を打ち消す。
偶然、あの荒野の奥地に未発見の豊かな土地が存在し、正体不明の商人がそれを独占しているだけだ。
誰が育てていようと関係ない。
その作物が持つ強大な魔力と生命力があれば、領地の飢饉を救い、失いかけた権威を完全に取り戻すことができる。
「騎士団長を呼べ」
ガリウスの低い声に、家令が顔を上げる。
ガリウスの瞳には、飢えた獣のような暗く濁った欲望の光が渦巻いていた。
「全軍に出撃の準備をさせろ。西の辺境へ向かい、その『豊穣商会』の拠点を見つけ出せ。逆らう者は切り捨てて構わん。土地も、作物も、その銀狼とやらも、すべて侯爵家の名の下に奪い取れ」
「しかし、明確な理由もなく他者の商会を武力で制圧すれば、王家からの監査が……」
「黙れ。この領地を救うためだと言えば、後からどうとでも言い繕える。法など、強者が弱者を踏みにじるための飾りにすぎない」
家令はガリウスの狂気をはらんだ視線に気圧され、青ざめた顔のまま逃げるように執務室を飛び出していった。
ガリウスは一人残された部屋で、再び窓の外の死んだ大地を見下ろす。
彼には、命の循環や土への敬意など一切理解できなかった。
世界は自分に奉仕するために存在し、奪い取ることでしか価値を証明できないと信じ込んでいる。
窓ガラスに映る自身の歪んだ笑顔を見つめながら、ガリウスは乾いた笑い声を上げた。
軍靴の響きが、平和な開拓地を蹂躙するために静かに動き始めていた。




