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ルザミラの専属になったアガネルはお茶の用意をしていた。彼女の役に立つべく他の使用人たちの会話を盗み聞きしては書き溜めてきたお嬢様情報帳を活用することも忘れずに。
お嬢様のアップルパイの好みはシナモン少なめ、リンゴは薄くスライスしたものをたっぷり盛り込みじっくりと焼いたもの。とろりと溶けるリンゴの甘味が彼女の好みらしい。
「あら、今日のおやつはアップルパイなのかしら?」
「ええ、今朝採れたばかりのリンゴと先日我が領一の麦農家が収めた麦を挽いた小麦粉を使用しております」
そして、ルザミラの好みに合致する完璧なアップルパイを提供するべくアガネルが作ったのである。リンゴも裏庭の一角で必死に肥料などを調べてアガネルが栽培しているもの。
「そうなの、嬉しいわ。アガネルも一緒にいただきましょう?」
「そ、そんな、恐れ多いです。私は執事なのですよ?」
「それでもいいのよ。美味しいものは皆で食べたほうが美味しいと相場が決まっていましてよ」
ルザミラの申し出は嬉しいものだが、身分の差を無視してまで受けるわけにはいかない。彼女の父親は辺境伯なのだから、ルザミラにはその自覚を持ってもらわなければならないだろう。
堅苦しい理由で好意を無碍にするのも忍びないので、一体どうこのお誘いを回避するか。アガネルは子どもたちに教訓を与える昔話という存在を利用することにした。
「お嬢様、それでは1つ昔話を致しましょう」
「昔話?」
「ええ、昔話にございます」
あるところに良家の娘が暮らしていた。彼女は純粋無垢な心を持ち、人を疑うということを知らず、貧富の差も気にせず誰とでも平等でありたいと思っていた。ある日彼女は使用人の男をお茶の時間に誘い、共に茶菓子を口にした。しかし、その男は下心を持っており、彼女の家の財産や美しい彼女自身を狙っていたのだ。
茶や菓子を用意する使用人であれば、睡眠薬をその中に仕込むことなど造作もない。ましてや、相手は人を疑うことを知らない世間知らずの娘、毒見もなしにそれらを口にすることも男は知っていたのだ。
「と、そんなお話にございます」
「酷い使用人もいたものね」
教訓性を借りるために昔話だと言っただけで、これは作り話であるが、ルザミラのように気楽に低い身分の者を茶に誘うようなお嬢様がいるのだから類似の事件はどこかの時代、どこかの場所で起きたことがあるかも知れない。
少し眉を下げて上目遣いで呟くルザミラに、アガネルは少し申し訳なさを抱いた。しかし、身分の差を理解しなければ後々困るのはルザミラなのである。それに、この場所は屋敷の中からもよく見える。主従の関係を逸脱するような行為に及べばすぐさまベルリツに伝わりアガネルの首が飛ぶことになるだろう。
「いえ、お嬢様、警戒心をお持ちになっていただかなければこのアガネル、貴女様のことが心配で夜も寝られなくなってしまいますよ」
「まあ、そうだったの……ごめんなさいね」
「ルザミラお嬢様、貴女様のそのお気持ちが嬉しゅうございます。ですので、お嬢様が謝られることは何もございませんよ」
結局落ち込ませてしまったと内心慌てたアガネルはそう言ってフォローしようとする。しかし、アガネルが優しくすればするだけルザミラは罪悪感に苛まれるのだ。
時間を戻る前に不幸にしてしまった、時間を戻ってもまた、迷惑をかけて気を使わせてしまった。そう思ったルザミラは、まだ失態を取り返せるかを知りたくてアガネルに1つ質問をしてみることにした。
「アガネル、私、これまでもこれからも、いっぱい間違えちゃうと思うの。それでも、アガネルは私に今回みたいに教えてくれるかもしれないけど、その、それってアガネルの負担にならない?」
アガネルは少し驚いた顔をした。本人は自覚がないようだが、案外顔に出やすい質なのかも知れない。派手な表情の変化は無くとも、よく見ていれば一瞬だけ何を考えているか筒抜けな顔をするその執事に、ルザミラは不思議な感情を抱いた。
「少なくとも私は負担だとは思いませんね。これが私の仕事ですし、ルザミラ様の健やかな成長を側で見ていられることこそが我々使用人の仕事のやりがいというものですから。それに、何度も失敗を重ね、他の人間を頼り、わからないことは誰かに教わって人は成長するものですからね。人に迷惑をかけまいと過度に失敗を恐れられたほうが困るといいますか……ともかく、負担になることはありませんのでご安心くださいませ」
「そ、そう? その、感謝いたしますわ」
ルザミラはそう言って前髪をいじった。指にくるくると巻かれる艷やかな黒髪に照れ隠しの気配を感じてアガネルはほほえましい気持ちになる。
無自覚に頬が緩んだアガネルの柔らかい微笑みが視界の隅に映り、ルザミラは安心した。このときルザミラは少しだけ胸のつかえが取れ、前に進めた実感を得たのだった。




