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「きっと、大丈夫なはず、大丈夫よ、ルザミラ……!」
自らにそう言い聞かせ、ルザミラは父の執務室の戸を叩いた。重厚な木の扉は低い音を立ててルザミラの来訪を辺境伯へと告げる。間もなく、落ち着いた父、ベルリツ・フェリゲラーノからの返事があった。
「ああ、入りなさい」
「お父様、ルザミラが失礼しますわ」
「おお、ルザミラ。一体どうしたのだね?」
愛娘の姿を目にしたベルリツは嬉しそうに頬をほころばせた。そして、娘のドレスがよく着ている装飾たっぷりのものではない、シンプルで大人びた、普段は衣装室の奥にしまい込まれているものであると気づく。緑色であるのは今日やって来ている家庭教師の瞳の色に合わせたのだろうか。これまでにそんなことを気にする様子を見たことはないが、子どもの成長は意外と早い。
これで、使用人たちへの態度が改善されたらなにも言うことはないのだが、ベルリツとしてはルザミラになるべくのびのびと過ごし、成長してほしいのだ。問題でも起きない限りは口出しをするつもりはあまりない。
「お父様、アガネルを私の専属執事にしていただけませんこと?」
「おお、ルザミラが人を気に入るなんて珍しいではないか。もちろん、と、言いたいところだが……そうか……アガネル・オールゲルか……」
「な、なにか問題がありまして?」
まさか渋られるとは思っていなかったらしいルザミラは思わず父の作業机の側まで駆け寄る。その様子を微笑ましい目で見つめてベルリツは顎髭を撫でる。
彼としては娘の望みとあれば聞き入れてやりたいのだが、何でも許可を出すわけには行かない。特に、ルザミラの言動をたしなめようと計画を立てているアガネルをルザミラの専属にすることについては慎重に審議をしたいと考えている。彼の計画はルザミラの将来にとって悪いものではないが、幼いルザミラに厳しく注意をして泣かせてしまうのではないかという懸念があるのだ。
アガネルをルザミラの専属にするのを渋るのには他にも理由がある。アガネルという使用人は元々冒険者だった。それをベルリツの今は亡き妻がスカウトしてきたのだ。そのスカウトの理由を妻は『きっとルザミラを慕って守り抜いてくれる執事になるんだもの』と語っていたが、立場上それだけで信用するわけにも行かなかったため彼の経歴は洗い出した。その結果、彼が隣国の貴族の捨て子であることも分かっており、それをなにかのきっかけでルザミラが知るとどんな反応をするのか予想できない。
「お父様、私、いい子にしますわ。どこに出ても恥ずかしくない淑女になりますの、だからお願い、アガネルを私にくださらない……?」
「ぐっ……、そこまで言うのなら、そうだな。彼を君の専属執事にしよう。だが、もし嫌なことがあれば遠慮なく言うのだよ」
「お父様! そう言ってくださると思っていましたわ!」
妻によく似た愛娘を前にして、ベルリツは立場ある人間としての理性を保てはしなかった。どうしても彼女の喜ぶ顔には弱いのだ。一体どうしてこの妖精のような娘の願いを切り捨てられるだろうか、とさえ思うほどに。
ルザミラは小さく跳ねて喜ぶ。ぱたぱたと揺れる手が子犬の尻尾のように愛らしい。
「ルザミラ、アガネルに愛想を尽かれないようにいい子にするんだよ」
「もちろんでしてよ、お父様!」
「ああ、うん。分かっているのならいいんだ」
ベルリツはルザミラがぱたぱたと走って退室するのを見送って小さく息をついた。ああ、後でアガネルに言って聞かせなければならないと。
そんな父の苦悩などつゆ知らぬルザミラは、これで前回の罪滅ぼしに一歩近づいたのだと思い、緩む頬を抑えられぬまま自室に向かっていた。ルザミラの我儘をたしなめたからというだけの理由で腹を刺して捨て置いてしまった執事の運命はこれで変えられるだろう。もう彼のことを傷つけるようなことをしなければいいのだから。
「お嬢様、おはしゃぎになってどうなさったのですか?」
「アガネル! あのねあのね、朗報よ!」
「朗報?」
廊下でたまたまであったアガネルに先程のことを教えようとするルザミラの声はとても明るく、今にもスキップをし始めてしまいそうなほど楽しげな色が見えた。
「お父様がアガネルを私の専属執事にしてくれるって言ってくださいましたの! これで毎朝貴方のホットミルクがいただけますわ!」
「お嬢様、私の仕事はホットミルク作りではございませんよ」
「うふふ、なんでもいいのよ、とにかくこれからアガネルは私の執事よ」
本当の目的は甘いホットミルクに隠してしまえばいい。時間遡行のことを話してしまえば、前の周回でしでかした悪事についても語らなければならなくなる。戻る前に傷つけてしまったこと、死なせてしまったことを教えたくなどない。そんなことを話して嫌われることや怒られることがとても恐ろしいのだ。
アガネルは変わらないスッキリした笑顔でルザミラとの会話を続けてくれる。ルザミラはそのことがとても嬉しかった。前の周回ではどんな人なのか知らないままに別れてしまったのだ、これからはきちんと話してその人となりを知っていきたい。そうすることではじめて彼への罪滅ぼしができるだろう。
「ねえ、アガネルは何が好きなの?」
「ルザミラ様、それは一体どういった意味のご質問でしょうか」
「好きな食べ物とか、好きな動物とか……? とにかくね、私はアガネルのことをよく知りたいのよ」
アガネルはふっと笑った。友人と話すときにはきっとこうして笑うのだろうと思ってしまうほど、いつもの涼しい顔とは印象の違う笑顔だった。すぐにいつもの執事らしい表情に戻ってしまったが、ルザミラはその顔を記憶に刻みつける。またいつか、同じように笑ってくれるだろうかと期待して。




