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ルザミラ・フェリゲラーノは転生者であった。ただし、その記憶が戻ったのは勇者と呼ばれた元婚約者、ケイルの持つ聖剣が血の花を咲かせたその瞬間だった。
使用人たちを理不尽な理由で攻め立て、無も知らぬ一人の使用人に逆ギレをして刺してしまった幼少期。友人だからとルザミラの婚約者にベタベタと触れる聖女に長期にわたる嫌がらせをして婚約を解消された1ヶ月前。邪精霊の甘い囁きに耳を貸して多くの無実の人間たちを虐殺してきたこの1ヶ月。到底許されないことをしてしまった後に思い出しても、できることなどなにもない。
「世界に仇なす悪魔よ、塵に還れ!」
彼の斬撃によって命を落とす、そう思って恐怖に目を閉じたその時、ルザミラはなにか温かいものを感じたのだ。それと同時に思い出された日本での記憶、その衝撃に思わず目を開いた彼女の眼の前にはかつて自分がフルーツナイフで刺して追放した使用人の男の姿があったのだ。痛みはない、使用人のその男に庇われたから。行動の自由はある、何故か自身を支配していた邪精霊がいなくなっているから。
使用人の男の体が地面に打ち付けられ、その場に大きな血飛沫の花が咲く。ああ、また罪のない人間がその生命を散らせる。自由の身になったルザミラだったが、前世の記憶が戻り、まともな倫理観をその身に宿してしまったがゆえに逃げられない。呆然とするケイル、当然だろう、人々を守るため、悪を断つために振るったその剣が無実の男を切り裂いたのだから。
「ぐ……っ、邪精霊は、祓えましたかね……?」
男のそんな声が聞こえた。罪悪感に支配されたルザミラの心は死を望む。しかし、まさに今死んでしまうその男はルザミラの生を望むというのだ。自らの胴体が2つに切り裂かれようとルザミラを守ろうとしたその男には申し訳ないが、やはりルザミラは逃げることができない。生きたいと願えない。
「貴方……っ、どうして私を庇ったのよ、私は、私は……っ」
地面にへたり込んでルザミラは涙を溢した。思わず触れた男の指先は熱を失ってゆく。何故彼が自分を庇ったのか理解できずにルザミラは泣くことしかできない。土や血液に汚れようと、そんなことは些細な問題だった。
ケイルはその光景を見つめてようやく言葉を絞り出す。「な、何をしたんだ……」と。しかし、その声はルザミラにも地に伏せた男にも届くことはない。そんな小さな吐息のような声だった。
「お、お願い! もう私のことは殺して、私のせいで沢山の人が死んだ、それなのに、それなのに……っ」
「……私が、もっとはやくに、邪精霊を祓えていたなら……貴女が傷つくことも、防げ……」
「だめ、だめよ、どうして私なんかを庇ったのよ、死んじゃだめ、だめよぉ……」
泣きじゃくって瀕死の男の体に縋り付くルザミラ。どうにか生きながらえさせようとして胴体を繋ごうと必死になる彼女だったが、回復魔法の類は何一つとして習得していない。そのことに絶望して血に塗れた真っ赤な手で顔を覆い声を上げて泣くルザミラを見て、ケイルは彼女がすでに邪悪な存在ではなくなっていることを察した。
ケイルは仲間の聖女にどうにかできないかと視線で問うが、聖女は無言で首を横に振る。剣士のルイエンも残念そうに顔を伏せて言った。
「もうだめだ、魂が消えてしまったんだ」
絶句する勇者パーティーのその様子には一度も目をくれることなく、ルザミラは後悔で泣き続けた。気を失うまで泣いた彼女を見下ろして聖女が一言こう言った。
「なにがあろうと、ルザミラ様がした罪は消えないのです。今のうちに王都に連行しましょう?」
誰も反論はできなかった。それほどまでにルザミラが殺した人数は多い。しかし、邪精霊の支配による部分も大きかったはずなのだ。それを無視して何事もなかったかのような表情でそう言ってのけた聖女に2人は僅かに反感を抱いた。
いくらルザミラの嫌がらせが陰湿だったとは言え、それだけで彼女にだけ非があるのだと思い込んでしまったことは早計だった。もしかしたら、この聖女こそがルザミラのことを罠に嵌めたのではなかろうか、そんな疑念さえ抱いた。王都に連行されたルザミラは憔悴しきっており、目覚めたのは処刑の2日前。何度か様子を伺いに行った人々に対して彼女は「もう終わらせてほしいの、私は許されないことを……。もう、取り返しはつかないんだもの」とだけ語った。
「処刑の時間だ。なにか言い残すことはあるか?」
「……もう、いいの」
もしも、早くに記憶が戻っていればこんなことはしなかっただろう。そんなことを考えたって意味がないとルザミラは自身を責める。もしも、時間を戻ることができたのなら。
斬首台の刃に温度は感じなかった。何かが軽く当たったかのような感覚で首を落とされた彼女が目を覚ますと、時間は何年も遡っており、幼い自身の手のひらが視界に入ったのであった。
「今日は何年の何月何日だったかしら?」
思わずそう問いかけてから、そこに立っている執事があのとき自身を盾にルザミラを救おうとした男であると気がつく。ああ、彼を追放する前の時間に戻ってきたのだ。あんなに暴虐の限りを尽くした自分が天国になど行けるはずもないのだから。
執事は虚を突かれたように僅かに目を見開いたが、すぐさま表情を直して答える。
「ペベル歴1121年の4月2日にございます」
ああ、彼を刺したちょうどその日の朝だ。この後彼に進言されたことが気に食わなくて、机の上のフルーツ皿に置かれたままになっていたナイフではじめて人に物理的な危害を加えたあの日の朝だ。もし10分でもズレていれば、この手は血の赤に染まっていたことだろう。
やり直すチャンスを得たのなら、今度こそ自分のせいで死ぬ人間が現れないように、ひとりひとりの人間と人として関わろう。そのためにまずは、この名前も知らない恩人に感謝を。
「そう、ありがとう……ええと……あなたの名前は何だったかしら?」
「アガネルでございます」
「そう、感謝しますわ、アガネル」
ああ、可哀想なアガネル。時間を遡行する前に貴方の望みを叶えられずに無駄死にさせてしまってごめんなさい。時間を遡ることがなければ、貴方の願いは誰にも鑑みてもらえることもなく、消えてゆくしかなかった。だからこそ、時間を戻った自分には彼の望みを叶えて彼を生かす義務があるのだ、とルザミラは思った。
「本日は歴史と魔法の教師であるカラム様がいらしております」
「そう……ありがとう」
この屋敷の人間で、この時点でルザミラに好意を持っていることがわかっている人間は父である辺境伯だけだということは理解している。それならば、まずは屋敷の人たちとの関係を改善しよう。
アガネルがなにも進言してこないことは気になるが、時間を戻る前に命を捨てて庇ってくれたのだから敵意はないはずだ。
「本日のお召し物は何色がよろしいでしょうか?」
「そうですわね……緑色のドレスはありますこと?」
「ええ、もちろんにございます。装飾はどのように?」
「一番シンプルなものでいいわ」
家庭教師のカラムとの関係改善のために、ルザミラはそうしてカラムの瞳の色と同じ緑色のドレスを所望した。トントン拍子で事が進み、途中で感情が抑えられずに涙が溢れてしまいもしたが、歴史は変えられるのだと確信したルザミラは少しだけ調子に乗りたいと思った。相手が覚えていなかったとしても、あのとき自分を諦めまいと動いたアガネルのことを知って恩を返したいと思ったのだ。
アガネル自身の許可は取れた、ならば父を説得すれば彼を自身の専属執事として側に置くことができる。この時点ではまだ娘に甘い父のことだ、きっと許可は下りることだろう。悪いことさえしなければきっと。
次回更新は10月26日(月)です。5日連続で更新します。その後は更新する曜日を決め直してから活動報告にて告示し、毎週1話の定期更新に戻します。




