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アガネルがカラムを連れてルザミラの部屋に入ると、ルザミラは心細げにドレスのスカートを握りしめて椅子に腰掛けて待っていた。眉も下がり元気のない表情にアガネルは一瞬立ち止まる。
「ルザミラ様、失礼致します。何の御用でございましょうか」
「! カラム先生、来てくださいましたのね」
「そこの使用人に今の貴女のことを教えていただきましたので……時に、ルザミラ様、なにかあったのでしょうか。ひどい顔でしてよ」
ルザミラは涙を零す。その涙の意味は叱られたことに対する恐怖なのか、彼女の態度の急変に関わることなのかは判断がつかないが、アガネルは彼女のそばに駆け寄りハンカチを手渡す。
愛するお嬢様を泣かせる相手など言語道断だと言いたいところであるが、これまでのルザミラの言動に原因がある以上口出しはできない。下手に口出しをしてルザミラの印象を悪くしてしまうわけには行かないのだ。
「あのね、皆がいなくなっちゃう夢を見たの……私、なにを言っても側にいてくれるお父様やカラム先生に甘えていたんだなって、思って……」
「そう、それならこれまでのことを反省して改善してください。さすれば、その夢はただの悪夢として終わることでしょう」
「カラム先生……!」
泣くルザミラに胸を貸すカラム。百合好きの人間が見れば至高のスチルのように映るであろうその光景にアガネルは嫉妬の感情を抱いた。アガネルに百合の趣味はないのである。ただ、お嬢様の幸せにつながるのだからここは静観するべきだと判断して無言でその様子を見守る。
「私、どうしても強く、賢くならなくてはなりませんの。どうか、私に力を授けてくださいまし」
「ええ。私に教えられることならばなんなりと」
いまだカラムはルザミラを完全には許していない。地に落ちている信頼は少しずつ関係を改善することでしか浮上しないのである。それでもルザミラを慰めるカラムはきっと、はじめから彼女のことを見放してなどいなかったのではないか。そんな考察に思考を流して感情を封じるアガネルだが、このまま空気のように扱われてしまうのなら耐えられない。泣いてしまいたいとすら思う。
「カラム先生、何度も解雇しようとしてしまってごめんなさい……っ」
「ええ、これからはそういったことのないように」
早く終わらないだろうかと始まったばかりのやり取りを遠い目で見つめるアガネル。悪役令嬢モノのメインキャラクターでない第三者の視点はこんなものだったのだろうか、ああ、思考が延々と繰り返されて僅かな時間が無限に思える。
「勉強なんて必要ないだなんてもう言いませんわ……っ」
「ええ、期待していますよ、ルザミラ様」
お嬢様のためなら何でもしたいとはいえ、流石に蚊帳の外から会話に参加できるでもないのにお嬢様と他の人間の熱い会話を延々と見せつけられるのは辛い。それならば、未来でルザミラを害した犯人の捜索に向かってしまいたい。
そもそも推しの泣く姿を見るのは心苦しい。他者とのプライベートな会話を聞くこともプライバシーの侵害ではないかとハラハラするのだ。冷静になってみれば、そもそも推しへの過度な干渉は禁忌なのだ、本来ならばこれほど近い場所で働くことすら許されないのだと考えれば落ち着くだろうと一介のネット民としての自身を呼び起こそうとする。
「カラム先生、私にチャンスをくださってありがとうございます!」
「ええ、応援しています。今度は期待を裏切らないでくださいね」
もう限界である。アガネルは一切の思考を放棄して素数を数える。2、3、5、7、11……。
ルザミラとカラムの5分程度に渡る会話をどうにかポーカーフェイスで乗り越えたアガネルにカラムが話しかけた。
「アガネル、だったかしら。貴方の言葉に嘘はなかったようですね」
「ええ、私は嘘をつけるほど器用ではありませんので」
「あら、そう」
ビジネススマイルで返すことができたことを自分で褒めたいとアガネルは思う。虚無の5分間は無限にさえ思えたにも関わらず、よく愛想笑いができたものであると。神様は少し飴と鞭のバランスを間違えているのではないかとも思った。
そんなことを思っていると、不意に愛しい声がアガネルの名前を呼んだ。
「アガネル」
お嬢様の美しい真紅の瞳がまっすぐにアガネルを見つめている。彼女を待たせるわけには行かない。彼女のあの美しい顔が常に笑顔であり続けられるよう自分にできることは何でもしたい。そう思ったアガネルはすぐさま返事をする。それに返ってくる言葉が予想打にしないものだとは夢にも思わずに。
「はい、なんでしょうか」
「私の専属執事になってくださる? あなたが嫌でなければお父様に頼みたいと思いますの」
「ええ、私で良ければルザミラお嬢様の手となり足となりましょう」
冷静に答えているが内心は全く落ち着かないのがアガネルという執事である。抑え込もうとした思いなどもはや用をなさない。自分がお嬢様の役に立てると思えばアガネルは何だってできる気持ちになった。
しかし、そうなると冷静かつ客観的な思考も生まれるのだ。なぜお嬢様は名前も覚えていない執事を自身の専属に選ぶのだろう。逆行モノなんかで稀に見る、名前は覚えていないがかつて不幸にしてしまった身分の低い者への罪滅ぼしでないだろうか。万が一そのような理由であればアガネルは素直に喜べない。彼にとっての再優先事項はルザミラお嬢様の幸せなのだ。彼自身が彼女の罪悪感の引き金になるなどあってはならない。
「貴方がいいのよ、カラム先生に私のことを伝えてお連れしてくれたじゃない。本当に嬉しいのよ、アガネル、本当にありがとう!」
「お嬢様……光栄にございます」
ルザミラのことを心の底から愛するアガネルには分かってしまう。これは本当の理由ではないと。しかし、彼女の心の傷に触れかねない案件を掘り下げてまでこの名誉の選考理由について聞くわけには行かない。彼女が本当の理由を隠して自分のことを専属執事に推しているのだと分かっていたとしても、今アガネルにできることは何もない。
カラムはルザミラのその態度を感心するように優しい微笑みを浮かべて見つめている。
「それでは朝食に向かいましょう? 私、なんだかすごーくお腹が空いてしまいましたの」
「ルザミラ様、身分の低いものは貴女様とは食事を共にはできないのですよ、今の貴女はその部分が心配だわ」
「カラム先生、すみません。ご指導、ありがとうございます」
アガネルは相変わらずルザミラ様の言動の変貌ぶりが悪役令嬢転生モノの主人公のように思えてならずに不安になる。しかし、彼女の顔に笑みがある。そのことが最も重要なのだ、ここはまだ静観していて問題はないだろう。
「お嬢様、カラム様、それぞれ食事の場までご案内致します」
「ありがとう、アガネル」
「お願いしますね」
「ええ、これが私めの仕事でございますので」
嫌な予感はするだけならば問題はない。当たりさえしなければいいのだから。
お嬢様が言うように、悪夢を見て態度を改めたのならそれでいいのだ。それでも拭えない時間遡行、転生疑惑が胸の奥で燻る。やはりルザミラへの害意を持つ人間のことは探し出して排除しておかなければ安心はできない。繰り返し考えてしまう疑心の産物を排除するべく敵となりうる人間を排除してしまおうなどというこの汚い心も隠し通さなければならない。こんな自分が露呈してしまえば、アガネル自身がルザミラの心の平穏を乱す存在と化してしまうだろうから……。




