5 薬草
市場の空気は重かった。
湿った風。
咳をする人々。
薬屋の前へ並ぶ長い列。
前の人生でも見た光景だった。
流行病は、もう始まっている。
「……っ」
セラはぎゅっと袋を抱えた。
怖い。
夢見が、少しずつ現実になっていく。
前の人生では、気づいた時には遅かった。
薬は足りなくて。
診療所もいっぱいで。
エマの熱はどんどん上がっていった。
だから今度は。
今度こそ。
間に合わせたい。
「お姉ちゃん、これなに?」
隣を歩くエマが、袋の中を覗き込む。
「薬草」
「こんなに?」
「……うん」
エマは不思議そうに首を傾げた。
七歳のセラには、明らかに不自然な量だった。
けれど説明なんてできない。
“未来で必要になるから”なんて。
「苦い?」
「たぶん」
「やだなぁ」
エマが顔をしかめる。
その顔が可愛くて、セラは少しだけ笑った。
生きてる。
今、ちゃんとここにいる。
それだけで泣きそうになる。
薬草屋の前には、顔色の悪い人たちが集まっていた。
咳。
熱。
怯えた顔。
前の人生と同じ。
全部、同じだった。
「……お姉ちゃん?」
急に立ち止まったセラを、エマが不思議そうに見上げる。
セラの視線の先には、小さな子供たちがいた。
痩せた兄妹だった。
服は汚れ、靴もぼろぼろで。
小さな妹の方は、苦しそうに咳をしている。
その姿が、前の人生の自分たちと重なった。
「……っ」
胸が痛む。
前の人生では、誰も助けてくれなかった。
薬を買うお金もなくて。
助けを求めても、皆、自分で精一杯だった。
だから。
エマは死んだ。
「お姉ちゃん?」
エマが袖を引く。
セラはゆっくりしゃがみ込んだ。
「……これ、使って」
袋から薬草を取り出す。
兄妹が目を見開いた。
「え……?」
「熱が出たら煎じて飲んで。咳にも効くから」
兄の方が警戒した顔になる。
「なんで……?」
知らない子供に、どうしてそこまでしてくれるのか。
当然の反応だった。
セラは少しだけ黙る。
答えられない。
“未来で君たちは死ぬから”なんて言えない。
だから。
「……生きててほしいから」
小さく呟いた。
それだけだった。
理由なんて、それだけで十分だった。
兄妹が目を見開く。
エマも、ぽかんとした顔でセラを見ていた。
セラは俯く。
怖かった。
また誰かが死ぬのが。
もう、失いたくなかった。
「……ありがとう」
兄が小さく頭を下げる。
妹も真似するようにぺこりと頭を下げた。
その姿に、セラの胸が少しだけ温かくなる。
変えられるかもしれない。
全部じゃなくても。
少しだけなら。
未来を。
その時だった。
市場の奥で、誰かの怒鳴り声が響いた。
「流行病だ!!」
一瞬で空気が変わる。
人々がざわつく。
恐怖が広がっていく。
セラの背筋が冷えた。
始まる。
本当に。
前の人生と同じように。
流行病も。
エマの死も。
全部。
「……っ」
無意識に唇を噛む。
本当は。
今すぐ王都へ行きたかった。
エリアス様に会いたかった。
毒殺事件を止めたかった。
未来を知っているのなら。
一刻も早く動かなければならない。
わかっている。
わかっているのに。
セラの視線は、隣を歩くエマへ落ちた。
小さな手。
痩せた身体。
前の人生では、この子はここで死んだ。
放ってはおけない。
置いてはいけない。
「……どうして」
小さく呟く。
やっと。
やっと戻って来られたのに。
助けたい人が多すぎる。
エマも。
お母さんも。
市場の子供たちも。
そして。
エリアス様も。
もし。
本当に戻ったのなら。
エマはまだ死んでいない。
お母さんも生きている。
そして。
エリアス様も。
まだ、生きている。
その瞬間。
胸の奥で、何かが小さく灯った。
怖い。
苦しい。
今でも思い出すだけで吐きそうになる。
それでも。
もし本当にやり直せるのなら。
今度こそ。
今度こそ――。
守りたい。
誰も。
もう二度と失わないために。
セラは拳を強く握り締めた。
残された時間は。
思っていたより、ずっと少なかった。




