10 訃報
外はまだ薄暗かった。
雨は止んでいたけれど、
空気は冷たいままだった。
リディアの熱は下がらない。
苦しそうな呼吸。
止まらない咳。
セラは何度も薬を煎じ、
額の布を替え続けていた。
エマも眠そうな目を擦りながら、
必死に手伝っている。
「……お姉ちゃん」
不安そうな声。
セラは振り返る。
エマは泣きそうな顔をしていた。
「お母さん、治るよね……?」
「……っ」
その問いに、
セラは答えられなかった。
前の人生では、
ここから母はどんどん弱っていった。
知っている。
知っているのに。
認めたくなかった。
「……治るよ」
それでも、
絞り出すように言う。
エマは少しだけ安心したように頷いた。
嘘だった。
自分でもわかっている。
なのに。
そう言うしかなかった。
その時。
激しく扉が叩かれた。
セラの肩が跳ねる。
嫌な予感がした。
心臓が、
どくどくとうるさい。
「……誰」
扉の向こうから、
荒い息遣いが聞こえる。
「リディアさん!!
開けてくれ!!」
市場の男の声だった。
セラはゆっくり立ち上がる。
嫌だ。
知っている。
前の人生でも、
この知らせは突然だった。
扉を開ける。
そこには顔色を変えた男が立っていた。
「……っ」
その表情だけで、
全部わかってしまった。
「セラちゃん……」
男が苦しそうに言葉を絞る。
「……お父さんが」
耳鳴りがした。
世界が遠くなる。
「馬車の事故で……」
前の人生と、
同じだった。
頭が真っ白になる。
夢見は変わらない。
本当に。
本当に。
「……っ」
セラの足から力が抜ける。
男は慌てて手を伸ばした。
「お、おい、大丈夫か!?」
聞こえない。
頭の中で、
夢見の景色だけが繰り返される。
雨。
怒鳴り声。
運ばれていく身体。
そして。
泣き崩れる母。
全部。
全部、
知っていた。
なのに。
父だけは救えなかった。
変わった未来もあったのに。
この運命だけは、
間に合わなかった。
「……っ、ぁ……」
息が苦しい。
吐きそうだった。
夢見は呪いだ。
知っているのに。
止められない。
「セラ!」
後ろから、
リディアの咳混じりの声がした。
セラははっと振り返る。
母は壁へ手をつきながら、
こちらを見ていた。
青白い顔。
熱に浮かされた瞳。
それでも。
娘を心配している目だった。
「お母さん……」
声が震える。
リディアはゆっくり目を閉じる。
そして。
「……そう」
掠れた声だった。
その瞬間だけ。
リディアは痛みに耐えるように目を閉じた。
夫を失った悲しみが、
確かにそこにあった。
けれど。
悲鳴も。
取り乱しもしない。
ただ、
静かに受け止める。
その姿が、
セラには余計につらかった。
「どうして……っ」
涙が零れる。
「どうして変わらないの……!」
セラは震える。
薬草を集めた。
早く動いた。
必死だった。
なのに。
父だけは救えなかった。
リディアはそんな娘を見つめ、
苦しそうに咳き込む。
そして。
震える手で、
そっとセラを抱き寄せた。
「……セラ」
熱い身体だった。
けれどその腕は、
昔と同じように優しかった。
「全部を救えなくても」
掠れた声。
「あなたが救えたものも、
ちゃんとあるのよ」
セラは泣きながら、
母の服を握り締めた。
エマは生きている。
市場の子供たちも。
前の人生では、
救えなかった人たちも。
夢見は変わらない。
でも。
少しだけ違う未来もある。
その事実だけが、
今のセラを繋ぎ止めていた。




