16.夜空の下で
リヒーナたちの荷は多くない。
楽器と曲芸の道具、わずかなお金、それに道中の食料と水。
主な荷物はそのくらいだ。
レヒテンの時みたいに宿に泊まるのはめずらしいことで、そもそも市壁の中で寝られることもまれで、だいたいは街道沿いなどに適当な場所を見つけて野宿する。
今晩も、日暮れ前には野宿する場所を決め、荷を下ろした。
近くを川が流れているし、急に雨が降っても逃げ込める木陰がある。
オオカミが出るという噂も聞いていないし、野宿するにはめぐまれた環境だ。
んごー、んごー、というルッチェのいびきに合わせて指先で地面を軽く叩いて遊んでいたのだけれど、そろそろ飽きてきたので川辺まで散歩することにした。
レヒテンの街では迷ってしまったけど、すぐ目と鼻の先にある小川まで行くくらいじゃあ、さすがのリヒーナも迷いようがない。
今夜の月は細くて頼りないけど、目は暗さに慣れているからきっと大丈夫。
体を起こすと、ルッチェの向こう側に、木の幹に背を預けて眠るペールの姿が見えた。
ルッチェとは対照的に、思わず死んでるんじゃないかと心配になってしまうくらい静かだ。
不安になってそっと近づいてみる。
すぅ、すぅ、という規則正しい寝息が聞こえるのを確認してから、リヒーナは川辺へ向かった。
ルッチェのいびきが遠くなり、小川のせせらぎが近くなる。
川に沿って少し歩いて、適当なところに腰を下ろすと、ごろんと仰向けに寝転がった。
今日は天気がいいし月が細いから星がよく見える。
月から少し西にあるのがリンゴ座、その下に骸骨座、その隣がトランペット座……だったかな?
指さしながら、星々が描く夜空の絵をたどる。
と、ふいに顔に影が差した。
「ペール!?」
「人の寝顔を盗み見て、満足して寝るのかと思えばふらふらと歩き出す。どこに行くのかと思えば……こんなところでなにをやってるんだ?」
突然真上に現れたペールの整った顔に驚いて、わたしは飛び起きた。
星に夢中になっていて、足音に全く気づかなかった。
「寝てなかったの!? べっ、別にペールの寝顔を見たかったわけじゃないんだからね! あまりにも静かに寝てるから、もしかして死んでたらやだなと思って確認しただけだよ」
「別に持病もないし、そんな簡単には死なないと思うけどな」
「そうかもしれないけど……」
「いや、そんなことないか。この傷がもっと深かったら死んでたな」
額の傷にそっと触れる仕草をしてから、どす、とペールがリヒーナの隣に腰を下ろした。
「ななな、なにか用?」
距離の近さにどきどきする。
意図せず、馬車の中でペールに抱きしめられた時の温かさが脳裏によみがえって、心臓は更に鼓動を速める。
「別に。また迷子になられたら迷惑だから、その前に捕まえようと思っただけだ」
「この距離で迷子にはならないよ」
「だといいけどな」
そういって、ペールが空を仰ぎ見る。
その横顔に思わず見とれてしまったリヒーナは、ペールに少し遅れてから自分ももう一度視線を夜空へと移した。
特に会話もなく、並んで星を眺める。
リヒーナは星を睨みながら、落ち着け、落ち着け、と自分にいいきかせる。
「――明日にはメーセンに着くんだよね?」
しばらくして、ふたり並んで空を見ることにようやく慣れてきたところで、リヒーナはペールに訊いてみた。
「え?」
「明日、メーセンに着く?」
訊き返されたのでまた訛ってたかな、と反省して、少し言い方を変えてみる。
「ああ。夕方までには着けるだろうな」
「わたし、やっぱり訛ってる?」
「……いや。あれは間違いだった。リヒーナは別に訛ってるわけじゃないんだと思う。ただ、微妙に抑揚がおかしいんだ。言葉は合ってるのに、まるで歌う時みたいに独特の抑揚をつけるから、一瞬なんていっているのか聞き取れない」
「抑揚?」
「ああ。でも、慣れたらあまり気にならなくなったな。今のは、純粋に聞きそびれただけだ」
「抑揚かぁ。自分ではあまり気にしたことなかったかも」
「声質も抑揚のつけ方も聴き心地がいいし、別に構わないんじゃないか」
「えー。でも通じないんじゃ困るよ」
「聞き直せば大抵わかるから構わないだろ。そこでずっと独り言をいっててくれても構わないくらいだ。ただし話の内容を聞くんじゃなくて、音を聞くだけだけどな」
「なにそれ。だったら普通に歌を歌うよ」
「それもそうか」
ふっ、とペールが小さく笑った。
その飾っていない無防備な笑顔に、リヒーナは釘付けになる。
営業用の笑みとは、全然違う。
どうしよう、と胸に手を当てながら思う。
ばくばく、ばくばく、と心臓が早鐘を打っている。
どうしよう。どうしよう。
ペールの笑顔を見ながら思う。
明日になったら、メーセンに着いたら、もうこの旅はおしまいなのに。
どうしよう。
――わたし、ペールのことを好きになってしまったかもしれない。




