第2章12節 身体の一部
機械を通したように音割れした声が降って来た直後、黒いローブを纏った男が眼前に現れた。
「セプティム……⁉」
「やっぱり、そっちから接触して来るんだ」
ソリスが俺の前に進み出る。こちらの異変に気付いた陽鞠も、俺の横に立った。
「この間はお世話になりました、セプティム様。よくもアタシの腹を打ち破ってくれましたね」
「『今頃は王族の小娘に殺されているかと思ったが、王族も生易しくなったものだな』」
王女はマリンブルーの眼光鋭く男を見上げる。
「無益な殺傷はしない主義なの。利用されてただけの国民を、無駄に殺したりしない」
「『利用されていた? 馬鹿を言え、利用されたのは我の方だ。精神体は共感を覚えた人間のために尽力する、それだけの存在であるぞ』」
ローブの男は祈るように、両手を重ねる。
「『我らが星の創造主、我が父なるクレアトル、ここに星雲より来たれ』」
後ろから手首を掴まれ、俺とソリスは後方に倒れ込んだ。
視界がぐるりと回転し、尻もちを突いた俺は土手に手を突く。
「痛ってぇ……」
校門を出てすぐ、コンクリートで舗装された道を歩いていたはずの俺は、目の前に広がる川に自分の目を疑った。
尻もちを突いた場所は、少しぬかるんだ川の土手。掌に付いた土の感触もリアルだった。
「転移で近くの川に連れて来られたみたい。ヒマリが助けてくれなかったら、二人揃って川にダイブしてるところだった」
先に土を払って立ち上がったソリスが、こちらに小さな手を差し伸べる。
俺達の手を引いた陽鞠も同じように、土手に倒れ込んでいた。自分よりも温かな手を取って立ち上がり、速まる鼓動を収めるように息を吐く。
「助かったぜ、陽鞠。よくセプティムが転移しようとしてるって気付いたな」
「あの詠唱、アタシが地球に来る時にも聞いたからね」
爪先は川の方に突き出していて、もう少し前に出ていたら危うく川に落ちるところだった。柵も設置されていない川ながら、深いことで有名な急流である。落ちたら溺死しかねない。
一度瞬きした隙に、川の対岸に転移していたセプティムが、次の瞬間には俺の目の前にいた。
「なッ――」
この短い距離で転移を使ったのか、あるいは脚力だけで川を飛び越えたのか。
ローブの下から取り出されたダガーナイフが、俺の頸動脈を的確に狙っていた。
反射的に上体を逸らし、ナイフの刃をかわす。銀色の刃が前髪を数ミリ切り取っていった。
「『覚醒前の生身の人間が、我に敵うと思い上がるなよ』」
「俺だって覚醒する見込みはあるんだ、ろ……っ⁉」
「『見込みだけはな。あの自尊心の塊が、君に手を貸せばの話だが』」
セプティムが腕を振り上げる。
俺の足場の土が盛り上がり、危うく転びそうになった。天高く付き上がった土塊は、鋭い棘となって足元から競り上がる。
「う、わっ! 何だこれ⁉」
「『君が青い炎を扱えるのに、我が何の能力も持たぬはずがないだろう』」
不安定な足場の上で立つこともできず、俺は屈んだ状態で土の棘による猛攻から逃げる。
「『地球の人間であれば、知らぬのも無理はないな。我は土を操る権限を持っている。君の炎とどちらが強いか、比べてみるか?』」
「炎は自在には扱えねえよッ! 俺は上手く扱えねえのに、そっちだけ操れてズルいな!」
警戒すべきは土の操作だけではない。腕の動作で自在に操られる土の攻撃と同時に、彼はダガーナイフを振り回している。
迫り来る刃を避けるのは、すぐに限界が来た。
避けきれなかった切っ先が、頬骨の皮膚を抉り取る。
「陽鞠……っ!」
「うんっ」
星玉の主に致命傷を負わせることに集中していたセプティムの背後から、陽鞠がナイフで首を狙う。ローブのフードの端が切れ、セプティムを宿した男の首に刃が当たった。
反射的に振り返った男は、俺を狙っていたダガーナイフを陽鞠に向ける。
「『せっかく生き延びたというのに、死に急ぐつもりか』」
「生き延びたからこそ、何もしないわけにはいかないんだよ……ッ!」
俺が殺されるのを阻止するタイミングを窺っていたソリスが、ダガーナイフを握る腕にしがみ付いた。
振り向き様の勢いでフードは外れ、男の顔が露わになる。
「お、まえ……」
フードの下から現れた顔には、見覚えがあった。それはソリスも同じだろう。
眼帯を着けた若者。町内会の副会長を務める婦人の息子。
「藤沼、鎮沖……!」
その名前を呼ぶと、セプティムを宿した若者は小首を傾げる。
「『この同調者を知っているのか。まあ、同郷であれば顔見知りでも不思議はないが』」
俺達の前に飛び出した陽鞠が、鎮沖に――セプティムの顔に切り掛かる。
易々と攻撃を避けたセプティムは、藤沼鎮沖ならば絶対にしない達観しきった顔付きで肩をぐるりと回す。
「『考え無しに武器を振るうなと、前に教えたはずだが?』」
「考え無しに見えた? セプティム様」
黒い隻眼を見開いた男の眼帯のヒモが切れ、隠れていた右目が露わになった。
睦月に眼球を割られて以来、人前で外されることのなかった眼帯。
その下にあった右目の眼窩には、光を乱反射する紫色の宝石が嵌まっていた。
「この町に来てすぐ、その人の義眼をセプティム様が宿った宝玉に入れ替えたんだ。セプティム様が、この人は自分の同調者になる素質があるって言ったから」
「『裏切った途端に全てを白状するとは、命が惜しくないようだな、ヒマリ』」
ソリスの回し蹴りが男の首筋を狙う。それをかわしたセプティムは右腕を振り下ろし、ソリスが立っている周囲の地面を隆起させた。
ソリスは咄嗟に飛び退くも、これでは距離を詰められない。
畳み掛けるように陽鞠が飛び込んだ時、引き下がった王女は声を張り上げた。
「貴方が精神体の一柱っていうのは本当だろうね。でも、貴方はセプティム様じゃない」
その言葉に一番驚いていたのは、隻眼の男にナイフを持った手を掴まれた陽鞠だった。
「ガングリオの育成に影響与えてたし、この方がセプティム様なんじゃ――」
「違和感を覚えたのはそこだよ。セプティム様は精神体の中でも異質で、何の機能も持たないとされてる。生命機能に影響を与えるなんてこと、できないはずなんだよ」
マリンブルーの目が隻眼の男を睨み付ける。
「それに本物のセプティム様なら――藤沼鎮沖だっけ、その人と同調できるはずがない。秩序を嫌う奔放なセプティム様と、タカヒロから聞いた藤沼鎮沖の人物像は違い過ぎる」
「あ……言われてみれば、そうだ」
俺がソリスやオキュラスから聞いた話では、セプティムという精神体は秩序を嫌う暴れ馬、誰にも理解されない思考の持ち主。精神体の中でも、特に人とかけ離れた思考を持つという。
それに対して、藤沼鎮沖は親の地位に胡坐を掻いて、何をやっても許されると思っているような人間だ。そして、町の秩序を乱す存在であるカタナシを嫌悪している。
反逆も秩序を嫌うという性質も、当てはまらない。
「『この国への反逆を企てる精神体など有史以来、セプティムのみだ。反乱分子を率いて国を滅亡に追い込んだ、これがセプティムの仕業でなければ何だというのだ?』」
陽鞠の手を抑え込んだ男の懐に、ソリスは一直線に飛び込む。
武器もなく突っ込んで来た少女に動揺の色を浮かべつつ、男は右腕を振り下ろした。
隆起した地面に押し出されるようにして後退した彼女が、俺の方を振り返る。
「行って! タカヒロ!」
セプティムと名乗る男が腕を振り下ろしてから再び同じ技を使うまで、タイムラグがあった。連続して使うことはできないのだろうと、この短時間でソリスにも分かったらしい。
その隙に男の目の前に飛び出した俺は、眼窩に嵌まった宝石に手を伸ばす。
殴るでも蹴るでもなく、眼球に狙いを定めた俺の同行に戸惑っているようだった。
上瞼と下瞼の合間に指を挿し込み、球形に近くなるようカットされた宝石に指を引っ掛ける。
――人の眼球を割るのは、こんな感覚なのだろうか。
地球外の鉱石でできた義眼とはいえ、眼窩に嵌ったものを抉るのは気分の良いものではない。人の眼球を割った日、友人は一言も声を発さなかった。
生きているだけで町中を敵に回す俺を助けて、人の眼球を破壊した彼が、何も思わなかったはずがないのだ。
なのに俺は、あの日何も言えなかった。
「……ようやく向き合えそうだよ、睦月」
星玉より一回り小さい鉱石を手に、地球人の姿を借りたソレに背を向ける。
「『我が宿った石を取り出しても無駄だぞ! この男との同調はすでに成功しているッ!』」
セプティムと名乗っていた男の声は、確実に上擦っていた。
「貴方の相手はアタシだよ、セプティム様。いや、アンタはセプティム様じゃないんだよね」
陽鞠は男の腕を掴み、動きを封じる。ソリスと陽鞠が足止めしてくれている隙に、俺は自分のカバンから星玉を取り出した。
内側から青い光を放っているかのような美しい宝玉に、抉り出した紫の宝石を打ち付ける。
「っタカヒロ! なんで星玉を割ろうとしてるの⁉」
「前に言ってただろ、星玉が壊れることより星玉の主が死ぬことの方がマズいって。それに、器として完成するには精神体を身体の一部に取り込めって」
「そう、だけど! でも、星玉を小さく砕いたって、タカヒロの身体の一部にするのは――」
俺の身体に欠損はない。だから、取り込むことはできないと――さっきまで思っていた。
精神体を宿した宝石同士をぶつけると、人工生命体の攻撃ではビクともしなかった星玉が割れ始める。ヒビが入り、青い欠片が砕氷のように辺りに散った。
大きく四つに割れた星玉の最も小さい破片を、摘まんで顔の前に持ち上げる。
一番小さいものでも、全長20センチほどで幅もあった。これから自分がしようとしていることは、とても正気ではないと思う。
けれど、星玉の主として、もう逃げないと決めた。
俺は意を決して、星玉の破片を呑み込む。
「う、ぉえ……っ」
大きな破片が食道を通り抜ける感覚が痛くて苦しい。咀嚼もできない宝石を吞み込んだ鋭い痛みに襲われ、腹を丸めて口元を押さえる。
異物を追い出そうと動く喉を押し込め、上を向いて大粒の宝玉を呑み下す。
「その憑代は片目が無かったから、代わりに石を入れることができたんだよな。でも、施天ノ神が憑依した憑代全員が、代わりに石を入れられるような欠損があったとは限らない」
口元を押さえて、どうにか声を出す。
喉に詰まっていた異物が、すとんと胃の方に降りていく。
「施天ノ神もセプティムと同じ精神体なんだとしたら――欠損を埋める以外の取り込み方が、あると思ったんだ」
体内に取り込まれたものは、自分の一部になったと言っても過言ではないはずだ。
口から取り込んだものが身体を構成する。臓器の代わりではなくても、身体の一部になったといって良いだろう。
陽鞠のダガーナイフが弾き飛ばされ、俺の足元に転がってくる。ソリスも陽鞠も満身創痍で投げ出され、精神体を宿した男は無情に俺を見下ろした。
「『後は覚醒する前に君を殺すだけだな、星玉の主』」
空洞と化した男の眼窩を見上げる。
陽鞠と対峙した時の憤りを思い返して、大きく拳を振りかぶった。
足元からシアンブルーの炎が上がり、
「『が――ッ』」
自分ではない何かの力が載った拳が、ローブの男の顎にヒットする。
前と違って、動くたびに発生する火の粉にも体力を持っていかれるようなことはなかった。
「タカヒロ、その髪の色――」
「え、髪?」
視界の端に映る自分の前髪が、毛先から青く染まっている。炎のシアンブルーと元の焦茶色が混ざった髪は、傍目に見れば変な色合いかもしれない。
腕を振り下ろそうとする男の腕を掴み、腹部に膝蹴りを打ち込む。
戦闘慣れしているソリスや陽鞠じゃあるまいし、急所を狙った的確な攻撃なんて、俺の思考回路では思いつかない。前ほど変な感覚ではないが、やっぱり星玉に宿った意志が俺を通して行動している気配がある。
「国を相手取って反乱なんて、お前が一番しそうになかったのにな」
自分の口から飛び出すのが、『彼』の言葉だと分かった。
指先から不自然な熱を持ち始め、同調が進んだ時のように意識の主導権が奪われていく。
「だって、俺の名前を騙るとは思わないだろ」
ソリスも陽鞠も、目を見開いて絶句していた。
自分の認識する宇田川隆宏は驚いているが、ソレと混じった今の精神状態では、驚きよりもセプティムを騙った男への鬱憤が強かった。




