第2章1節 「カタナシ」
タカヒロは職員室にプリントを取りに行くとのことで、ソリスは校門から少し離れた場所で彼の用事が終わるのを待っていた。厄介な護衛対象がいないとヒマだ。
足元の小石を蹴り飛ばし、道路を挟んだ反対側の歩道に目を向ける。
下校中らしい小学生の集団が、舗装の甘いコンクリートの歩道を駆け回っていた。
「じゃあ、次はハルカがカタナシな!」
「逃げろー!」
ハルカと呼ばれた男子小学生が、逃げ惑う子供達を追いかける。この地域における鬼ごっこだろうか。ソリスの故郷にも似た遊びはあった。
鬼役の男の子に向かって、子供達は逃げながら小石をぶつける。何食わぬ顔で子供達を追い回す鬼役の子供に、尖った小石が降り注ぐ。
鬼ごっこに近い遊びは祖国にもあったが、ここまで危険な遊びではなかったはずだ。
「何やってるの」
子供達の凶行に目を見張ったソリスは、道路を横切って制止に入る。
尖った石が顔や目に当たったら危険だ。子供の遊びにしても看過はできない。
「お姉さんの髪の毛、銀色! アニメみたい!」
「そ……そんなことはどうでもいいの」
「ホントだ、銀色だー! わ、目の色もキレイ!」
子供達は鬼ごっこを中断して集まってくる。
「さっきのは、どういう遊び? 人に向かって石を投げるなんて危ないじゃない」
「カタナシごっこだよ、お姉ちゃん知らないの? 余所の人?」
認識阻害の電波は子供に効きにくい。脳の成長過程にある人間に効きにくいと祖国の研究機関でも報告が上がっていた。
相手が余所者と分かるや否や、子供の目が一気に険しくなる。
「お姉ちゃんはお人形さんみたいで可愛いから、特別に教えてあげる!」
赤いランドセルを背負った女の子が、笑顔でルールを説明してくれた。
「カタナシに選ばれた人は、妨害を受けながら逃げる人達を捕まえるんだよ。逃げる人達はカタナシに捕まらないためなら、どんな妨害をしてもいいの」
「カタナシってなに? こっちの方言?」
「祝福されない子供のことだよ」
地球について調べた時には、ヒットしなかった単語だ。当然のように話す子供の語り口からも、どうやらこの土地に根付いたもののようではあるが。
「子供……なの?」
「そうだよ、子供はいくつになっても子供だもん」
子供達は続きをやろうと笑顔で駆けて行った。
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周囲に下校中の生徒がいないことを確認してから、少年は片手を挙げる。小学生の姿がちらほら見えるが、顔も知らない小学生まで気に掛けることはないだろう。
「遅くなって悪かった、帰ろうぜ」
歩き出そうとしたタカヒロの背中に、甘く涼やかな声が投げかけられる。
「タカヒロ、カタナシってなに」
振り返った少年は、初めて見る表情になった。
刃を眼前に突き付けられたように固まり、顔から血の気が引く。恐怖や怯えの反応に似ているようで、それでいて何も読み取れない表情は無心であるようにも思えた。
「誰かに言われたのか」
「小学生が遊びで言ってるみたいだったから、どういう意味か気になったの。意味を聞いても祝福されない子供だとか、要領を得ない返答しか返って来なかった」
いくらか血色の戻った顔は、いつもの彼とは別人のようだった。
「座敷童って知ってるか」
「名前くらいは」
日本の一部地域に伝わる、子供の姿をした妖怪と呼ばれる存在。座敷童と呼ばれる概念があることは耳に挟んでいる。
「諸説あるけど、あれも社会にとって都合の悪い子供を、家から出さないようにしていたのが座敷童と呼ばれるようになったって説があるんだよ」
タカヒロの押す自転車が、月に照らされて鈍い銀色の光を放つ。買い替え時をとうに過ぎたであろう自転車は錆びつき、時折軋み上げた。
「表に出せない子供を隠すとか、生まれてすぐに間引くとか。そういう文化自体はどこにでもあるもので、祝福されないって言うのはそういうこと」
「表に出せない子供を、この地域ではカタナシって呼ぶの?」
どこまでもふざけ倒した言動ばかりの青年は、浅く息を吸う。いつも通りに呼吸しようとして失敗したかのような、奇妙な間があった。
「『カタナシ』は父親のいない子供のことだ。この町で祝福されるには、両親が揃ってないと駄目なんだとさ」
子供はいくつになっても子供。年齢的な意味で子供と言ったのではなく、あの小学生は親に対しての子という意味で言ったのだ。
片方がいないから、片無しと言われるようになったというのが定説だ。語源に関する正確な文献がないため、語源には諸説ある。
「片親家庭で生まれた子供のことなの?」
「死別とか離婚で父親がいないなら別に、カタナシとは言わないんだよ。分かりやすく言えば、戸籍に父親が登録されてない子供が『カタナシ』」
死別でも離婚でも、戸籍には父親がいた形跡が残る。生まれた時から戸籍に父親の名義がない子供、それが一番分かりやすい説明だった。
この町で生まれ育った青年はそう思ったのだが、ソリスには伝わらなかったようで。
「まだるっこしい。つまり、どういう意味?」
「何かこう、訳せない言葉ってあるだろ⁉ 方言とか土地柄の言葉って、その地域の文化とか生活込みで理解するもんだから! 外から来た人に説明するのは難しいんですー!」
何百年と掛けて土地と共に育った言葉を、外部の人間に伝えるのは至難の業だ。
「というか、父親が戸籍に載らないってどういう状況?」
「その言葉が生まれた当時だと、村八分にされた罪人との間に生まれた子供とか。暴漢に遭ったとか、不義の仲で生まれた子供とか。父親を公表できない理由があるんだよ」
座敷童を始めとする子供の姿をした妖怪の正体は、その集落で人として扱われなかった子供だったという定番のオチだ。生まれてしまった命を奪うわけにもいかず、差別対象として冷遇していた。それが星逢町に伝わる禁忌『カタナシ』だ。
「そういう人達は現代でもいるの?」
「いるだろうな。お前の星にはいないのか?」
「生まれた時から父親のいない人は見たことない」
タカヒロはきょとんと目を見開いていた。
「そんなに意外? 父親が誰か分からないなんて、地球でも滅多にないんじゃないの?」
「科学技術が発達してても、主流じゃないんだなと」
「何が?」
地球よりも化学が発展しているくらいだから、技術として普及していてもおかしくはないと思ったのだが。言わなければ伝わらないということは、主流ではないのだろう。
「体外受精は主流じゃないんだなと思ってな」
自転車のタイヤが地面の凹凸に乗り上げ、夜の静けさの中にガタンと大きな音が響く。
「地球にしかない文化だった? いや、そうか、生き物によっては母胎を離れて養育するのが難しいこともあるだろうし……」
「馴染みのない言葉だったから、ピンと来なかっただけ。こっちでも聞いたことはある」
良かった、とタカヒロは言葉を続ける。
「例えば精子提供で生まれた子供だったら、生まれた時から父親がいないことになるだろう? 戸籍には登録されないし、匿名での提供もあるし」
ソリスは首を横に振った。
「技術に頼るほど人口減ってないし、それが普及してたら人工生命体の存在を責められない」
「おお、確かに」
平坦な歓喜の声を上げた少年は、自転車のハンドルを握る手に力を籠める。
「ってか、藤沼さんからカタナシじゃないかどうか確認されなかった?」
「そんなのされてない――」
上品そうな着物姿の婦人の声が脳裏に蘇る。
――お父様もちゃんといらっしゃるのね、それなら良かった。
母親の存在についての言及がなかったのに、父親の存在にのみ藤沼は安堵を示した。
差別対象ではないことの確認。あの場で父親の不在を口にしていたら、自分の待遇はどうなっていたのだろうか。
遠く離れた惑星とはいえ、ソリスには父親が存在している。
だが、父親が不明ならば『祝福されない子供』というのは奇妙だ。
石を投げ合っていた子供達の姿を思い出し、少女は語気を荒らげる。
「父親がいなかったら何なの、天体に興味があったら何なの。ずっと変な風習ばっかり――」
「生まれが全てだった時代に、片親が不明ってのは立派な厄介者の烙印だった。天体については前に言ったろ、人智の及ばないものには触れちゃいけなかったんだ」
町全体に漂う数百年前からの名残。現代では理解しがたい風習を、住民は当たり前のものとして受け入れている。同じように社会を築く人類なのに、なぜこうも文化が異なるのだろう。
「宇宙に興味を示したら爪弾きにされるって分かってて、どうして、その趣味を続けるの」
ずっと感じていた違和感の一つ。
町の風習を受け入れ、諦観しているようでいて彼は平然と禁忌を犯している。
宇宙好きを公言し、本人によればそのせいで友人関係を構築するのも難航しているようで。町のルールに従順そうな素振りで、禁忌を破っている。
「好きなものは好きだから、だぞ。好奇心は何事にも勝る」
「……嘘つき」
本気で嘘だと思ったわけではない。ただ、嘘だと指摘しなければいけない気がした。
彼が何の疑いもなく大昔の風習を受け入れられる人間なら、禁忌とされるものに興味を持つ選択肢は端からないはずだ。これほど町の風習を受け入れ切っているスタンスを取っていながら、その一点において彼は妙な違和感を残している。
「嘘じゃねえよ、それが理由の全てってわけでもないけど」
こちらの事情で巻き込んでしまっただけで、ただの護衛に内面を打ち明ける必要はない。
それは明確な線引きだった。明け透けに話しているようで、その実は自分の話をほとんどしていない青年。核心に迫る部分を、明らかに遠ざけられていた。




