第1章9節 不完全な宿主
爺さんの家まで送ってもらうため、オキュラスを呼び出した深夜。
田舎の夜道は街灯も少なく、自転車のヘッドライトの灯りだけが目の前の道を照らしている。
「こんな深夜に付き合わせてすみません、オキュラスさん」
「地球人は深夜に外出しないものと聞いていましたが、貴方は遅くに出掛けるのですね」
仕事でもないのに出掛ける人は、夜間営業している店の少ない田舎では特異だ。知り合いと出くわすことのないこの時間帯が、俺は結構気に入っている。
人目さえなければ、案外この町も好きになれると思えたから。
「夜間外出しないっていうのは、電気のない時代は当たり前だったかもしれないですね。電気の登場は人に、時刻という概念に反逆する機会を与えたと――前に爺さんが言ってました」
「爺さんというのは、これから会いに行くと言っていた方でしたね」
小さな虫が自転車のヘッドライトに集まり、薄い羽を通した光が影を落とす。
「俺の恩師なんです。爺さんの所に行くのは夜の方が都合が良くて」
「その方は夜行性なのですか」
いつも爺さんの家を訪れるのは深夜であり、爺さんは星の見える夜ほど活動的になる。星図や天体図鑑を広げ、星を眺めるという夜にしかできない大仕事。
眠そうにしている姿も見かけないし、夜型に生活習慣を矯正したのだろう。
「そうですね、昼に寝てるんだと思います。プラメルでも日が沈んでから寝る……というか、昼夜の概念ってあるんですか?」
「惑星プラメルの周囲にも恒星はございます。それでこその惑星ですから」
天体図でも見たことのない名前だったから、すっかり自分の知る惑星とは別物だと思ってしまっていた。惑星とは恒星の周りを回る天体のことだ。『惑星』プラメルと言っていた時点で、恒星の周囲を漂う天体だと推察できたはずだ。
一人の時より遅いペースで自転車を漕ぐ俺の横を、彼女が小走りに歩く。もっと速くてもいいと言われたが、護衛の方に合わせてもらうのは申し訳ないので遅めに漕いでいる。
「王女殿下のいないところで、タカヒロ様に伝えたいことがありました」
「あ、改まって何でしょうか」
オッドアイの女性は、チェリーレッドの唇を薄く開いた。
「恐らく現在のタカヒロ様は――星玉の主として、不完全な状態です」
青と赤の両目をじっと見つめ返す。感情の揺らぎが読み取れない表情から、少しでも真意を読み取りたかった。
「最初に違和感を覚えたのは、王女殿下が貴方の護衛をされているとお聞きした時です。星玉の主の本領を以てすれば、護衛の必要はないと分かるはずですから」
「星玉の主になると、パワーアップしたりするんですか」
「持ち主になった時点で、星玉の力を授かるはずです」
「そういう変化は特にないですね……」
星玉のこともソリスに指摘されるまで、綺麗な宝玉としか思っていなかった。持ち主に選ばれた実感など今になっても湧かない。
「星玉に宿る意志は精神体のものです。彼らは一定の契約を交わして人間の助けとなる。今のタカヒロ様は、まだ契約条件を満たせていない」
「じゃあ、今はまだ星玉の主ではないと?」
「仮免許のような状態です。本来の力を扱うことができないままでも、暫定的な持ち主として認められているのは事実なので」
「……俺が中途半端な状態だってこと、ソリスは知らないんですか」
オキュラスはゆっくりと首肯する。
「私は王女殿下よりも精神体に近しい身なので気付けました。同調が不完全な状態だとお伝えするつもりはありません。星玉の主が中途半端な状態だとお伝えするのは忍びないですから」
「そう、ですよね」
「貴方の前では平静を装っていますが、祖国が反乱分子の手に堕ちかけている状態で王女殿下は心を痛めている。必要以上に追い詰めるのは趣味ではありません」
自分の国がテロリストの脅威に追いやられ、国宝を他の惑星に避難させるしかなくない背水の陣に追いやられたのだから傷付くのも当然だ。
出会った当初、俺は宇宙人の襲来を夢見る気持ちがあると彼女に伝えた。
もし自分の故郷に、あるいは地球に宇宙から侵略者が攻め込んで来たら、きっと俺は手放しで喜ぶ。王族でも何でもない庶民だからかもしれないけれど、それを毎日望んですらいた。
「本来はどうやって同調を進めるものなんですか? 今からでも完全な同調に辿り着ける可能性があるなら、どうにかしたいです」
「本人に宿った精神体の行動原理や思考に近付いた時です。タカヒロ様に宿っている時点で、完全な同調に行き着く素質はありますから」
自分の中に別の存在が宿っていて、その存在と同機すれば強大な力を手にできる。現実味のない話ではあるが、あの黒い化け物に対抗する手段を得られるならそうしたい。
「そう言えば、俺も疑問があったんですよね。ソリスは俺が死んだら、星玉は効果を失うって言ってました。あれって王族の権威を象徴するだけじゃなくて、実用目的で使えるんですか?」
隣を歩いていた彼女は、白皙の美貌を曇らせる。
「星玉は有益なものというより、害を減らすもの……と言うべきでしょうか」
含みのある言い方だった。権力の象徴になるものだから、反乱分子が目を付けたようなことを王女の方は言っていたのだが。
「王族が管理してないといけない理由でもあるんですか」
「王族にとって大切な宝だとだけ、覚えてくだされば結構です」
それ以上追及する前に、目的地に到着してしまった。
彼女は屋敷の前で待機するとのことだったので、荒れ果てた庭に自転車を停めて縁側に向かう。何時間かかるか分からないし、帰りにまた連絡するでも良かったのだが、待機していると頑なに主張されてしまったので譲ることにした。
縁側では瘦身を作務衣に包んだ老人が、天体の図鑑を広げている。
深い皺の刻まれた顔付きに老いぼれた印象は一切なく、長い歳月をかけて築き上げた叡智を物語っているかのようだった。
「爺さん、今日は見えるか?」
「それなりにな」
道路に面した塀からシダ植物が見えるからとか、宇宙からの飛来物であるシダライトの頭二文字を取ったとか、由来は諸説ある。いつから住んでいるか誰にも分からないらしい老人は、俺が物心付く前からシダ爺と呼ばれていた。
「一週間ぶりだけど、何か変わったことは?」
「何もない。外界との交流がなければ、変化などないものだ」
「この時期だと肝試しに来る小学生もいないかー」
初めて出会った小学五年生の時、すでに爺さんは貫禄ある白髪の老人だった。かれこれ七年の付き合いになるが、鷹を思わせる鋭利な佇まいは当時から健在だ。
同級生に囲まれ、大喧嘩の末にボロボロになったところを助けてもらったのが、シダ爺との出会いだった。傷だらけ、血だらけで家に帰れば親に迷惑を掛けると思い、小学生の頃はよくシダ爺の家で治療を受けていた。
「俺が来なくて寂しかったとかねえの?」
「他の趣味を見つけるのが自分のためになると、ようやく理解したかと安堵するだけだ」
「嘘でも寂しいと言ってほしかったのだぞ!」
爺さんはこの町で唯一、宇宙を観測していると言われる人だ。
望遠鏡や天体の専門書を揃えるほどの熱狂ぶりながら、前に聞いたら好きでやっているわけではないと言われた。ただ習慣でやっているのだと。
大人になると暇潰しで、好きでも嫌いでもないものに時間を費やしたくなるものなのかと思った記憶がある。天体観測を続けるなら、星逢町に住み続けるという選択肢は真っ先に消えそうなものなのに。
「爺さん、精神体って聞いたことある?」
この人は周りの大人の誰よりも博識で、他の惑星の文化までは知らないだろうなと思いつつ、一応聞いてみたくなった。
「今、何と言った?」
「精神体って聞いたことあるか、って聞いた」
「どこでその言葉を?」
鋭い眼光を投げかけられ、反射的に目を逸らす。うっかり鷹のような目を直視してしまったら最後、真実を吐いてしまいそうだ。
「ど、どこだったかな。聞き覚えはあるのに思い出せなくてさ」
じっとこちらを見ていた爺さんは、光の粒が並ぶ夜空を見上げた。
「お前さんは何に関わっている?」
真剣な口調で問いかけられ、冷や汗が背筋を流れた。
「この町じゃ何にも関わりようがないし、何にも起きようがないだろ?」
「……あまり、おかしなことに関わるなよ」
専門書らしき本に載っていた天体図を眺めていたら、爺さんが不意にそんなことを言った。
「だから、何にも関わりようがないんだって」
「相手がこの町の外から来た人間であれば、お前さんの事情など気にせず何かに巻き込んでくるかもしれんだろう」
星の一つ一つを目に焼き付けるように、爺さんは眉を険しく寄せる。
「……もっと言えば、この惑星の外から来た存在が、少年を利用しようとするかもしれん」
思いがけない言葉に、俺はしばらく硬直した。それはまるで飛来した宇宙人に問答無用で日常を壊されている真っ最中だと、見抜かれているかのようで。
そんなはずないと、すぐに思い当たった別の可能性を口にする。
「施天ノ神みたいに、ってことか?」
「それも有り得るだろう。この町の人間は畏怖の対象となる存在の話題を避けるが、土地に根付いた話は語り継がれるだけの理由がある。施天ノ神は再び、この地を訪れるはずだ」
「やけにハッキリ言い切るんだな」
「アレは星より来たるモノだ。いずれ時が来れば、また同じ地を訪れる」
星逢町に好きで定住しているわけではないと、爺さんは以前にも言っていた。
この土地でなければいけない理由があったのだと。
星の研究をしていることも考えると、施天ノ神について追究する民俗学の権威だったりするのだろうか。江戸時代の文献に残された土着信仰の神は、星に由来するものということだけが明かされている。
数百年前にこの地を訪れたそれが未知の存在だったから、この地の人々は神と呼んだ。
もし現代で再び、彼がこの地に降り立つことがあれば――その正体も、分かるのだろうか。




