冒険の書 管理係
「たのむ!! 今すぐ、今すぐ冒険の書に記録してくれえぇぇっ!!」
静寂に包まれた神聖な教会。その重厚な木の扉を蹴破るように開け、勇者が転がり込んできた。
彼の両手には、虹色にまばゆく発光する剣が握られている。
「ど、どうしたのですか勇者様。そんなに血相を変えて……」
「バグだ! このゲーム、さっきから処理落ちが酷くて画面がカクついてるんだよ! フリーズしてこの超レアアイテムが消える前に、一秒でも早くセーブを……っ!」
息も絶え絶えに叫ぶレオンに対し、祭壇の前に立つ記録係の神父は、慈愛に満ちた穏やかな笑みを浮かべた。
「なるほど。事態は把握いたしました。それでは、冒険の書その1に上書きをいたしましょう」
「おお! 頼む、マッハでお願い!!」
勇者が安堵の息を漏らした直後。
神父は祭壇の前でゆっくりと腰を下ろし、あぐらをかいて両手を膝の上に置いた。そして、静かに目を閉じる。
「……えっ? 神父様? 何して……」
「しーっ。天界のサーバー(女神様)と通信し、セーブデータを同期させるためには、まず私の心が完全に『無』にならねばなりません。
ノイズがあると、データが破損しますからね」
「ウソだろ!? いつも一瞬でピロリロリンってやってくれるじゃん!」
「あれは私の調子が良い時です。今日は少し、世俗の煩悩が溜まっておりまして……」
神父は深く、長く、深呼吸を始めた。
「……大きく息を吸って。吐いて。己の焦る思考を、ただ静かに観察しましょう……」
「いやいやいや! 観察してる場合じゃないって! ほら、今また画面の端がチラチラした! 早くセーブしてぇぇ!!」
レオンは冷や汗を滝のように流しながら叫ぶが、神父の耳には届かない。
彼は完全に、本格的なマインドフルネスの境地へと足を踏み入れていた。
「……『早くセーブしたい』という強い執着。それもまた、一つの感情に過ぎません。川を流れる葉っぱのように、ただ見送るのです……。息を吸って……吐いて……」
「うおおおおお神様ぁぁぁ!! 頼むからセーブボタンを押してくれえぇ!!」
レオンの悲痛な叫びが教会に響き渡る。
しかし、神父の瞑想が終わる気配は一向にない。焦燥感と恐怖で発狂しそうになるレオンだったが、神父のあまりにもゆったりとした呼吸の波に巻き込まれ、次第に自分の荒い息も同調していくのを感じた。
——30分後。
ピロリロリン♪
「……はい。己の心と向き合い、天界のサーバーとの接続が完了しました。冒険の書その1に、今の状態をしっかりと記録しましたよ」
神父がゆっくりと目を開け、穏やかに微笑む。
すると、彼の隣で同じようにあぐらをかき、目を閉じていた勇者が、静かに目を開けた。その表情からは先ほどの狂乱はすっかり消え去り、菩薩のような悟りのオーラが漂っていた。
「……ありがとうございます、神父様。己の焦りが、いかに矮小なものか気づかせていただきました」
「ええ。レアアイテムを失う恐怖もまた、幻。私たちは今、この瞬間に生きているのですから」
勇者は深く一礼すると、穏やかな微笑みをたたえ、ゆったりとした足取りで教会を後にした。




