戦場の行商人
剣と魔法が激突し、爆炎が空を焦がす最前線。
王国騎士のアルトは、魔王軍の猛攻を受け、泥だらけの地面に転がっていた。肩で荒い息を吐きながら、霞む視界で己の限界を悟る。
(くっ……俺のHPは、もう一桁だ……)
「おい。随分と派手にやられてるな」
頭上から降ってきたのは、低くドスのある声だった。
アルトが見上げると、そこには歴戦の傭兵のような隻眼に、無数の傷が刻まれた顔の大男が立っていた。
しかし、その背中には戦場にひどく不釣り合いな、巨大なリュックサックが背負われている。
「お前は……! なぜこんな最前線に民間人が!? まさか、行商人か!?」
「ただの『フリーランス』さ。金さえ払えば、地獄の底まで商品を届ける。それが俺の流儀だ」
男はニヤリと笑った。なんという頼もしい面構えだろうか。アルトは血を吐きながら、必死に男のブーツにすがりついた。
「た、頼む! 一番強い回復薬をくれ! 『エリクサー』でも『世界樹のしずく』でもいい! 金ならいくらでも払う、俺を助けてくれ……!」
「……チッ。慌てるな。命拾いしたな、坊主」
男は巨大な荷台を下ろし、ガサゴソと中を探り始めた。アルトは祈るような気持ちでそれを見つめる。しかし、次第に男の険しい顔がさらに険しくなり、やがて盛大な舌打ちが響いた。
「……悪いな。昨日の勇者パーティの爆買いで、回復薬の類は全部スッカラカンだ」
「な、なんだって!? じゃあ、他にステータスが回復するアイテムは……!」
絶望するアルトの前で、男は重々しく、一つの茶色い紙袋を取り出した。
「仕方ねえ。今日は俺の『とっておき』を出してやる」
神の遺物か、はたまた幻の霊薬か。アルトがごくりと唾を飲み込むと、男は真顔で言った。
「今日は、『焼きたてのメロンパン』しか残ってない」
「…………は?」
紙袋が開かれると、戦場の血生臭さをかき消すように、ふんわりと甘いバターの香りが漂った。
「外のクッキー生地はカリッと香ばしく、中はスライムよりふんわりモチモチだ。まだ温かいぜ。特別価格の150ゴールドだ」
「ふざけるなあああ!! こっちは血を流して死にかけてるんだぞ!? 菓子パンでHPが回復するわけ——モゴッ!?」
抗議するアルトの口に、男は無言でメロンパンをねじ込んだ。
サクッ。
反射的に噛み砕いた瞬間、アルトの脳内に稲妻が走った。
(な、なんだこれは……!)
サクサクの甘い生地の後にやってくる、豊潤なバターの香り。口の中で優しくとろけるこの感覚。
それはまるで、休日の朝に母が焼いてくれたパンのような、圧倒的な優しさだった。
気がつけば、アルトの目から大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちていた。激痛も、恐怖も、不思議とすーっと引いていく。
「……だろ?」と行商人が笑う。
「俺は……何のために戦っていたんだ?」
アルトは涙を拭い、空を見上げた。「俺はただ……みんながこうして、美味しいパンを笑顔で食べられる平和な日常を、守りたかっただけじゃないか……」
ゆっくりと立ち上がったアルトは、血塗られた剣と盾をその場にポイッと放り投げた。
「……帰ろう。俺、今日のシフトはもう上がります。家に帰って、温かい紅茶でも淹れよう……」
彼は顔をほころばせ、フンフンと鼻歌を歌いながら、激戦の地を逆走して帰っていった。
その背中には不思議なほどの幸福感が漂っていた。
遠ざかる騎士の背中を見つめながら、行商人はゆっくりと煙草に火をつける。
「……足元に気をつけて帰れよ。さーて、次のお客様はっと」
行商人は再び巨大なリュックサックを背負うと、甘い香りを漂わせながら、戦場の深い霧の中へと消えていった。




