ベビーグリフォンの教官
俺はこれまで幾多の死線を潜り抜けてきた歴戦の魔獣使いだ。
凶暴なワイバーンを手懐け、誇り高きユニコーンと心を通わせてきた。
そんな俺が今、かつてない困難なミッションに直面している。
「ピーッ……ピィィ……」
目の前の切り株(高さわずか三十センチ)の上で、ソフトボールほどの大きさの毛玉がガタガタと震えていた。
生後一ヶ月のベビーグリフォンである。
鷲の上半身とライオンの下半身を持つ勇猛な幻獣……の、はずなのだが、現状はただの「極上のモフモフ」だ。しかも、重度の高所恐怖症である。
「いいか。空の王たるお前が、そんな高さで足がすくんでどうする」
「恐れなど、心が作り出した幻にすぎない。
心を静めよ。目を閉じ、深く息を吸い、ただ己の呼吸にのみ意識を向けるのだ。内なる静寂を感じろ……」
俺の指導に、ベビーグリフォンはコクリと頷いた。そして、短い前足で器用に両目を覆い、一生懸命に深呼吸の真似事を始める。スゥ、ハァ。スゥ、ハァ。
……うむ。精神統一の姿勢は完璧だ。
「よし、今だ! 飛べ!」
俺の号令とともに、ベビーグリフォンは目をギュッとつむったまま、意を決して切り株からダイブした。
背中の小さな羽が、まるでエンジンのように高速で動き始める。
バタバタバタバタバタバタッ!!
ものすごい羽音だ。
周囲の枯れ葉が舞い上がり、モフモフの羽毛がキラキラと宙に散る。
その必死な形相は、まさに死地に向かう歴戦の勇士そのもの。
だが、いかんせん体が丸すぎる。
揚力よりもモフモフの空気抵抗が完全に勝ってしまっているのだ。
バタバタバタバタ……ポスッ。
滞空時間、約一・五秒。
見事な放物線を描いたベビーグリフォンは、あろうことか俺の顔面にジャストミートし、そのまま鼻の頭にガシッとしがみついた。
「ピイッ! ピイイイッ!(飛べた! 飛べたよ教官!)」
俺の鼻先で、ベビーグリフォンが歓喜の羽ばたきを続けている。
極上の柔らかい羽毛が頬をくすぐり、何とも言えないベビーパウダーのような甘い匂いが鼻腔をくすぐった。
「……ふっ」
俺はストイックな教官としての厳しい表情を崩さないよう必死に堪えながら、鼻にくっついたモフモフをそっと大きな両手で包み込んだ。
「あぁ……悪くない風だった。よくやった。本日の飛行訓練は、ここまでとする」
歴戦の教官と、世界一怖がりな空の王の過酷な飛行訓練は、まだしばらく、高さ三十センチの世界で続きそうだ。




