古都のヴァンパイア
街外れの廃教会
そこが、ヴァンパイア、ヴォイドの住処だった。
彼は人間のように日々の糧を得るために働くこともなく、ただ膨大すぎる時間をやり過ごしていた。
かつては血生臭い戦場に立ったこともあったが、今はただの「永遠の傍観者」。
すり切れた革のソファに深く腰掛け、古びた推理小説を静かに読み返す。
そんな無為で穏やかな日々を送っていた。
その静寂へ、ある日ひとりの人間が遠慮なく踏み込んできた。
「ヴォイドさん、また本読んでるの? 働かないとお腹空いちゃうよ?」
六十年前。
迷子になって泣いていたところを、気まぐれに街まで送り届けてやった少女――エルマだった。
「放っておけ。俺は腹など空かん。それに、魔物に関わると寿命が縮むぞ」
ヴォイドは冷たく突き放そうとした。
しかし彼女はまるで気にしなかった。
花冠を編んで持ってきたり。
街で流行りの焼き菓子を差し入れたり。
たわいもない話を一方的にしゃべっては、笑って帰っていく。
そのたびにヴォイドは「くだらん」と吐き捨てたが、一度として本気で追い返したことはなかった。
それが彼なりの、不器用な優しさだった。
時は、残酷なほど速く流れる。
少女は美しい娘となり、
街の青年と恋に落ち、
母となり、
やがて皺だらけの老婆になった。
その間もヴォイドだけは何ひとつ変わらず、廃教会の闇の中で静かに時を見送り続けていた。
そして、今夜。
街の小さな診療所。
命の灯火が消えかけた病室へ、ヴォイドは窓から音もなく舞い降りた。
ベッドに横たわるエルマは、すっかり白髪になり、その呼吸はかすかだった。
「……来たぞ。こんな夜更けに何の用だ」
ヴォイドが低く告げると、エルマはゆっくりと目を開け、しわだらけの顔に優しい笑みを浮かべた。
「ああ……ヴォイドさん。
ちっとも変わらないのね……
昔から、ずっとかっこいいまま」
「当たり前だ。俺は吸血鬼だからな。
それに比べて、お前はひどい有様だ」
憎まれ口に、エルマはくすりと笑う。
細く乾いた手がゆっくり伸びる。
ヴォイドは少しためらってから、その手をそっと握り返した。
氷のように冷たい手だった。
「ヴォイドさん……
私ね、あなたがいてくれて、本当に良かった」
「俺は、お前に何もしてやっていない。
ただ、そこにいただけだ」
「ううん……
世の中のものは、みんな変わってしまうわ。
両親も。
夫も。
私の若さも。
全部なくなってしまった。
でもね。
街外れの教会へ行けば、いつでも変わらないあなたがいてくれた。
それが、どれだけ私の人生の支えだったか……」
一筋の涙が、静かに頬を伝った。
「あなたは、そのままでいてね。
何も変わらないで……
ずっと、そこにあって……」
その言葉を最後に、
エルマの手から、ふっと力が抜けた。
魔法の心拍計の淡い光が、静かに消える。
病室は、深い静寂に包まれた。
しばらく誰も言葉を発しなかった。
やがてヴォイドが、小さくつぶやく。
「……勝手なことを言うな。
置いていくのは、いつもお前たち人間の方じゃないか」
赤い瞳から、一粒の雫がこぼれ落ちた。
何百年もの昔に枯れたと思っていた涙だった。
それはエルマの手の甲を静かに濡らし、夜の闇へ吸い込まれていった。
夜明け前。
誰もいなくなった廃教会へ戻ると、ヴォイドはいつもの革張りのソファへ静かに腰を下ろした。
ソファの肘掛けには、六十年前にエルマが背伸びして刻んだ小さな傷が、今も残っていた。
「ここまで届いたんだよ」
幼い彼女が得意そうに笑っていた日の声が、ふと耳の奥によみがえる。
ヴォイドは目を閉じる。
そして、六十年前に彼女が置いていった色褪せた赤いリボンを、大切そうに握りしめた。
「……おやすみ、エルマ。
良い夢を」
終わらない夜を生きる吸血鬼の静かなつぶやきは、誰の耳にも届くことなく、夜明け前の淡い闇へと静かに溶けていった。




