鮮血の始末屋(ヒットマン)――最後の大仕事
俺は裏社会で『始末屋』と呼ばれている。
どんな厄介な標的も、痕跡ひとつ残さず、この世から完全に消し去る。
それが俺の仕事だ。
今日の依頼現場は、雨の降る裏路地だった。
トレンチコートの襟を立て、葉巻に火をつける。
「……お前が依頼人か」
低く問いかけると、小さなウサギの獣人の少女は肩を震わせた。
「は、はい……」
おずおずと指さした先。
薄汚れた石壁いっぱいに、下品な落書きが広がっていた。
「昨日、オークたちが……」
少女は俯く。
「毎日ここを通るたび、怖くて……」
俺は壁を見上げ、小さく息を吐いた。
「安心しろ。」
ジュラルミンケースを足元へ置く。
カチャリ。
静かに錠前が開く。
中に並ぶのは、長さも形も異なる得物。
細身のもの。
幅広のもの。
刃のように薄いもの。
そして、色とりどりの小さな金属製チューブ。
「仕事を始める。」
俺は一本を手に取った。
白。
壁いっぱいに塗り広げる。
標的は、悲鳴ひとつ上げることなく姿を消していく。
跡形もなく。
完全に。
「……始末完了。」
しかし、俺の仕事はここからだった。
今度は赤。
青。
黄色。
深い緑。
色彩が静かな雨音に溶け込みながら、白い壁へ命を吹き込んでいく。
俺の両手は、鮮やかな赤で染まっていた。
返り血ではない。
最高級のクリムゾン・レーキだ。
「芸術ってやつはな……」
筆を止めずにつぶやく。
「醜いものを消すだけじゃ足りねぇ。」
「その場所に、誰かが笑える景色を残して初めて仕事は終わる。」
一時間後。
俺は静かにケースを閉じた。
「終わったぞ。」
少女は恐る恐る目を開き――息を呑んだ。
そこには落書きなど、どこにもない。
一面に広がる花畑。
空を舞う小鳥。
楽しそうに遊ぶ動物たち。
雨空まで少し明るく見えるような、大きな壁画だった。
「わぁ……!」
少女の顔いっぱいに笑顔が咲く。
「ありがとうございます! 始末屋さん!」
「……よせ。」
俺は背を向ける。
「俺は、ただの絵描きだ。」
少女から受け取った報酬は、キャンディが三つ。
葉巻をくわえ直し、雨の街へ歩き出す。
(これで新しい筆が買える。)
心の中で、小さくガッツポーズをした。
◇
翌朝。
アトリエの入口には、一枚の封筒が置かれていた。
差出人は、市役所。
中には手紙が一枚。
«『長年、街を悩ませていた違法な落書き問題は、あなたのおかげでほぼ解決しました。
今後は壁画保存事業の専属画家としてご協力いただきたく存じます。』»
俺は手紙を読み終えると、静かに笑った。
これで『始末屋』は引退だ。
最後の大仕事は終わった。
もっとも――
街の子どもたちは今でも俺を見ると、こう叫ぶ。
「始末屋のおじちゃーん! 次は公園の壁もお願い!」
……どうやら、裏社会からは足を洗えても、落書きからは一生逃げられそうになかった。




