王国看守
王国牢獄の冷たい石壁に、看守長ガルドの低くしゃがれた声が響いた。
「本日をもって刑期満了。出所だ」
鉄格子の前には、歴戦の傷跡を刻んだベテラン看守が立っている。
牢の中では、小柄なゴブリンが干し草のベッドに寝転がったまま、鼻をほじりながら返事をした。
「……え?」
「出所だと言った」
「聞こえてますよ」
「ならさっさと荷物をまとめろ」
ゴブ吉は薄汚れた毛布をぎゅっと抱きしめた。
「嫌です」
ガルドは眉間の皺を深くした。
「……今、何と言った?」
「だから、シャバには出たくありません」
牢屋の前を巡回していた新人看守のリックは、思わず足を止めた。
「えっ!? 牢屋ですよここ!?」
「はい」
「自由になれるんですよ!?」
「そうですね」
「じゃあ、なんで!?」
ゴブ吉は真顔で、指を折り始めた。
「朝昼晩、三食付き」
「はい」
「雨風しのげる、強固な石造りの完全セキュリティ」
「うん」
「掃除は当番制で衛生的」
「そうだ」
「寝床は毎日ふかふか」
「ただの干し草だけどな」
「しかも家賃無料」
リックは小さくうなずいた。
「……確かに、超優良物件ですね」
ガルドは即座に新人の後頭部をスパーンと叩いた。
「納得するな」
ゴブ吉は滔々と続ける。
「外へ出たら仕事を探さないといけません」
「働け」
「家もありません」
「探せ」
「最近、街道沿いに飢えたケルベロスや野盗が出没してるって聞きました」
「それは事実だ」
「だったら、近衛兵団が二十四時間体制で警備してるここが、世界で一番安全です」
ガルドは重いため息をついた。
「いいか。牢屋は宿屋じゃねえ」
「でも快適です」
「快適に管理するのが俺たちの仕事だからな」
「ありがとうございます。星五つです」
「レビューするな」
そこへ、昼食の鐘が鳴った。
コトン、と鉄格子の下から食事が差し入れられる。
オーク肉の塩漬け、マンドラゴラの栄養スープ、そして硬い黒パン。
ゴブ吉は目を輝かせた。
「やった! 今日はオーク肉だ!」
ガルドは鼻で笑った。
「最後の晩餐……ならぬ、最後の昼飯だ。せいぜい味わって食え」
「最後……」
ゴブ吉は、この世の終わりのような顔でうつむいた。
昼食を終えると、ガルドは無慈悲に牢の鍵を開けた。
「さあ、行くぞ」
ゴブ吉は鉄格子にしがみつき、一歩も動かない。
「歩け」
「足が重いです」
「気持ちの問題だ」
リックが困ったように聞く。
「こんな人……じゃなくて、こんな魔物いるんですか?」
「十五年看守をやってるが、初めてだ」
ガルドは腕を組み、冷徹な目で見下ろした。
「いいかゴブ吉」
「はい」
「外に出て、まじめに働け」
「働き口がなかったら?」
「ギルドの職業紹介所へ行け」
「家が借りられなかったら?」
「スラムの救済院へ相談しろ」
「お金がなくなったら?」
「働け」
「……結局そこに行き着くんですか」
「この世の真理だ」
しばらく沈黙が流れた。
やがてゴブ吉は諦めたように立ち上がった。
「……分かりました」
小さな荷物を背負い、とぼとぼと牢の外へ出る。
ガルドはニヒルな笑みを浮かべ、送り出した。
「二度とツラ見せるなよ」
「はい……」
重々しい音を立てて、王国牢獄の正門が閉まる。
リックはホッと息をついた。
「終わりましたね」
「ああ。厄介払いが済んだぜ」
その日の夕方。
コンコン。
牢獄の受付の重い扉が、控えめに叩かれた。
ガルドが扉を開けると、そこには朝見送ったばかりのゴブ吉が立っていた。
「ただいま」
「お前ん家じゃねえ」
ガルドが即座に扉を閉めようとすると、ゴブ吉が必死に足をねじ込んだ。
「仕事、見つかりませんでした! 外、めっちゃ怖いです! 冒険者にすれ違いざまに斬られそうになりました!」
「それがシャバの日常だ。とにかく、帰る場所はここじゃねえ」
「一泊だけ!」
「宿屋へ行け」
「お金がありません!」
ガルドは深く頭を抱えた。
「だから働けと言っただろうが……」
ゴブ吉は少し考えてから、にやりと笑った。
「じゃあ……」
「今度は何だ」
「ここで看守のアルバイト、募集してませんか? まかない付きで」
リックが思わず吹き出した。
ガルドはピクピクとこめかみを引きつらせながら、ゴブ吉を睨みつける。
「……まずは履歴書を書いてこい」
「文字、書けます!」
「ほう。前任のトロルよりは優秀だな。第一関門クリアだ」
ゴブ吉は目を輝かせた。
「じゃあ、明日また来ます!」
元気よく走っていくゴブ吉の後ろ姿を見送りながら、リックが笑いを堪えきれずにつぶやく。
「看守長。……あのゴブリン、本当に面白いですね」
ガルドは深く、深くため息をついた。
「世の犯罪者が全員あいつみたいなら、血を流さずに済むんだがな……」
そう言いかけて、夕暮れの空を見上げる。
「いや、うちの食費予算が破滅するか」
王国牢獄には、今日も笑い声が響いていた。




