パン職人
古びた地下迷宮の最深部
そこには、一度も破られたことがない宝物庫があった。
その前に立つ番人は、一体のゴーレム。
名をドスン。
岩を砕く拳を持ち、何百年ものあいだ侵入者を退け続けてきた、伝説の守護者である。
――ただし。
本人にもどうにもならない秘密が、一つだけあった。
彼を造った魔法使いが、素材を調合している途中で寝落ちしたのである。
目覚めた頃には、核石の隣に置いてあったパン種まで一緒に封じ込められていた。
以来、ドスンの体内では魔力の熱で、今日も元気にパンが発酵している。
「……くしゅん」
体の継ぎ目から、ふわりと焼きたての香りが漏れた。
ドスンは心の中でため息をつく。
(頼む。今日は誰も来るな)
願いは、たいてい叶わない。
◇
「いたぞ! 伝説のゴーレムだ!」
若い冒険者三人組が宝物庫へ飛び込んできた。
剣士が剣を抜く。
魔法使いが杖を構える。
盗賊が背後へ回る。
完璧な連携だった。
ドスンは拳を掲げる。
ゴゴゴゴ……。
床が震える。
(威厳を見せねば)
その時だった。
「……あれ?」
盗賊が鼻をひくつかせる。
「パンの匂いがする。」
剣士も鼻を鳴らした。
「しかも焼きたて。」
(違う。今はそこじゃない)
緊張する。
体内の魔力が高まる。
発酵が進む。
そして――
ポンッ。
胸の石板が開き、こんがり焼けた丸パンが三つ転がった。
しばし沈黙。
「……いただきます。」
誰からともなくパンを手に取る。
一口。
二口。
三人同時に固まった。
「……うまい。」
「何これ。」
「今まで食べたパンで一番うまい。」
ドスンは目を閉じた。
(もう好きにしてくれ)
その日、宝物庫は守られた。
理由は単純。
誰一人、宝を見に行かなかったからである。
◇
噂は、迷宮中を駆け巡った。
「あのゴーレム、パンを焼くらしい」
「しかも無料」
「いや、人生変わる味らしい」
以来、冒険者たちは毎日のように訪れた。
ドスンは威嚇する。
緊張する。
パンが焼ける。
食べられる。
帰っていく。
……誰も戦わない。
◇
ある日、一人の老人が現れた。
白髪混じりの老冒険者。
若い頃、この宝物庫へ挑み、命からがら逃げ帰った男だった。
「久しいな、ドスン。」
懐かしい声だった。
ドスンも覚えている。
あの日、互いに全力だった。
老人は笑う。
「もう宝はいらん。」
「ただ、お前のパンが食べたくてな。」
ドスンはゆっくり胸へ力を込めた。
ポン。
焼き色の美しい丸パンが一つ。
老人はそれを両手で受け取り、大事そうにかじる。
「……変わらんな。」
目尻に涙が浮かぶ。
「結局、お前が守っていた一番の宝は、この味だったのかもしれん。」
ドスンは何も答えない。
石の顔に表情はない。
けれど、その背中は少しだけ誇らしげだった。
◇
後の時代。
この迷宮は「一度も宝物庫を破られなかった迷宮」として歴史書に残る。
もっとも、その理由までは記されていない。
――誰も宝箱を開ける前に、お腹いっぱいになってしまったからだ。




