山賊カンダタ 第2話 【聖女と呼ばれた女】
夜露に濡れた森の中、焚き火だけがぽつりと赤く灯っていた。
「頭、こっちだ!」
見張りの声に、カンダタは無言で剣の柄を握った。茂みを掻き分けて転がり込んできたのは、修道服を血で汚した若い女だった。
「お願い……匿って……」
直後、森の奥から鎧の擦れ合う音が近づいてくる。
松明に照らされたのは、教会の紋章を掲げた聖騎士の一団だった。
「その女は教会の宝物庫を荒らした大罪人だ。匿えば貴様らも同罪と知れ」
一味の間に緊張が走る。
若い山賊がカンダタを見た。
一味の掟は絶対だ。
損切りは秒でしろ。
勝ち目のない喧嘩や、一文の得にもならない厄介事は即座に切り捨てる。
だからこそ、この無法の森で生き延びてきた。
カンダタは女を一瞥した。
命乞いの目ではない。
怯えながらも、その奥に何かを諦めきれない光が残っていた。
「……邪魔だ、そこをどけ」
カンダタは女の肩を乱暴に蹴った。
女が枯れ木と岩の隙間へ転がり落ちるのと同時に、その上へボロ布を被せ、自分がドカリと座り込む。
「大罪人だか何だか知らねえが、ウチのシマでデカい顔すんじゃねえ。それとも何か、山賊から巻き上げるお布施でもあんのか」
酒臭い息を吐きながら睨みつける。
聖騎士の隊長は舌打ちすると、ふと足を止めた。
「……その帳簿一冊で、教会と王国の秩序が崩れる。余計な正義は、結局は多くの民を苦しめるだけだぞ、山賊風情が」
言い捨てて、騎士たちは森の奥へ散っていった。
気配が消えた後、カンダタは布を払い除けた。
焚き火の傍らで、女はミリアと名乗った。教会付属の孤児院のシスターだという。
「盗んだのは、金じゃありません。……これです」
懐から取り出したのは、血で汚れた帳簿だった。
「孤児院の子供たちは、『奉仕』という名目で他国へ送られていました。実際は……人買いへの引き渡しです。
司教様が帳簿を燃やす前に、持ち出しました」
パチ、と薪が爆ぜる音だけが響く。
「だから私は『悪女』にされました。
金を盗んだ、司教様に色仕掛けをした……好きなように噂を流されて」
カンダタは黙って革袋の酒を煽った。若い山賊が代わりに聞いた。
「なんでそんな危ねえ橋渡ったんだ。見て見ぬふりすりゃ、あんたは今頃安全だったろうに」
ミリアは俯き、震える両手を握りしめた。
「……見て見ぬふりをした夜は、必ず子供たちの顔が夢に出るんです。それでも眠ろうとしました。でも、もう無理でした」
翌朝、森を包囲する足音で一味は目を覚ました。戻ってきた聖騎士は、昨夜の倍以上いた。
「頭、こういうのは損切りするんじゃなかったんですか」
若い山賊の問いに、カンダタは首の骨を鳴らしながら立ち上がった。
「ああ。分が悪けりゃ即座に手を引く。それが俺たちの命綱だ」
長剣を抜き、朝日を背にした騎士たちを見据える。
「だがな。悪党にも、大赤字叩いてでも退けねえ勝負ってのがあるんだよ」
先陣の騎士が斬りかかる。
カンダタは一歩踏み込んでその剣を受け流し、柄頭で兜を打ち据えた。
崩れた騎士の隙に、若い山賊が仲間を庇う。
「野郎ども、死にたくなけりゃ一人残らず道連れにしろ!」
怒号と刃が朝靄を切り裂いた!
戦いが終わる頃、聖騎士たちは半数以上の犠牲を出して退却していった。
だが一味も無傷ではない。
野営地は焼け落ち、カンダタの脇腹には長剣の傷が深々と口を開けていた。
この傷では、もう当分動けまい。慣れ親しんだ隠れ家も、捨てるしかなかった。
血だまりの中に座り込み、荒い息で傷口を布で縛るカンダタに、ミリアが駆け寄って泣き崩れた。
「なぜ、助けてくださったのですか。あなた方には何の得も、こんな傷を負う理由もないのに」
カンダタは痛みに顔を歪めながら、鼻で笑った。
「勘違いすんじゃねえ……てめえのためじゃねえよ。ただ、あいつらの偽善のツラが気に食わなかっただけだ」
ミリアは深く頭を下げると、朝日の差す道を、帳簿を胸に抱いて去っていった。その背中に、昨日までの怯えはもうなかった。
若い山賊が肩で息をしながら笑った。
「頭、さっきの台詞、柄にもなくかっこよかったっすよ」
「うるせえ」
カンダタはぶっきらぼうに手を伸ばした。
「……酒よこせ。傷に染みて、たまんねえ」
盃を受け取りながら、誰にも聞こえないほど小さく付け加える。
「……悪党じゃ、食っていけねえな」
その独り言は、立ち昇る焚き火の煙とともに、朝焼けの空へ静かに溶けていった。




