おでん屋さん
夕暮れになると、小さなリアカーがお城と村をつなぐ街道にやって来る。屋根を広げ、提灯に火をともす
「おでん屋『ぽかぽか』、開店でーす!」
店主は十五歳くらいの少女。
亡くなった父から受け継いだリアカーを、自分で引いておでんを売っている。
父の口癖は「誰であろうと、お客さんはお客さん」だった。
相手の身なりも肩書きも見るな、という意味だと、少女はまだよく分かっていなかった。ただ、その言葉だけは律儀に守っていた。
その夜も店じまいをしようとした頃、ズシン、ズシンと重い足音が近づいてきた。
黒い鎧に大きな角の兜。誰が見ても、ただ者ではない。
「……まだ、やっているか」
「やってますよ! 寒いでしょう? 今日は大根がおすすめです!」
「……私が怖くないのか?」
「お客さんですよね?」
男は少し黙ってから、小さくうなずいた。
器を受け取り、一口食べる。湯気の向こうで、驚くほど長い沈黙があった。
誰かに何かを作ってもらったのが、いつ以来か思い出せなかったからだ。
城の食事は毒見役を通した冷めた料理しかない。
「……うまい」
その一言だけ残し、代金を置いて闇へ消えていった。
それから毎週、同じ曜日に男はやって来た。
「今日はこんにゃくも味が染みてますよ」
「……では、それも」。
少しずつ言葉が増え、ある夜には「昔、母がこういう煮物を作った」とぽつりと漏らした。
スズは名前を聞かなかった。
男も名乗らなかった。お客さんだから、それで十分だった。
ある夜、馬車を飛び降りた四人組が屋台へ駆け込んできた。
「黒い鎧の男を見ませんでしたか!」
先頭の若い剣士が息を切らして言う。
「見ましたよ。大根を三つ食べて、『今日は少し味が濃いな』って言って帰りました」
勇者たちは思わず顔を見合わせた。
「そ、そんな情報じゃない……」
剣士は肩を落としながら、串を一本つまんで口に運んだ。とたん、目を見開く。
「……美味い。正直、遠征飯にもう三ヶ月飽きてたんです」
その時、聞き慣れた低い声が響いた。
「……今日は、もち巾着を頼む」
「魔王……!!」
剣が抜かれる。魔王も静かに立ち止まる。今にも戦いが始まりそうになった、その瞬間。
スズが両手を腰に当てた。
「ダメです。うちはケンカ禁止です。リアカー壊れたら困るんです。それに、おでんが冷めちゃいます」
しん、と静まり返る。勇者はゆっくり剣をしまった。魔王も静かに腰を下ろす。
「はい、魔王さんはもち巾着。勇者さんは?」
「……玉子」
湯気の向こうで、世界を二分する宿敵が並んでおでんを食べる。やがて勇者が苦笑した。
「……決戦は、来週にしませんか」
「おでんを食べた後は、腹ごなしが必要だ」
その一言に、勇者パーティの後方に立っていた残り三人が、そっと空いた席に腰を下ろした。誰も止めなかった。
「あの、私たちも大根……」
「はいはい、みなさんもお客さんですもんね」
少女はくすっと笑い、もう一度火をくべた。
父の口癖の意味を、少しだけ分かった気がした。
誰が相手でも、湯気の前では敵も味方もない。
その夜も街道には、湯気と笑い声だけが静かに残っていた。




