吟遊詩人
王都から遠く離れた辺境の村
月に一度、広場で吟遊詩人が竪琴を鳴らすと、寂れた村に微かな熱が帯びる
最前列には、いつも毛布にくるまれた少女、エマがいた
重い病に伏し、自力で歩くことも叶わない痩せ細った体
だが、詩人を見つめるその瞳だけは、熱を帯びていた
「今日も、竜騎士のお話を聞かせて」
詩人は黙って頷き、弦を弾く
――蒼き飛竜を駆る騎士。空の果てで魔を討ち、約束通り、必ず愛する者の元へ帰還する英雄の歌。
「お父さんも、帰ってくるよね」
「ええ。竜騎士は、約束を違えない」
詩人は淡々と、しかし確かな声で答えた
そのやり取りを、広場の暗がりから静かに見つめる男がいた
片脚を引きずる、無精髭の男
かつて王都の空を護った竜騎士の生き残りであり、エマの父の部下だった男だ
季節が巡り、エマの命の灯火が消えかける
それでも歌を聴くたび、彼女は濁りゆく目で空を見上げた
「今日は雲が高いね。こんな日は、お父さんも飛びやすいかな」
詩人は何も言わず、ただ弦を弾き続けた
ある夜、村に弔いの鐘が鳴った
広場から少し離れた古井戸のそば。夜陰に紛れて村を去ろうとする詩人の前に、あの男が酒瓶を手に立ち塞がった
「……どうして、あんな嘘を吐き続けた」
男の声は、ひび割れていた
「隊長は三年前、国境防衛で俺を庇って墜ちた。俺はあの子に、真実を告げる勇気すらなかった腰抜けだ。なのにお前は、毎月やってきては、あの子に希望という名の毒を飲ませた」
詩人は荷造りの手を止めない
「真実という劇薬が、あの子の体を癒したとでも?」
「……ッ」
「いつか帰る父を待つ日々は、死の恐怖に怯える夜より、ずっと温かかったはずだ」
「それは欺瞞だ。いつか必ず絶望する」
「ええ。救いようのない欺瞞です」
詩人は竪琴を背負った
男は俯き、強く握りしめた拳から血を滲ませた
「俺たちは……誰も守れなかった。空も、隊長も、その娘の命も」
詩人は夜空を見上げた。厚い雲に遮られ、星は一つも見えない
「それでも、あの子の心の中にだけは、最後まで英雄が飛んでいた」
詩人は歩き出す。すれ違いざま、静かな声が夜風に溶けた
「……誰かが泥を被らねばならないのなら、私が歌いましょう」
男は振り返らない。ただその背中に向かって、見えないように深く頭を下げた
風が吹き抜ける
遠ざかる足音に混じり、小さくハミングが聞こえた
――竜騎士は、今日も空を越えて帰ってくる
暗闇の中を歩くその後ろ姿は、真実という重い泥を背負って歩き続ける、もう一人の騎士だった




