呪文開発士 第2話 「魔力ゼロでも使える呪文」
「ルーン! ついに完成したぞ!」
王立魔導研究所の薄暗い地下室。
もくもくと立ち込める怪しげな紫色の煙の中から、グリモ博士が歓喜の声を上げて飛び出してきた。
「博士がそう言う日は、決まって王国がざわつく日なんですが……」
助手のルーンは、手にかけていた実験用のフラスコをそっと置きながら、わざとらしく大きなため息をついた。
「ふはは! 今日は歴史が変わるぞ。なんせ『魔力ゼロでも使える呪文』だ!」
「……え?」
「魔力器官を持たない一般市民でも、これさえ唱えれば誰でも一瞬で魔法が使えるようになるのだ!」
そんなことになれば、魔法を特権としてふんぞり返っている魔導学院は大パニックになる。
ルーンが止める間もなく、博士は研究所の掃除係であるおじいさんを無理やり連れ込んできた。
「わ、わし、魔力なんてからっきしですよ?」
「それでいい。この巻物に書かれた言葉を読んでみてくれ」
おそるおそる、おじいさんが呪文を口にする。
「《エブリ・スペル》」
ポンッ、と小気味良い音が響き、何もない無機質な机の上に、一輪の美しいチューリップが咲いた。
「おおっ!」と目を丸くするおじいさん。
ルーンは絶句した。これは本当に、世界を根底からひっくり返す大発明だ。
翌日、王国は魔法の光に包まれた。
空をスイスイと飛んで配達をする子ども、火炎魔法で窯を瞬時に温めるパン屋、雨を降らせて豊作を喜ぶ農家、水流を操って大量の魚を捕まえる漁師。誰もが魔法を使える、夢のような時代が到来したのだ。
「博士、やりましたね! 歴史に残る大発明ですよ!」
「うむ」
研究所の窓から、魔法で活気づく街を眺める博士は、得意げに顎髭を撫でていた。
しかし、その夢のような平和は長くは続かなかった。
その日の夕方。バンッ! と研究所の重厚な扉が吹き飛び、王宮魔導士長が血相を変えて飛び込んできたのだ。
「た、大変です! 世界中で魔力が……余りまくっています!」
「余る?」
ルーンが首を傾げる。世界中のみんなが一斉に魔法を使い始めたなら、むしろ魔力は枯渇するのではないか。
「博士の呪文は『魔力ゼロ』で発動する! そのせいで、人間が本来自然に生成している微量の魔力が全く消費されず、体からあふれ出して空気中に充満しているんだ!」
人間の体は、使われない魔力を垂れ流す壊れた蛇口と化していた。
行き場を失い、空中に限界まで飽和した魔力は、あろうことか無機物や動物に宿り始めたのだ。
窓の外を見ると、悲鳴とともに奇妙で恐ろしい光景が広がっていた。
ホウキが勝手に空を飛び回り、
シチュー鍋がオペラを大声で歌い、
広場の石像が呑気に散歩を始めている。
あまつさえ、その辺の池のカエルまでが器用に魔法陣を描き、空からハエを召喚して食べているではないか。
「世界中の物が魔力を吸って、勝手に動いてます!」
「なるほど。行き場を失った魔力にも、就職先が必要だったか」
大惨事を目の当たりにしても、博士はどこか他人事のように頷いた。
翌週。大混乱に陥った王国では、急遽新たな法律が施行された。
『国民は毎日一時間、従来の魔力消費活動を行い、体内の魔力を放出すること』
そしてエリートであるはずの魔導士たちは、勝手に動く家具や歌う鍋から余剰魔力を抜き取る「魔力回収業者」として、以前の何倍も忙しく走り回ることになった。
「博士……」
「なんだ?」
「博士の発明って、世界を便利にする前に、いつも変な法律や仕事が増えますよね」
呆れ果てたルーンの言葉に、グリモ博士は悪びれもせず笑った
「文明とは、そういうものだ」




