凄腕マッサージ師
「一度受けたら、病みつきになるらしいぞ……」
王都の裏路地にひっそりと佇むその店には、常にいかがわしい噂が絶えない。
女戦士のダレンは、頬を真っ赤に染め、明らかに過剰な期待を抱いた目で施術台に横たわっていた。
「筋肉のコリをほぐすだけの、真っ当な仕事です」
主人公のリオは真顔でそう告げたが、これまで誰一人としてこの説明を信じた者はいない。
噂というのは、真実よりも大衆にとって都合のいい方向へ育つものらしい。
施術が進み、リオの指が的確にツボをとらえ、ダレンの体が極限までリラックスした瞬間――女神の加護とも呼べる凄まじい癒しが発動する。
「んっ……あぁ……っ、そこ……だめ……っ!」
待合室に座っていた次の客、純情な若い騎士見習いの顔が、みるみるうちに茹でダコのように赤くなっていく。
「な、なにが行われてるんだ、中で……っ!!」
リオは、扉の向こうで震える騎士見習いの視線など気にも留めず、淡々と施術を続けていた。
仕事だから。
ただ、それだけなのに。
数日後、ついに決定的な事件が起きた。
討伐対象に指定されているはずのオークの隊長・ゴルドが、粗末なローブで人間に変装し、こっそり店を訪れたのだ。
ゴルドはドスリと重い音を立てて、血糊の染み付いた身の丈ほどもある大斧を壁に立てかけると、恥ずかしそうに小声で告げた。
「その、肩が……ひどく凝っていて、な。誰にも言うなよ」
筋骨隆々、部族一の猛者と恐れられる怪物の哀愁漂う姿に、リオは内心戦慄しながらも、プロとして顔色一つ変えずに施術台へ案内した。
岩のように硬い緑色の背中に指を沈め、ガチガチに固まった肩甲骨を力強くほぐしていく。ゴルドの体が、少しずつ、確実に緩んでいく。
そして――運命の瞬間が来た。
「うおおおおおおおおおおおッ……!!!」
雄叫びとも、悲鳴とも、圧倒的な恍惚ともつかない野太い咆哮が、店中をビリビリと震わせた。
棚からポーションの瓶が転げ落ち、壁に掛けられた絵画が傾き、窓ガラスにピキッと亀裂が走る。
たまたま外を通りかかった冒険者ギルドの職員は、その声を聞いて顔面を蒼白にした。
「た、大変だ! マッサージ店で、魔物が人間を喰ってるぞ!!」
数分後。
完全武装した冒険者の討伐部隊が、けたたましい音を立てて店の扉を蹴破った。
「動くな! そこまでだ化け物――」
しかし、突入した彼らの声は、言葉の途中でピタリと止まった。
そこにいたのは、うつ伏せになり、滝のような涙を流しながら「ありがとう……ありがとう……っ」と震える声で呟くオークの巨漢。
そして、その緑色の巨大な背中に馬乗りになり、汗だくで息を切らしながら両手を押し当てているリオの姿だった。
カラン……。
先頭の剣士の手から、長剣が力なく滑り落ちた。
彼らは口を半開きにしたまま、言い逃れのできない『狂気の光景』を前に、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
「こ、これは……一体、何の儀式だ……」
「ただの、マッサージです」
リオは額の汗を拭いながら、真顔で答えた。
当然、誰一人信じてはいなかった。
その日以降、「あの店に行くと、オークの隊長すら雄叫びを上げて泣き崩れるほどの快楽が味わえる」という、さらに致命的に歪んだ噂が町中に広まった。
翌月の来店予約は、以前の三倍に膨れ上がった。
リオは深いため息をついて、今日もドアベルの音とともに次の客を出迎える。
「……いらっしゃいませ。ただの、マッサージです」




