殺し屋ゼノ【玉座の闇】
魔導都市バビロン、その最深部——魔王城。
かつて人と魔を隔てていたはずのこの地にも、絶えず降り注ぐ魔瘴雨と同じように
紫煙立ち込める『紫煙』の毒が這い寄っていた。
囚われの魔物や下級魔族たちが、正気を失い、牙を剥き
あるいは虚ろに笑いながら崩れていく。
玉座ならぬ玉座の間で、魔王は静かにそれを見下ろしていた。
「……我が眷属が、人間の作った毒に堕ちていく」
低く、地の底から響くような声だった。
魔王は闇の伝手を通じ、ただ一人の男に接触した。
地下酒場の最奥、血のように赤い魔酒のグラスを傾ける男——ゼノ。
「人間よ、報酬は弾む。この毒の元を絶ってくれ」
俺はグラスを置き、羊皮紙の指令書を漆黒の魔獣革のトレンチコートへと滑り込ませた。
感情の波を消し、あらゆる執着をゼロに保つ。
それが《深淵の処刑人》と呼ばれる俺の、生き残るための流儀だった。
「契約は成立だ」
俺は氷のように冷たい声で呟いた。
「だが覚えとけ……俺が撃ち抜くのは命じゃない。奴の『業』そのものだ」
麻薬の流通ルートを追ううちに、違和感が積み重なっていく。
末端の売人が懐に忍ばせる紋章——それは王家の紋章と酷似していた。
裏社会の情報屋を締め上げ、帳簿の写しを手に入れる。
麻薬王ダグランと、王家の紋章を持つ何者かとの間で交わされた密約の記録。
国庫を肥やすため、王自らが禁制品の流通を黙認——いや、主導していた可能性。
「……成る程な」
俺は嘲笑うように片目を細めた。
表向きは「救国の王」、裏では毒を撒く元凶。
玉座に座る者の顔など、所詮そんなものだ。
轟く雷鳴が、王都地下の精製工場を青白く照らし出した。
結界の隙間を縫うように、俺は影縫いの瞬動で敷地内へと溶け込む。
「侵入者だ! 殺せ!!」
警報の魔導具が金切り声を上げ、重武装のオーク兵たちが廊下を埋め尽くす。
鈍く光る戦斧が、俺の首を刎ねようと迫る。
だが、遅い。
俺はコートの奥から、鈍色の相棒——『魔銃創世器』を引き抜いた。
「第一拘束解除……消え失せろ」
引き金を引く。
音を置き去りにした絶望の魔弾が、漆黒の閃光となって奔る。
鋼鉄の装甲もオークの肉体も、紙切れのように貫き、消滅させた。
最奥の精製室。
追い詰められたダグランは、床に這いつくばりながら、震える手で光り輝く小瓶を差し出してきた。
「ま、待て! 王のご命令だ! 俺を殺せば、お前も——」
「下らないな」
俺は熱を帯びた銃口をダグランの眉間に突きつけた。
「誰の命令だろうと関係ない。俺が撃ち抜くのは、お前の『業』そのものだ」
「ひっ……!」
「地獄の底で、本物の神に許しを乞いな」
一切の躊躇なく、乾いた断罪の銃声が響き渡った。
小瓶が粉々に砕け散り、幻想の光が虚しく瞬いては消えていく。
精製工場の奥は、王宮へと直結する隠し階段が続いていた
王を、この手で断罪してやる
だが、辿り着いた玉座は、もぬけの殻だった。
冷え切った椅子。
踏みつけられた紋章の旗。
王はとうに、この城を離れていた。
俺は玉座に歩み寄り、埃をかぶった肘掛けに指を這わせる。
「……やっぱり、そう簡単にはいかねぇか」
窓の外では、まだ魔瘴雨が降り続いていた。
ダグランの死体も、崩れた工場も、いずれこの毒々しい雨に飲まれて消えていくのだろう。
だが玉座の闇だけは、雨に流されることなく、そこに在り続ける。
魔王城へ戻ると、魔王は静かに俺を出迎えた。
「毒の元は絶ったか」
「ああ。だが、根っこは残ったままだ」
魔王はしばし沈黙し、やがて低く笑った。
「……それでいい。今日のところはな」
俺は謝礼にも一瞥をくれず、コートの襟を立てた。
「借りは返した。それだけだ」
音もなく、俺は再び夜の闇と雨の中へ姿を消した。




