絶対の神託【赤き月】
王国の歴史において、決して解読できないとされる
『絶対の神託』があった。
『赤き月が三度昇るとき、選ばれし者は西へ進め』
歴代の大神官たちが一生涯を捧げ、時には解釈を巡って国が割れるほどの論争を巻き起こしたその一文を、青年アルドは十九歳にして解き明かしてしまった。
「赤き月」とは、百年に一度訪れる血の月食の周期。
「西」とは、魔の領域とされる失われた古代文明の方角。そして「選ばれし者」――それは星の巡り合わせを持つ、自分自身だ。
「私が、この世界の運命を変える……!」
アルドは国宝の聖剣を背負い、涙ながらに旅立った。
国中がその背中を見送った。偉大なる王ですら、玉座を降りて彼の手を握り、世界の未来を託した。
三日三晩、飲まず食わずで西へ歩き続けた。
凶悪な魔物の森を駆け抜け、切り立った断崖を素手でよじ登り、空腹と疲労で意識が朦朧とする中、ついに西の果てにある小さな町へとたどり着いた。
アルドは崩れ落ちるように、石畳に膝をつく。
「ここに……世界の真実が……」
顔を上げたアルドの目に飛び込んできたのは、世界の真実を記した神殿ではなく、赤提灯が揺れる古びた看板だった。
『開店三百年 元祖・西風ラーメン』
アルドは震える手で、その看板の隣にひっそりと佇む、苔生した古い石碑を撫でた。
間違いない。王都の神殿にある神託と、まったく同じ筆跡だ。石碑には、あの神託の『続き』が刻まれていた。
『……というわけで、あそこのラーメンは本当に美味い。血の月の夜はお祭り騒ぎで屋台に人が流れるから、本店が空いてておすすめ。西へ進むべし』
神託の正体は
単なる神様の個人的な「グルメの口コミ」だった。
アルドはしばらく、その場に石像のように立ち尽くしていた。
やがて、フラフラと亡霊のような足取りで店に入り、カウンターに突っ伏しながら震える声で注文した。
「……ラーメン、一つ」
「あいよ!」
目の前に出されたどんぶりを見て、アルドは息を呑んだ。
琥珀色に透き通った熱々のスープ。
その表面には黄金色の脂が星のように瞬き、器の中央には、とろけるほど煮込まれた分厚い豚肉が堂々と鎮座している。
立ち昇る湯気から漂う、醤油と焦がしネギの香ばしい匂い。
たまらず一口すする。
その瞬間、極限の空腹状態にあったアルドの全身に、魚介の鮮烈な旨味と、動物系スープの深いコクが稲妻のように駆け巡った。
「っ……!」
アルドは泣いた。
世界の運命を変える使命感からでも、過酷な旅を終えた感動からでもない。ただ純粋な、味への涙だった。
「……美味い。神は、嘘をつかなかった……っ!」
数日後。
ボロボロになって帰還したアルドから「神託の真実」を聞かされた王都の神殿は、お通夜のような静寂に包まれた。
最高権力者である大神官は、目を閉じたまま三日三晩、一言も発さずに黙り込んだ。
誰もが大神官の怒りを恐れ、息を潜めていた。
そして四日目の朝。
大神官はゆっくりと目を開き、静かに、しかし威厳に満ちた声で一言だけ発した。
「……次の血の月、みんなで行こう」
その日から、王国の暦において『血の月食』は、国民の祝日となった。




