力持ちオーク漁師【投網にかかった宝石】
オークのガルドの朝は早い。
夜が明けるより先に起き、顔を洗い、腹いっぱい朝飯を食う。
そして日の出とともに、村で一番大きな投網を担いで川へ向かう。
ガルドは村一番の漁師だった。
丸太のように太い腕。
岩のように頑丈な身体。
彼が使う投網は、太い麻縄を何重にも編み込んだ特注品で、水を吸えば大人三人がかりでも持ち上げるのは難しい。
だが――。
「よっ、と!」
ガルドは軽々とそれを振り回した。
ザバァァン!
巨大な網が朝の川面へ広がり、銀色の水しぶきが朝日にきらめく。
「さて、今日は何が獲れるかな」
ガルドは鼻歌交じりに網を手繰り寄せた。
ところが。
「……ん?」
重い。
いつもの魚の重さではない。
「岩でも引っかけたか?」
太い腕に力を込める。
ズズズ……。
川底から何かを引きずるような感触。
「おらぁ!」
ガルドが一気に網を引き上げる。
ザバァァァン!
水しぶきとともに、魚たちが跳ね上がった。
そして、その中央に――。
「……なんだ、こりゃ」
一抱えもある巨大な青い宝石が、魚たちに混じって転がっていた。
朝日を浴びて、宝石が青く輝く。
「おい、ガルド!」
「すげえぞ!」
「宝石だ!」
騒ぎを聞きつけ、村人たちが次々に集まってきた。
「こんな大きな宝石、見たことねえ!」
「王都へ持っていけば、とんでもない値段になるぞ!」
「家を建て替えられる!」
「いや、そんなもんじゃない。商人に売れば、一生遊んで暮らせる!」
村人たちは口々に夢を語り始めた。
だが、ガルドは答えなかった。
宝石をじっと見つめていた。
何かがおかしい。
美しい。
確かに、とんでもなく美しい。
だが――。
「……温かいな」
ガルドは宝石に手を触れた。
冷たい川の中にあったはずなのに、妙に温かい。
しかも。
ドクン。
ドクン。
「……?」
宝石が、脈打った。
ガルドは眉をひそめた。
もう一度触れる。
ドクン。
まるで、生き物の心臓のようだった。
「ガルド?」
そのとき。
誰かが叫んだ。
「おい! 川がおかしいぞ!」
ガルドが振り返る。
「……!」
川の水位が下がっていた。
ついさっきまで勢いよく流れていた川が、みるみる細くなっている。
川底の石が露出し、魚たちが取り残されていく。
ピチピチ。
ピチピチ。
魚たちは苦しそうに跳ねていた。
「なんだこれ……」
「上流で何かあったのか?」
「違う。さっきまでは普通だったぞ」
ガルドは、ゆっくりと手の中の宝石を見た。
そして川を見る。
もう一度、宝石を見る。
ドクン。
ドクン。
宝石が脈打つ。
そのたびに――。
川の流れが、わずかに弱くなる。
「……そういうことか」
ガルドが呟いた。
「ガルド?」
「こいつは宝石じゃねえ」
村人たちが顔を見合わせる。
「じゃあ、なんだ?」
ガルドは巨大な青い石を両手で持ち上げた。
「この川の心臓だ」
「心臓?」
「ああ」
ガルドは川を見つめた。
「昔から、この川は魚を育てて、畑に水をくれて、俺たちの喉を潤してきた」
そして、宝石を見た。
「たぶん、こいつが川に命を流してたんだ」
「……そんな馬鹿な」
「でも、見てみろ」
ガルドが顎で川を指す。
川は、もう半分ほどの幅しか残っていない。
「こいつを取り出した途端だ」
村人たちは黙り込んだ。
それでも一人の男が言った。
「……だが、あれを売れば大金になるぞ」
「そうだ!」
「川なんて、別の水源を探せばいい!」
「まずは宝石を売ろう!」
欲に駆られた村人たちが、再びガルドを取り囲む。
「ガルド、その石を渡せ!」
「村の宝だぞ!」
「みんなで分ければいい!」
ガルドは黙って彼らを見た。
そして、ふっと鼻で笑った。
「村の宝?」
「ああ!」
「違うな」
ガルドは宝石を握りしめる。
「これは、俺たちが持っていい宝じゃねえ」
「だったら――」
「川のもんだ」
ガルドは川岸へ歩いていく。
「待て!」
「何をする気だ!」
「決まってるだろ」
ガルドは大きく振りかぶった。
「返すんだよ」
「やめろぉ!」
村人たちの叫び声が響く。
だが――。
「そりゃっ!」
ブォン!
巨大な宝石が青い弧を描いて飛んだ。
そして。
ドボォン!
川の中央へ沈んだ。
一瞬、何も起こらなかった。
次の瞬間――。
ドクン。
青い光が川底から走った。
ドクン。
さらに大きな光が広がる。
そして――。
ゴォォォォォ……!
地鳴りのような音とともに、上流から大量の水が押し寄せてきた。
濁流が川を満たす。
露出していた川底が再び水に覆われる。
取り残されていた魚たちが、一斉に泳ぎ始めた。
やがて川は、何事もなかったかのように、豊かな水をたたえて流れ始めた。
村人たちは、呆然と川を見つめていた。
「……宝石が……」
「消えちまった……」
「なんてことを……」
誰かが呟いた。
「あんな宝を捨てるなんて、もったいねえ」
ガルドは答えなかった。
ただ、川を見ていた。
「……さて」
やがてガルドは肩を回した。
「帰るか」
「何しに?」
村人の一人が尋ねる。
ガルドはニヤリと笑った。
「明日も魚を獲るためにな」
翌朝。
いつものようにガルドは川へやってきた。
投網を担いでいる。
「……お?」
川を見て、ガルドは目を丸くした。
魚がいる。
昨日までとは比べものにならない。
銀色の魚。
腹の丸い大魚。
群れをなした小魚。
川面いっぱいに、魚たちが泳いでいる。
「こりゃあ……」
ガルドは牙を見せて笑った。
「昨日より大漁じゃねえか」
一匹の魚が、ガルドの足元で跳ねた。
まるで礼を言うように。
ガルドは魚を見下ろし、頭をぽんと撫でる。
「へっ」
そして投網を肩に担ぎ直した。
「冷たい石ころより――」
大きく息を吸う。
「こっちのほうが、よっぽどありがてえや!」
ブォン!
朝日に向かって、巨大な投網が広がった。
銀色の魚たちが、その網の中で一斉に跳ねる。
キラキラと輝く魚たちは、まるで無数の宝石のようだった。
ガルドは笑った。
昨日、川に宝石を返した。
そして今日――。
川は、もっと大切な宝を返してくれた。
朝の光を浴びながら、オークの投網は今日も大きく川面に広がっていった。




