ギルド相場師
冒険者ギルド『赤き竜の咆哮』亭は、朝からむせ返るような熱気に包まれていた。
「聞いたか! 勇者一行が、ついに竜王城の結界を破ったらしいぞ!」
「おおっ! いよいよ決戦か!」
ジョッキを打ち鳴らす屈強な冒険者たち。
だが、その喧騒から離れたギルドの片隅で、彼らとは別の意味で大量の汗を流している男がいた。
ロア。
剣は振れない。
魔法も使えない。
魔物を倒した経験も、ほとんどない。
それでも彼は、自分こそがこのギルドで最も命懸けの戦いをしていると信じていた。
彼の戦場は、魔力によって刻々と数字が更新される巨大な掲示板――通称「チャート」だった。
「……来た」
ロアが呟く。
「スライムゼリーの波が来てる」
彼の職業は、冒険者ギルドでも極めて珍しい。
ギルド相場のデイトレーダーである。
冒険者たちが持ち込むゴブリンの爪、コウモリの牙、スライムゼリー。
ギルドは倉庫の在庫や冒険者からの納品量に応じて、素材の買取価格を細かく変動させている。
ロアはその僅かな値動きを読み、安いときに買い、高くなった瞬間に売る。
一日に稼げる金は、せいぜい宿代程度。
だが本人にとっては、竜王討伐にも劣らぬ大勝負だった。
掲示板が、カチリと音を立てる。
【スライムゼリー】
買値:5G
売値:4G
「……まだだ」
ロアは腕を組んだ。
「西の森は昨夜、大雨だった。初心者冒険者は狩りを控える。つまり供給が減る」
さらにチャートを見る。
「対して、竜王軍の進軍で中級冒険者まで東へ流れている。スライム狩りに回る人間は少ない……」
ロアの目が鋭くなる。
「上がる」
彼は昨夜、全財産400Gを使ってスライムゼリーを100個買い込んでいた。
世間から見れば、ただのぷにぷにした液体である。
だがロアにとっては違う。
それは資産。
未来。
そして――希望だった。
隣のテーブルでは、勇者一行の武勇伝が盛り上がっている。
ロアには聞こえていない。
彼の世界には、チャートしか存在しなかった。
カチリ。
【スライムゼリー】
買値:6G
売値:5G
「……!」
ロアの瞳孔が開く。
「来た!」
次の瞬間、椅子を蹴って立ち上がった。
「利確だあああああッ!!」
ギルド中の視線が集まる。
ロアは窓口へ猛然と駆け込んだ。
「これ! 全部!」
「は、はいっ! スライムゼリー百個ですね」
受付嬢が計算する。
「一個五ゴールドなので、合計五百ゴールドです」
ジャラリ。
ロアの手に、五百ゴールドが落ちた。
元手、四百ゴールド。
利益、百ゴールド。
宿屋の素泊まり一泊分にも満たない。
しかし――。
「……勝った」
ロアは震える声で呟いた。
「俺は……相場に勝ったんだ……!」
そして両手を天へ突き上げる。
「っしゃああああああッ!!」
ギルドが静まり返った。
「な、なんだあいつ?」
「何かすごい魔物でも倒したのか?」
「スライムゼリーがどうとか叫んでたぞ」
そんな周囲の声も、ロアには届かない。
彼は汗を拭い、満足げに席へ戻った。
その顔には、竜王を倒した勇者にも負けない達成感が浮かんでいた。
そして再びチャートを見上げる。
「さて……」
ロアがニヤリと笑う。
「次はゴブリンの爪だ」
数字を眺める。
「……これは下がるな」
彼は静かに呟いた。
「ショートで入る」




