第9話 会社を作っただけで経営者になれると思っていた。
異世界で初めて設立した、自分の会社。
たとえ仕事がなくても、社長であることに変わりはない。
しかし、会社には、仕事をしていない間にも守らなければならない約束があるようです。
異世界生活、六十九日目。
田中健太は、商業ギルドの前で大きなため息をついた。
「……なんで俺が呼び出されなきゃいけないんだよ」
手には、昨日届いた一通の通知書。
『商会登録に関する確認事項』
そう書かれていた。
何かの間違いだろう。
自分は商会を設立し、実際に取引も成立させている。
銀貨十二枚の売上実績だってある。
立派な経営者ではないか。
「……まあ、どうせ簡単な確認だろ」
健太は扉を開けた。
* * *
「田中様、お待ちしておりました」
受付にいたのは、いつものエリナ・フォルツだった。
「で、何の用ですか?」
「商会の取引記録について、確認させていただきたいことがございます」
「……取引記録?」
「はい。こちらへどうぞ」
案内されたのは、受付の奥にある小さな相談室だった。
机の上には、何枚もの書類が並んでいる。
健太は椅子に座った。
「……なんか、大げさじゃないですか?」
「通常の確認手続きですので、ご安心ください」
エリナは書類を開いた。
「まず、ケンタ魔導技術開発商会の初回取引についてです」
「オルド工房の件ですね」
「はい。売上は銀貨十二枚と報告されています」
「そうです! ちゃんと成功しました!」
「おめでとうございます。では、材料費と外注工賃の支払い記録を確認させてください」
「……え?」
「経費の記録です」
「そんなの必要なんですか?」
「はい。登録商会には、一定の取引記録の保存義務がございます」
健太は眉をひそめた。
「……領収書なら、たぶん部屋にありますけど」
「それでしたら、後日お持ちください」
「……」
「次に、技術協力者との契約についてです」
エリナは別の書類を取り出した。
「登録時には、ガレス様を製造責任者として記載されていますね」
「はい」
「現在も、正式にご協力いただいているのでしょうか?」
「……まあ、協力はしてくれると思います」
「正式な契約書はございますか?」
「……ないです」
「そうですか」
エリナは淡々と記録した。
健太は苛立ちを覚えた。
なぜ、こんなことばかり確認されるのだろう。
会社を経営するというのは、もっと自由なものだと思っていた。
「……あの、俺、社長なんですよ?」
「はい。存じ上げております」
「だったら、細かいことは俺の判断でいいんじゃないですか?」
エリナは顔を上げた。
「もちろん、経営上の判断は田中様が行われます」
「ですよね!」
「ただし、その判断に伴う責任も、田中様が負うことになります」
「…………」
健太は黙った。
エリナは続けた。
「それから、登録商会には定期的な営業状況の報告が必要です。現在の事業活動について教えてください」
「……事業活動?」
「新規契約や、継続中の取引などです」
「……今は、ちょっと休んでます」
「休業されているということでしょうか?」
「いや、そういうわけじゃなくて……」
健太は視線をそらした。
「次の大きな仕事を探してるんです」
「承知しました」
エリナは頷いた。
「では、活動継続中として記録いたします」
そして、最後の書類を差し出した。
「こちらが、今期の登録維持に関するご案内です」
「……維持?」
「はい。商会登録を継続する場合、所定の維持費が必要になります」
健太は固まった。
「……金、取るんですか?」
「はい」
「登録するときに払いましたよね!?」
「あちらは初回登録料と保証金です」
「……は?」
「こちらは、登録情報の管理や商業仲裁制度の維持などに必要な費用です」
健太は書類を見つめた。
そこには、銀貨二枚という金額が書かれていた。
「……二枚?」
「はい。今期分です」
「ふざけんなよ……」
健太は思わず呟いた。
「俺、今ほとんど仕事してないんですよ!?」
「承知しております」
「なのに金取るんですか!?」
「営業実績にかかわらず、登録商会には同じ条件が適用されます」
健太は机を叩いた。
「おかしいでしょ! 儲かってない会社から金取ったら、潰れるじゃないですか!」
エリナは落ち着いた声で答えた。
「継続が難しい場合は、登録を休止する制度もございます」
「……休止?」
「はい。休止期間中は維持費を抑えられます。ただし、登録商会としての新規取引には制限が生じます」
「……それじゃ意味ないじゃないですか」
「ですので、現在の事業状況に合わせてご判断いただければと思います」
健太は唇を噛んだ。
会社を作った。
社長になった。
それなのに、仕事をしていなくても金がかかる。
こんな話は聞いていない。
「……とりあえず、考えます」
「承知しました。期限までにご回答ください」
健太は立ち上がった。
そして、相談室を出る直前、振り返った。
「……ちなみに、維持費を払わなかったらどうなるんですか?」
「一定期間の猶予後、登録停止となります」
「……会社、なくなるんですか?」
「商会の登録が停止されます。未払いの費用や既存の契約上の責任がなくなるわけではありません」
「…………」
健太は何も言わずに部屋を出た。
* * *
「……なんだよ、この世界」
商業ギルドを出た健太は、広場のベンチに腰を下ろした。
銀貨二枚。
今の健太にとって、決して安い金額ではない。
そもそも、会社を維持するために金を払うという発想が理解できなかった。
会社とは、金を稼ぐために存在するものではないのか。
なのに、仕事がなくても金が出ていく。
「……完全にブラックじゃん」
健太はため息をついた。
日本にいた頃、インターネットでよく見かけた言葉を思い出した。
『会社員は搾取される』
『経営者だけが儲かる』
『働いたら負け』
だから、自分は経営者になった。
搾取される側ではなく、利益を受け取る側へ回ったのだ。
それなのに、現実は違った。
「……社長って、もっと楽な仕事だと思ってた」
健太は呟いた。
そのときだった。
「……あれ? ケンタさん?」
聞き覚えのある声がした。
顔を上げると、そこには一人の少年が立っていた。
茶色の髪。
小柄な体。
そして、見覚えのあるエプロン。
「……お前」
「お久しぶりです!」
少年は笑顔で頭を下げた。
料理人見習いのルカ・ベルン。
以前、マヨネーズに似た調味料を作っていた少年だった。
「……何してるんだ?」
「商業ギルドに来てたんです!」
「……なんで?」
「新しいソースの販売登録が通ったので、その手続きです」
「…………」
健太は固まった。
「……販売登録?」
「はい!」
ルカは嬉しそうに頷いた。
「師匠と一緒に、保存方法や製造工程を調べてたんです。まだ大量生産はできませんけど、近くの食堂でも使ってもらえることになりました!」
「……へえ」
健太は曖昧に答えた。
胸の奥が、じわりと痛んだ。
あの調味料。
自分が作ろうとして失敗したマヨネーズ。
それを、この少年は商品にしてしまったのだ。
「……儲かってるのか?」
「まだ少しだけです。でも、材料費を引いても利益が出るようになりました」
ルカは照れくさそうに笑った。
「今は、別のお店からも試してみたいって言われてるんです」
「…………」
健太は黙った。
自分は会社を作った。
社長になった。
技術改良で金を稼いだこともある。
それなのに、今は仕事がない。
一方、目の前の少年は、商会すら持っていない。
それでも、少しずつ商売を広げている。
「……運がいいんだな」
健太は呟いた。
「え?」
「いや、お前、運がいいよなって」
ルカは少し考えた。
「……そうかもしれません」
そして、笑顔で続けた。
「でも、最初は全然うまくいかなかったんですよ。卵も油もたくさん無駄にして、師匠にも怒られました」
「……」
「だから、最近は試す前にちゃんと計算するようにしてるんです」
健太は目をそらした。
聞きたくなかった。
努力の話など。
失敗から学んだ話など。
自分は、そんな話を聞くために異世界へ来たわけではない。
「……まあ、頑張れよ」
「はい! ケンタさんも!」
ルカは笑顔で頭を下げ、去っていった。
健太は、その背中を見つめていた。
「……クソ」
小さく呟いた。
何が違うのだろう。
自分と、あの少年は。
自分の方が年上だ。
自分の方が、現代日本の知識を持っている。
自分の方が、ずっと多くのことを知っているはずだ。
なのに。
「……なんで、あいつの方がうまくいってんだよ」
答えは、出なかった。
* * *
異世界生活、七十二日目。
健太は、久しぶりにガレスの工房を訪れた。
「……ガレスさん」
「おう。久しぶりだな」
ガレスは顔を上げた。
以前と変わらない様子だった。
健太は少し安心した。
「……ちょっと、相談があって」
「なんだ?」
「商会の維持費が必要になったんです」
「ほう」
「それで、何か仕事ないかなって……」
ガレスは腕を組んだ。
「仕事なら、いくらでもあるぞ」
「本当ですか!?」
「ああ。薪割り、掃除、荷運び。人手が足りなくてな」
健太の表情が曇った。
「……いや、そういう仕事じゃなくて」
「ん?」
「もっと、技術的な仕事です」
「……技術的?」
「アイデアを出すとか、改良するとか」
ガレスは少し考えた。
「今のところ、そういう仕事はないな」
「……そうですか」
「ただ、手伝ってくれるなら賃金は払うぞ」
健太は黙った。
薪割り。
掃除。
荷運び。
また、あの仕事か。
社長になったというのに。
「……俺、商会の代表なんですよ」
健太は呟いた。
ガレスは不思議そうに首を傾げた。
「だから?」
「……だから、雑用ばかりするのもどうかと思って」
ガレスはしばらく健太を見つめていた。
そして、静かに言った。
「お前さん、勘違いしてねえか?」
「……え?」
「社長だから働かなくていいわけじゃねえぞ」
「……」
「むしろ、人を雇ってねえなら、全部自分でやるしかないだろ」
健太は唇を噛んだ。
「……でも、俺には発明家としての才能が」
「そいつは否定しねえよ」
ガレスは答えた。
「お前の発想が役に立ったのは事実だ。だが、今は仕事がねえんだろ?」
「……」
「だったら、できる仕事をすりゃいいじゃねえか」
健太は何も言えなかった。
正しいことを言われている。
それは、なんとなく理解できた。
だが、認めたくなかった。
自分は特別な人間だ。
異世界転生者だ。
現代知識を持つ発明家だ。
そんな自分が、また薪割りをするなんて。
「……考えます」
健太は立ち上がった。
ガレスは引き止めなかった。
「そうか。まあ、仕事が必要ならいつでも来い」
「……はい」
健太は工房を出た。
そして、歩きながら呟いた。
「……結局、誰も俺の才能を理解してくれないんだな」
* * *
その日の夕方。
健太は商業ギルドの掲示板を眺めていた。
何か、簡単に稼げる仕事はないだろうか。
できれば、肉体労働ではないもの。
さらに言えば、現代知識が使えるもの。
「……何かないかな」
掲示板には、さまざまな募集が並んでいた。
荷運び。
清掃。
倉庫整理。
商店の販売員。
冒険者向けの装備修理。
魔導機械の点検補助。
どれも、健太の望む仕事ではなかった。
「……もっと、こう、楽に稼げるやつないのかよ」
健太はため息をついた。
そのときだった。
一枚の張り紙が目に入った。
『新規商会向け・商品企画募集』
『小規模商人組合』
『既存商品の改良案を募集』
『採用案には報酬を支給』
「……商品企画?」
健太は紙を見つめた。
既存商品の改良。
それなら、自分にもできるかもしれない。
マヨネーズや水車のように、一から作る必要はない。
すでにある商品を、少し便利にするだけだ。
「……これだ」
健太の表情が明るくなった。
現代日本には、便利な道具が山ほどある。
しかも、自分はその使い方を知っている。
製造方法がわからなくても、改良案くらいなら出せるはずだ。
「……やっぱ、俺には企画の才能があるんだよ」
健太は張り紙を剥がした。
そして、受付へ向かった。
* * *
翌日。
健太は小規模商人組合の事務所にいた。
そこには、数人の商人と職人が集まっていた。
「今回の募集では、既存商品をより便利にするための提案を求めています」
担当者が説明した。
「実現可能で、製造費用に見合った効果が期待できるものを採用します」
健太は頷いた。
実現可能。
製造費用。
また、同じ言葉だ。
だが、今回は大丈夫だ。
すでに存在する商品を改良するだけなのだから。
「では、こちらの商品をご覧ください」
担当者が机に置いたのは、木製の手押し車だった。
荷物を運ぶための道具である。
車輪は二つ。
前方には荷台。
後方には押すための持ち手。
「この手押し車は、街の商人たちが日常的に使っています」
「……はい」
「ただ、重い荷物を載せると操作しづらく、坂道では転倒することもあります」
健太は考えた。
手押し車。
現代日本にも存在する。
むしろ、ホームセンターで売っているものの方が、ずっと便利だった。
「……あっ」
健太は思いついた。
「車輪を四つにすればいいんじゃないですか?」
担当者は顔を上げた。
「……四つ?」
「はい。二つじゃなくて、四つです」
健太は紙に簡単な絵を描いた。
「前と後ろに二つずつ車輪をつければ、倒れにくくなりますよね?」
担当者は紙を受け取った。
「……なるほど」
隣にいた職人も覗き込んだ。
「確かに、荷台の安定性は上がりそうだな」
「でしょ!?」
健太は嬉しくなった。
久しぶりに、まともに評価された。
「ただ、方向転換が難しくなるんじゃないか?」
職人が尋ねた。
健太は少し考えた。
「前輪を左右に動くようにすればいいんですよ」
「……どうやって?」
「えっと……」
健太は言葉に詰まった。
しかし、すぐに思い出した。
スーパーの買い物カート。
あの小さな車輪は、自由に向きを変えていた。
「車輪の取り付け部分を回転させるんです!」
健太は紙に絵を描き足した。
「こう、車輪自体がぐるっと回るように」
職人は目を細めた。
「……面白いな」
「え?」
「小さな車輪なら作れそうだ。荷重に耐える軸受けが必要だが、試す価値はある」
健太は目を見開いた。
「……本当ですか!?」
「ああ。少なくとも、改良案としては悪くない」
担当者も頷いた。
「では、試作候補として検討しましょう」
健太は拳を握った。
「……よっしゃ!」
今回こそ、成功する。
しかも、前回の魔導機械より簡単だ。
現代日本の知識が、また役に立ったのだ。
* * *
異世界生活、七十八日目。
健太は、小規模商人組合から呼び出されていた。
「田中様、先日の改良案についてです」
「はい!」
「試作品が完成しました」
「……えっ、もう!?」
担当者は笑顔で頷いた。
「職人たちが工夫してくれまして」
案内された作業場には、一台の手押し車が置かれていた。
車輪は四つ。
前方の二輪は、向きを変えられる構造になっている。
「……おお!」
健太は声を上げた。
まさに、現代日本で見た台車に近いものだった。
「すげえ!」
担当者は頷いた。
「まだ試作段階ですが、平坦な道では安定して荷物を運べることが確認できました」
「じゃあ、成功ですね!」
「はい。ただし、石畳の段差や急な坂道では、まだ改良が必要です」
健太は頷いた。
今回は、細かい問題など気にならなかった。
何しろ、実際に形になったのだ。
「……報酬は?」
思わず尋ねた。
担当者は笑顔で答えた。
「今回の提案について、採用報酬として銀貨五枚をお支払いします」
「……五枚!?」
「はい」
健太は驚いた。
銀貨五枚。
商会の維持費を払っても、お釣りが来る。
しかも、今回は自分で製造する必要もない。
職人を雇う必要もない。
ただ、アイデアを出しただけだった。
「……ありがとうございます!」
健太は深く頭を下げた。
担当者は微笑んだ。
「また良い案がございましたら、ぜひご提案ください」
「はい!」
健太は銀貨を受け取った。
そして、事務所を出た。
久しぶりに、足取りが軽かった。
「……やっぱり、俺には才能があるんだよ」
健太は笑った。
マヨネーズ。
水車。
蒸気機関。
失敗ばかりだった。
だが、今度は違う。
自分のアイデアが、正式に採用された。
しかも、報酬まで受け取った。
「……こういう仕事を続ければいいんだな」
健太は空を見上げた。
異世界に来て、初めて自分に合った仕事を見つけた気がした。
だが、そのときだった。
「……待てよ」
健太は足を止めた。
銀貨五枚。
確かに嬉しい。
しかし、よく考えれば少なすぎるのではないか。
あの台車が王国中に広まれば、何百台、何千台と売れるはずだ。
それなのに、自分への報酬は銀貨五枚だけ。
「……これ、損してないか?」
健太は呟いた。
自分が考えた商品。
自分のアイデア。
それを職人たちが製造し、商人たちが販売する。
そして、自分には一度きりの報酬。
「……いや、絶対おかしいだろ」
健太の表情が曇った。
まただ。
また、自分だけが損をしている。
自分は発明者なのに。
自分がいなければ、あの商品は生まれなかったのに。
「……次からは、絶対に買い切りにはしない」
健太は拳を握った。
「売れるたびに、俺にも金が入る仕組みにしないと」
その考え自体は、間違っていなかった。
継続的な使用料を受け取る契約も、この世界には存在する。
しかし、それには契約交渉と権利の整理が必要だった。
健太は、まだそれを知らなかった。
いや。
正確には、何度も説明されていた。
ただ、聞こうとしなかっただけだった。
「……次は、もっとでかい商品を考えよう」
健太は笑った。
再び、小さな成功を手にした男。
そして、その成功をきっかけに、また大きな夢を見始めた男。
彼の人生は、少しずつ上向き始めていた。
だが、その足元には、前回と同じ落とし穴が待っていた。
田中健太、三十四歳。
異世界生活、七十八日目。
彼は今度こそ、本当に成功できるかもしれなかった。
少なくとも、自分の能力に合った仕事を続けていれば。
しかし、彼が次に考えたのは、仕事を続けることではなかった。
「……そうだ。俺が商品企画を独占すればいいんだ」
健太は満足そうに頷いた。
そして、商業ギルドへ向かって歩き始めた。
新しい契約書を作るために。
今度こそ、誰にも利益を奪われないようにするために。
一度失敗した人間でも、別の場所では能力を発揮できることがあります。
自分に合った仕事を見つけることは、成功への大きな一歩です。
しかし、その成功を守り続けられるかどうかは、また別の話なのかもしれません。




