第10話 アイデアを独占すれば一生遊んで暮らせると思っていた。
商品企画が採用され、再び成功を手にした健太。
今度こそ自分に合った仕事を見つけたはずだった。
しかし、彼が次に目指したのは、商品を考えることではなく、何もしなくてもお金が入ってくる生活だった。
異世界生活、七十九日目。
田中健太は、商業ギルドの受付で一枚の紙を差し出した。
「これ、登録したいんですけど」
受付のエリナ・フォルツは、紙に目を通した。
『ケンタ魔導技術開発商会・商品企画独占契約』
その下には、さらに大きな文字が並んでいる。
『当商会が提案した商品について、製造・販売利益の五〇%を永久に受け取るものとする』
「……田中様」
「はい!」
「こちらは、どなたとの契約を想定されているのでしょうか?」
「これから俺のアイデアを使う人たち全員です」
「……全員?」
「はい。職人でも商人でも、俺の考えたものを使うなら利益の半分をもらいます」
健太は胸を張った。
完璧な仕組みだった。
一度アイデアを出せば、その商品が売れる限り金が入ってくる。
つまり、自分はもう働く必要がない。
これこそ、現代日本で成功者たちが実践していた不労所得というものだ。
「これで俺も、いよいよ本物の経営者ですよ」
健太は得意げに笑った。
しかし、エリナの反応は違った。
「まず、契約は相手方の同意がなければ成立いたしません」
「……え?」
「こちらに条件を書かれただけでは、他の方に義務を負わせることはできません」
「でも、俺が考えた商品ですよ?」
「その商品について、どのような権利をお持ちなのでしょうか?」
「発案者です!」
健太は即答した。
「前にも言いましたけど、現代日本の知識を持ってるんです!」
「承知しております」
エリナは落ち着いた声で続けた。
「ただし、一般的な発想そのものを無期限に独占することはできません」
「……なんでですか?」
「例えば、荷車に車輪を四つ付けるという発想だけで、今後作られる四輪の荷車すべてから利益を受け取ることは認められません」
「でも、最初に考えたのは俺ですよ!」
「田中様が今回の提案をされたことは確認しております。しかし、類似の発想を持つ方が他にもいらっしゃる可能性があります」
「…………」
「具体的な構造や、新しい機構について権利登録が認められる場合はございます。その際も、審査が必要です」
健太は眉をひそめた。
また審査。
また契約。
また面倒な手続き。
「……じゃあ、あの台車の売上から五割もらうのは?」
「すでに採用報酬を受け取られていますよね?」
「はい」
「その際、商品企画を買い取る契約に同意されています」
「……買い取り?」
健太は首を傾げた。
エリナは保管されていた書類の写しを取り出した。
「こちらです」
健太は紙を覗き込んだ。
そこには、自分の署名があった。
『採用提案について、報酬支払いをもって商品化に関する利用を許諾する』
「……これ、どういう意味ですか?」
「採用された提案について、組合が継続的に利用できるということです」
「……じゃあ、俺にはもう金が入らないんですか?」
「追加報酬の取り決めはございません」
健太は固まった。
「……そんなの、聞いてないですよ!」
「ご契約時に説明されているはずですが……」
「いや、俺、そんな細かいところまで読んでないですから!」
エリナは黙った。
そして、静かに答えた。
「田中様。契約書は、署名する前に内容を確認するためのものです」
「…………」
「わからない部分があれば、質問していただくこともできます」
健太は唇を噛んだ。
確かに、担当者から説明はあった。
だが、銀貨五枚がもらえると聞いた瞬間、他の話はほとんど耳に入っていなかった。
「……じゃあ、もういいです」
健太は紙を取り上げた。
「次からは、ちゃんと契約します」
「それがよろしいかと思います」
エリナは丁寧に頭を下げた。
健太は商業ギルドを出た。
そして、小さく呟いた。
「……やっぱ、契約って大事なんだな」
珍しく、正しい結論にたどり着いた瞬間だった。
もっとも、その理解は長く続かなかった。
* * *
異世界生活、八十二日目。
健太は小規模商人組合の事務所を訪れていた。
「新しい商品企画を持ってきました!」
担当者は顔を上げた。
「ああ、田中様。先日の四輪手押し車は、評判が良いですよ」
「本当ですか!?」
「はい。まだ試験販売ですが、いくつかの商店から注文が入っています」
健太は笑った。
やはり、自分のアイデアは正しかった。
「それで、今回はどのようなご提案でしょうか?」
「これです!」
健太は紙を広げた。
そこには、簡単な絵が描かれていた。
『折り畳み式の椅子』
「……椅子?」
「はい! 使わないときは畳めるんです!」
健太は両手を動かした。
「ほら、こう、脚を折り畳んで、平らにできるようにするんですよ」
担当者は興味深そうに頷いた。
「なるほど。持ち運びにも便利そうですね」
「でしょ!?」
「市場の露店や、催し物などで需要があるかもしれません」
健太は拳を握った。
また成功だ。
しかも、今回は前回より大きな利益が期待できる。
「それで、条件なんですけど」
「はい?」
健太は別の紙を差し出した。
『商品販売利益の五〇%を、発案者である田中健太に永久に支払う』
担当者は紙を見つめた。
「……利益の五割ですか?」
「はい!」
「それは、かなり高い割合ですね」
「でも、発明者ですから」
担当者は少し考えた。
「今回の商品の具体的な構造は、すでに完成しているのでしょうか?」
「いや、作るのは職人さんに任せます」
「では、製造費用は?」
「組合で負担してください」
「試作品の費用も?」
「はい」
「販売活動も、当組合が担当するということでしょうか?」
「もちろんです」
担当者は黙った。
健太は笑顔を浮かべた。
今回は最初から条件を提示した。
これで、後から揉めることもない。
「……申し訳ありません」
担当者は静かに口を開いた。
「その条件では、お受けできません」
「……は?」
「製造費用と販売リスクをすべて当組合が負担する一方、利益の半分を永久にお支払いするというのは、難しい条件です」
「でも、売れれば儲かるじゃないですか!」
「売れなかった場合の損失は、どなたが負担されるのでしょうか?」
「……」
「商品に欠陥があった場合の対応費用も必要です」
健太は苛立った。
「……またそういう話ですか」
「事業ですので」
「俺の世界では、発明者はもっと評価されてましたよ!」
担当者は困った表情を浮かべた。
「発案者の方に報酬をお支払いすること自体は、問題ありません」
「だったら!」
「ただ、報酬額や支払い方法については、双方が納得する必要があります」
健太は黙った。
しばらくして、担当者が提案した。
「例えば、一定期間の販売数に応じた報酬でしたら、検討できるかもしれません」
「……販売数?」
「はい。一台売れるごとに、決まった額をお支払いする方法です」
健太の目が輝いた。
「それ! それでいいです!」
「ただし、まずは商品化できるか確認する必要があります」
「もちろんです!」
「では、職人に相談してみましょう」
健太は満面の笑みを浮かべた。
今度こそ、継続的な収入を得られるかもしれない。
しかも、商品を作るのは職人。
販売するのは商人。
自分は、アイデアを提供するだけ。
「……やっぱり、俺って経営の才能あるな」
健太は心の中で呟いた。
* * *
異世界生活、八十六日目。
折り畳み式の椅子は、試作品が完成していた。
木製の座面。
交差する脚。
金属製の留め具。
使わないときは薄く畳める構造だった。
「……おお!」
健太は感動した。
まさに、現代日本で見たことのある椅子だった。
「これですよ! これ!」
担当した木工職人は、少し得意げに笑った。
「構造は単純そうに見えるが、意外と調整が難しかったぞ」
「そうなんですか?」
「ああ。脚の角度や支点の位置を間違えると、座ったときに不安定になる」
職人は椅子を広げた。
「それから、座面を支える留め具にも工夫が必要だ。うっかり畳まれたら危ねえからな」
「なるほど」
健太は頷いた。
だが、細かい構造には興味がなかった。
重要なのは、商品が完成したという事実だ。
「で、販売はいつからですか?」
「まだ試験中だ」
「……え?」
「強度を確認してる。人が座るものだからな」
職人は椅子の上に重りを置いた。
「軽い人なら問題なくても、大柄な人が座ったら壊れるようじゃ困る」
「……まあ、そうですね」
健太は曖昧に答えた。
しばらくして、職人が口を開いた。
「それに、今回は似たような椅子を作ってる職人がいることもわかった」
「……は?」
「旅商人が持ってきた折り畳み椅子を、以前見たことがあるらしい」
健太は固まった。
「……もう存在するんですか?」
「この街では珍しいが、他の地域にはあるようだな」
「…………」
健太は唇を噛んだ。
まただ。
現代日本の知識を持ち込んだのに、先に作っている人間がいる。
「……じゃあ、売れないんですか?」
「そんなことはねえよ」
職人は笑った。
「今あるものより安くて丈夫なら、十分売れる」
「……本当ですか?」
「ああ。新しいものを考えるだけが商売じゃねえ」
職人は椅子を軽く叩いた。
「使いやすくして、安く作って、必要な人に届ける。それだって立派な仕事だ」
健太は黙った。
確かに、その通りかもしれない。
自分が最初の発明者でなくても、商品を改良すれば価値はある。
そして、その改良に自分の知識が役立つなら、十分に意味がある。
「……なるほど」
健太は頷いた。
珍しく、素直に納得した瞬間だった。
* * *
異世界生活、九十一日目。
折り畳み式の椅子は、試験販売を開始した。
価格は銀貨一枚と銅貨数枚。
決して安い商品ではない。
だが、露店商人や移動販売を行う人々から、少しずつ注文が入った。
最初の一週間で、八台。
翌週には、十三台。
その次の週には、二十一台。
販売数は、徐々に増えていった。
「……すげえ」
健太は商人組合から渡された報告書を見つめていた。
売れた台数に応じて、自分にも報酬が支払われる。
大金ではない。
だが、何もしなくても、少しずつ金が入ってくる。
「……これだよ」
健太は笑った。
「俺が求めてたのは、これなんだよ!」
ようやく見つけた。
自分に合った働き方。
毎日薪を割る必要もない。
工房で汗を流す必要もない。
ただ、次の商品を考えればいい。
そして、売れれば報酬が入る。
「……完璧じゃん」
健太は満足そうに頷いた。
しかも、今回は正式な契約を交わしている。
販売数に応じた報酬。
支払いの期間。
契約終了の条件。
すべて、商業ギルドの担当者に確認してもらった。
以前のように、契約書を読まずに署名することもなかった。
「……俺、成長してるな」
健太は呟いた。
実際、その通りだった。
異世界に転生してから三か月。
ようやく、仕事の進め方を少しずつ理解し始めていた。
だが。
その成長を、本人が正しく評価できているかどうかは、また別の話だった。
* * *
ある日の午後。
健太は商業ギルドの資料室で、レオンと再会した。
「……田中さん」
レオンが声をかけた。
「お久しぶりです」
健太は一瞬、身構えた。
銀貨三百枚の案件。
自分が逃した仕事を受注した男。
正直、あまり顔を合わせたくなかった。
「……どうも」
健太は短く答えた。
だが、レオンは以前と変わらない様子だった。
「最近、商品企画で成果を上げられていると聞きました」
「……まあ、そこそこ」
「四輪の手押し車と、折り畳み式の椅子ですね」
「知ってるんですか?」
「はい。商人組合で評判になっていますよ」
健太は少し嬉しくなった。
レオンほどの経営者が、自分の仕事を知っている。
それは、悪い気分ではなかった。
「……やっぱり、俺には企画の才能があるみたいです」
「そうかもしれませんね」
レオンは微笑んだ。
「特に、現地の職人が気づかなかった使い方を提案できるのは、転生者の強みだと思います」
「ですよね!」
「ただし、一つだけ」
「……何ですか?」
「その強みを、継続的に生かすことが大切です」
健太は首を傾げた。
「……継続的?」
「はい。一つの商品が売れたからといって、次の商品も必ず売れるわけではありません」
「……まあ、そうでしょうね」
「ですので、今のように小さく試して、成果を確認しながら進める方法が良いと思います」
健太は頷いた。
確かに、最近はうまくいっている。
大きな借金もない。
材料費を自分で負担する必要もない。
そして、商品が売れれば報酬が入る。
「……今のやり方が正解ってことですね」
「少なくとも、田中さんの現在の状況には合っていると思います」
レオンはそう答えた。
健太は満足そうに笑った。
「ありがとうございます」
そして、ふと思いついた。
「……レオンさん」
「はい?」
「俺、もっと大きくやろうと思ってるんです」
レオンの表情が変わった。
「……大きく?」
「はい! 商品企画の会社を作って、職人を何十人も雇うんです!」
「……」
「俺がアイデアを出して、職人が試作品を作る。商人が売る。そして、利益が入ってくる」
健太は興奮していた。
「これを王国中でやれば、絶対に大金持ちになれますよ!」
レオンは少し考えた。
「……その構想自体は、悪くないと思います」
「でしょ!?」
「ただし、今の実績だけで一気に拡大するのは危険です」
「……またですか?」
「はい」
レオンは真剣な表情で続けた。
「今は、商品を考えるだけで報酬が得られる契約です。しかし、職人を雇うとなれば、人件費が発生します」
「……」
「商品が売れなくても、給料は支払わなければなりません」
「……」
「さらに、開発費、材料費、設備費、管理費も必要になります」
健太は黙った。
また金の話だ。
どうして、成功しようとするたびに、周囲は邪魔をするのだろう。
「……でも、売れれば回収できますよね?」
「もちろん、可能性はあります」
レオンは頷いた。
「ただ、売れるまでの資金をどう確保するかが問題です」
健太は笑った。
「そこは、融資を受ければいいんですよ!」
「……融資?」
「はい! 銀行みたいなところ、ありますよね?」
レオンは少し考えた。
「商業ギルドと提携している金融商会なら、事業資金を貸し付ける制度があります」
「それです!」
健太は目を輝かせた。
「じゃあ、そこから金を借りればいいんだ!」
「……田中さん」
「はい?」
「借りた金は、返さなければなりませんよ」
健太は笑った。
「そんなの、知ってますよ!」
そして、胸を張った。
「でも、俺の企画なら絶対に売れますから!」
レオンは何も言わなかった。
ただ、静かにため息をついた。
* * *
その夜。
健太は安宿の部屋で、事業計画書を書いていた。
『ケンタ商品開発商会・拡大計画』
従業員、十人。
商品開発、毎月五件。
販売地域、王国全土。
年間売上目標、銀貨三千枚。
「……三千枚か」
健太は笑った。
とてつもない金額だった。
しかし、不可能ではない。
なぜなら、自分には才能があるからだ。
四輪の手押し車。
折り畳み式の椅子。
二つの商品が、すでに成功している。
つまり、成功率は一〇〇%。
「……やっぱ、俺って天才だな」
健太は満足そうに頷いた。
もちろん、それ以前に失敗したマヨネーズや水車、蒸気機関のことは計算に含めていなかった。
あれらは、商品企画ではなく、別の挑戦だったからだ。
そして、もう一つ。
彼は重要なことを見落としていた。
現在の二つの商品は、どちらも現地の職人たちが設計し、試作し、改良したものだった。
健太が提供したのは、完成形のイメージと使用方法。
そこには確かな価値があった。
だが、それだけで商品が完成したわけではない。
それでも健太は、すでに未来を確信していた。
「……よし」
健太は紙の最後に、大きく書き加えた。
『目標:一年以内に王国最大の商品開発商会』
そして、満足そうにペンを置いた。
異世界生活、百十日目。
田中健太、三十四歳。
商会経営者。
商品企画二件採用。
継続的な報酬あり。
異世界に転生してから、初めて生活が安定し始めていた。
このまま堅実に続ければ、小さな商会として十分に成功する可能性もあった。
しかし、健太はそれを望まなかった。
彼が求めていたのは、小さな成功ではない。
誰もが羨む大富豪。
何もしなくても金が入る生活。
そして、自分を馬鹿にした人々を見返すことだった。
「……今度こそ、本当の勝ち組だ」
健太は窓の外を眺めた。
夜空には、異世界の星々が輝いている。
その光を見つめながら、彼は笑った。
翌朝、健太は商業ギルドへ向かった。
目的は、事業拡大のための資金調達。
希望融資額、銀貨五百枚。
それは、彼がこれまで手にした金額を、はるかに上回るものだった。
そして。
その借金が、彼にとって初めての、本当の経営者としての試練になることを。
健太は、まだ知らなかった。
小さな成功を積み重ねることは、大きな自信につながります。
しかし、二つの成功が、三つ目の成功を保証してくれるわけではありません。
今ある成果を守ることと、さらに大きな成果を求めること。そのバランスは、思っている以上に難しいものです。




