第8話 異世界の女の子なら俺に惚れると思っていた。
大きな商機を逃し、再び振り出しに戻った健太。
仕事で成功できなくても、異世界にはまだ夢がある。
剣と魔法の世界で、彼が次に求めたものとは。
異世界生活、五十九日目。
田中健太は、安宿の天井を見つめていた。
「……なんで、こうなるんだよ」
銀貨三百枚。
あの数字が、頭から離れなかった。
人生最大の商機だった。
それなのに、自分は採用されず、レオンの商会が契約を手にした。
しかも、ガレスまで協力しているという。
「……裏切り者ばっかりだな」
健太は寝返りを打った。
あれから数日、工房には顔を出していない。
レオンからの連絡も無視していた。
商業ギルドにも行っていない。
自分の会社を作ったというのに、仕事は一件も入ってこなかった。
財布の中には、銀貨一枚と銅貨が数枚。
このままでは、また宿を追い出される。
「……はぁ」
健太はため息をついた。
異世界転生して、もうすぐ二か月。
本来なら、今頃は王族から表彰され、美しい女性たちに囲まれているはずだった。
なのに、現実はどうだ。
金はない。
仕事もない。
仲間もいない。
そして、何より。
「……俺、まだ彼女いないじゃん」
健太は突然、重大な事実に気づいた。
異世界に転生したのに、恋愛イベントが一度も発生していない。
エルフの美少女。
獣人の少女。
貴族令嬢。
冒険者ギルドの受付嬢。
異世界転生小説なら、いくらでも出会いがあるはずだ。
「……そうだよ」
健太は起き上がった。
「俺、仕事ばっかりしてたから、恋愛する暇がなかったんだ」
実際には、まともに働いていた期間など十日程度だった。
だが、本人の認識は違う。
自分は異世界で起業し、発明を行い、大きな契約に挑戦した。
つまり、仕事のできる男だ。
そんな男を、女性たちが放っておくはずがない。
「……よし」
健太は鏡の前に立った。
伸びた髪。
無精ひげ。
少しくたびれた服。
そして、長年の運動不足による丸みのある体形。
「……まあ、見た目は普通だな」
健太は満足そうに頷いた。
少なくとも、自分ではそう思っていた。
「今日は街に出るか」
彼の新たな挑戦が始まった。
* * *
昼過ぎ。
健太は冒険者ギルドの前に立っていた。
「……やっぱ、ここだよな」
異世界転生小説では、受付嬢が主人公に好意を抱くことが多い。
最初は冷たくても、主人公の実力を知ると態度が変わる。
そして、いつの間にか恋人になる。
自分だって、すでに商会の代表だ。
冒険者ではないが、社会的な地位はある。
「……今なら、反応違うだろ」
健太は扉を開けた。
受付には、以前と同じ金髪の女性が座っていた。
「いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「お久しぶりです!」
健太は笑顔で声をかけた。
女性は少し考えた。
「ああ、以前、冒険者登録にいらした方ですね」
「覚えててくれたんですか!?」
「はい。登録申請の記録がございますので」
健太の胸が高鳴った。
覚えている。
これは脈があるかもしれない。
「実は俺、商会を設立したんですよ」
「そうなんですね。おめでとうございます」
「ありがとうございます! 魔導機械の改良をやってまして」
「素晴らしいですね」
女性は営業用の笑顔を浮かべた。
だが、健太には違って見えた。
自分に興味を持っている。
間違いない。
「……あの、仕事終わったら暇ですか?」
「……はい?」
「よかったら、一緒に食事でもどうかなって」
受付嬢は少し驚いた。
そして、丁寧に頭を下げた。
「申し訳ありません。個人的なお誘いはお受けしておりません」
「……え?」
「勤務中ですので」
「いや、仕事終わってからでいいんですよ」
「お気持ちはありがたいのですが、お断りします」
健太は固まった。
断られた。
しかも、即答だった。
「……俺、商会の代表なんですけど」
「はい」
「社長ですよ?」
「存じ上げております」
「……それでも?」
「申し訳ありません」
女性の表情は変わらなかった。
健太は顔を赤くした。
「……まあ、別に本気じゃないんで」
「そうですか」
「ちょっと誘ってみただけですから」
「承知しました」
健太は踵を返した。
背後から、受付嬢の声が聞こえた。
「次の方、どうぞ」
「……クソ」
健太は小さく呟いた。
まったく、見る目のない女だ。
自分が将来、大富豪になってから後悔すればいい。
そう考えた。
* * *
次に健太が向かったのは、街の中心にある食堂だった。
以前から気になっていた店である。
そこで働く若い女性が、健太の好みだった。
明るい茶色の髪。
大きな瞳。
人懐っこい笑顔。
年齢は二十歳前後だろう。
「いらっしゃいませ!」
女性が笑顔で迎えた。
「お一人ですか?」
「はい!」
「では、こちらへどうぞ」
健太は席についた。
女性が注文を取りに来る。
「ご注文はお決まりですか?」
「おすすめって何ですか?」
「今日は鶏肉の香草焼きが人気ですよ」
「じゃあ、それで」
「ありがとうございます!」
女性は笑った。
健太も笑った。
そして、思った。
この子はいい。
冒険者ギルドの受付嬢とは違う。
愛想が良く、話しやすい。
きっと自分に興味を持っている。
「……あのさ」
「はい?」
「君、名前は?」
「ミリアです」
「ミリアちゃんか。可愛い名前だね」
「ありがとうございます」
女性は笑顔で答えた。
健太は調子に乗った。
「俺、ケンタっていうんだ。実は商会の代表やってて」
「そうなんですね!」
「魔導機械の開発とかしてるんだよ」
「すごいですね!」
健太は胸を張った。
すごい。
そう言ってくれた。
やはり、この子は自分の価値を理解している。
「まあ、今は小さい会社なんだけど、将来は王国全土に展開する予定でさ」
「大きな夢ですね!」
「でしょ?」
健太は笑った。
会話は順調だった。
少なくとも、健太にはそう思えた。
だが、ミリアは注文を確認すると、すぐに厨房へ戻っていった。
健太は少し残念に思った。
もっと話したかったのに。
「……忙しいから仕方ないか」
そう自分に言い聞かせた。
* * *
数日後。
健太は、また同じ食堂を訪れていた。
「いらっしゃいませ!」
ミリアが笑顔で迎えた。
「また来たよ!」
「あ、ケンタさん。ありがとうございます!」
名前を覚えていてくれた。
それだけで、健太の気分は良くなった。
「今日は何にしますか?」
「ミリアちゃんのおすすめで」
「では、魚の香草焼きはいかがですか?」
「それで!」
健太は笑った。
こうして、食堂へ通う日々が始まった。
三日目。
五日目。
七日目。
健太は、ほぼ毎日のように店を訪れた。
もちろん、食事代はかかる。
だが、これは必要な投資だった。
恋愛だって、最初は金がかかる。
将来、美しい妻ができれば、それくらい安いものだ。
「……俺、結構いい感じじゃね?」
ある日、健太は宿の部屋で呟いた。
ミリアは、自分の名前を覚えてくれている。
笑顔で話しかけてくれる。
時には、最近の仕事について尋ねてくれることもある。
これで脈がないはずがない。
「……そろそろ、告白してもいいかな」
健太は鏡を見た。
髪を整え、服の汚れを払う。
少しだけ緊張していた。
だが、自信もあった。
自分は商会の代表。
将来有望な発明家。
しかも、異世界から来た特別な存在だ。
「……よし」
健太は拳を握った。
今度こそ、人生が変わる。
そう信じていた。
* * *
「……ミリアちゃん」
夕方の食堂。
客が少なくなった時間を見計らい、健太は声をかけた。
「はい?」
「ちょっと、話があるんだけど」
「何でしょう?」
ミリアは首を傾げた。
健太は深呼吸した。
「……俺と、付き合わない?」
「…………」
ミリアは一瞬、言葉を失った。
そして、困ったような表情を浮かべた。
「……ごめんなさい」
「……え?」
「お気持ちは嬉しいんですけど、そういうつもりではなくて……」
健太は固まった。
まただ。
また断られた。
「……でも、いつも笑ってくれるじゃん」
「それは、お客様ですから……」
「名前も覚えてくれたし」
「何度も来ていただいていますので」
「俺の仕事の話も聞いてくれたよね?」
「……はい」
ミリアは申し訳なさそうに答えた。
「でも、それは接客の一環でもありますし……」
健太は言葉を失った。
接客。
その言葉が、頭の中で繰り返された。
「……じゃあ、全部仕事だったってこと?」
「そういうわけではありません。ただ、恋愛のお気持ちには応えられません」
「……」
健太は拳を握った。
こんなはずではなかった。
異世界の女の子は、もっと素直で、優しくて、主人公を理解してくれるはずだった。
「……俺、社長なんだけど」
思わず、そんな言葉が出た。
ミリアは首を傾げた。
「……はい」
「将来、大金持ちになる予定なんだよ?」
「……そうなんですね」
「それでも、駄目?」
ミリアは静かに頷いた。
「はい。ごめんなさい」
健太は立ち上がった。
「……もういいよ」
「ケンタさん……」
「別に、そこまで本気じゃなかったし」
そう言い残し、食堂を出た。
扉が閉まる。
外の空気は、冷たかった。
「……なんなんだよ」
健太は呟いた。
「この世界の女、見る目なさすぎだろ……」
* * *
異世界生活、六十八日目。
健太は、安宿の部屋で一人、天井を見つめていた。
食堂へ通い詰めた結果、財布の中身は再び寂しくなっていた。
「……恋愛って、金かかるだけじゃん」
健太はため息をついた。
日本では、恋愛経験がなかった。
だから、異世界なら簡単に恋人ができると思っていた。
だが、現実は違った。
女性たちは、普通に断ってくる。
社長という肩書きにも、特別な反応を示さない。
しかも、こちらがどれだけ好意を持っていても、相手が同じ気持ちになるとは限らない。
「……意味わかんねえ」
健太は枕に顔を埋めた。
そのときだった。
扉が叩かれた。
「田中様、お手紙です」
宿の主人の声だった。
「……手紙?」
健太は起き上がった。
差出人は、商業ギルド。
封を開く。
そこには、短い文章が書かれていた。
『ケンタ魔導技術開発商会』
『代表 田中健太様』
『貴商会の登録内容について、確認事項がございます』
『指定日までに商業ギルドへお越しください』
「……なんだ、これ?」
健太は首を傾げた。
会社の登録に、何か問題でもあったのだろうか。
だが、今はどうでもよかった。
仕事も恋愛も、すべてうまくいかない。
「……やっぱ、この世界おかしいわ」
健太は手紙を机に置いた。
そして、窓の外を眺めた。
街には、人々の笑い声が響いている。
恋人同士が並んで歩き、家族連れが買い物を楽しんでいる。
その光景が、ひどく眩しく感じられた。
「……俺だって、幸せになりたいだけなのに」
健太は呟いた。
だが、彼は気づいていなかった。
幸せになりたいと思うことと、誰かが自分を幸せにしてくれることを期待することは違う。
そして、他人には他人の人生があるという、ごく当たり前の事実を。
その夜。
健太は久しぶりに、日本にいた頃の夢を見た。
実家の六畳間。
パソコンの画面。
母親の作った夕食。
何もしなくても用意される、当たり前の生活。
夢の中で、健太は笑っていた。
「……やっぱ、家が一番だわ」
だが、目を覚ませば、そこは異世界だった。
誰も朝食を作ってくれない。
誰も金をくれない。
誰も、彼を特別扱いしてくれない。
そして、机の上には、商業ギルドから届いた一通の手紙が置かれていた。
それが、新たな問題の始まりになることを、健太はまだ知らなかった。
相手が優しくしてくれることと、自分に好意を持ってくれていることは同じではありません。
異世界であっても、人との関係を築くには、お互いを理解し尊重することが必要です。
しかし、健太はまだ、自分の理想と現実の違いを受け入れられないようです。




