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『異世界転生したら人生逆転できると思っていた。』  作者: 霜月 七日


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第6話 会社を作れば社長になれると思っていた。

小さな成功を手にした健太は、ついに自分の会社を設立しようと動き出す。

しかし、会社を作ることと、会社を経営することは別の話。

自分の才能を信じる健太に、思いがけない商機が訪れる。

 異世界生活、三十日目。

 田中健太は、商業ギルドの受付で勝利を確信していた。

「これでお願いします!」

 机の上に置いたのは、二枚の書類。

『ケンタ魔導技術開発商会・設立申請書』

『魔導回転機改良技術・独占販売権登録申請書』

 健太は胸を張った。

 三十四年間、社会から評価されなかった男が、ついに自分の会社を持つ。

 社長。

 その響きだけで、胸が高鳴った。

「……田中様」

 受付のエリナ・フォルツが書類を確認した。

「商会設立のご相談ですね」

「はい! できれば今日中にお願いします!」

「承知しました。まず、事業内容と責任者を確認させてください」

「代表は俺です。事業は魔導機械の開発と販売。将来的には王国全土に展開する予定です」

「それは大きな目標ですね」

「まあ、最終的には国外進出も考えてますけど」

 エリナは微笑みながら、次の書類を手に取った。

「では、こちらの独占販売権についてですが……」

「はい!」

「申請されている技術は、すでに完成しているのでしょうか?」

「もちろんです!」

「製造者は田中様ですか?」

「いえ、鍛冶師のガレスさんです」

「設計者は?」

「ガレスさんですね」

「性能評価を行った方は?」

「レオンさんです」

「……では、田中様は?」

「発案者です!」

 健太は自信満々に答えた。

「この世界にフライホイールの技術を持ち込んだのは俺ですから!」

 エリナは一度頷いた。

「なるほど。では、ガレス様とレオン様から、権利登録についての同意書をいただけますか?」

「……同意書?」

「はい。共同で開発された技術の場合、関係者の権利関係を確認する必要がございます」

「いや、だから俺が発案者なんですよ?」

「承知しております。ただ、発案だけで機械の構造全体を独占できるわけではありません」

 健太は眉をひそめた。

「……じゃあ、俺が先に登録したらどうなるんですか?」

「内容を審査し、既存技術との違いや具体的な改良部分を確認します」

「登録できないんですか?」

「現時点の書類だけでは難しいかと」

 健太は舌打ちした。

 まただ。

 また面倒な手続きが始まった。

「……じゃあ、会社の設立だけでいいです」

「承知しました」

 エリナは別の書類を取り出した。

「当ギルドの登録商会として営業するには、登録料と営業保証金が必要です」

「……いくらですか?」

 提示された金額を見て、健太は固まった。

「……高くないですか?」

「保証金は、契約上の問題が発生した場合などに備えるためのものです。条件を満たして廃業される場合には返還されます」

「いや、でも……」

 健太は財布を開いた。

 中には銀貨が数枚。

 ガレスの工房で働いて貯めた金と、技術改良の報酬だった。

 商会登録をすれば、ほとんど残らない。

「……分割払いとか」

「申し訳ありません」

 エリナは丁寧に頭を下げた。

「なお、登録をせずに個人として仕事を受注することも可能ですよ」

「……個人?」

「はい。ただし、大口の取引では登録商会であることが求められる場合もございます」

 健太は考え込んだ。

 個人事業。

 それでは、社長を名乗れないではないか。

「……登録します」

「よろしいのですか?」

「はい!」

 健太は銀貨を机に置いた。

 成功するためには投資が必要だ。

 現代日本の起業家たちも、最初は借金をして会社を作っていた。

 自分だって、ここで怯んでいては成功者になれない。

 こうして、ケンタ魔導技術開発商会が誕生した。

 従業員、ゼロ。

 取引先、ゼロ。

 商品在庫、ゼロ。

 残金、銅貨十二枚。

 それでも健太は、人生で最も誇らしい気持ちだった。

「……俺、社長になったんだ」

 エリナは登録証を差し出した。

「商会設立、おめでとうございます」

「ありがとうございます!」

 健太は満面の笑みで答えた。

 その瞬間だけは、本当に幸せだった。


* * *


 翌朝。

 健太は、商会設立の報告をするため、ガレスの工房を訪れた。

「ガレスさん! 会社できました!」

「……会社?」

「はい! ケンタ魔導技術開発商会です!」

 健太は登録証を見せた。

 ガレスは目を丸くした。

「お前、本当に作ったのか」

「当然ですよ!」

「……で、何をするつもりだ?」

「魔導回転機の改良サービスを始めます!」

「ほう」

「ガレスさんには、製造責任者になってもらいたいんです」

 ガレスは作業の手を止めた。

「……製造責任者?」

「はい。俺が仕事を取ってきますから、改良作業をお願いします」

「そいつは構わんが、工賃はもらうぞ」

「もちろんです! 売上から払います!」

「……先払いは?」

「え?」

「材料費くらいは先に必要だ。俺にも仕入れの支払いがある」

 健太は笑った。

「大丈夫ですよ! 売れればすぐに回収できますから!」

 ガレスはため息をついた。

「……お前さん、俺の話を聞いてるか?」

「聞いてますよ!」

「なら、もう一度言うぞ。材料はただじゃねえ」

「……」

「それに、今の工房の仕事を止めてまで、お前の商会に付き合うつもりはねえ」

 健太は不満そうに口を尖らせた。

「……でも、俺たち仲間じゃないですか」

「仲間だからこそ、金の話は最初にはっきりさせるんだ」

 ガレスは真剣な表情で続けた。

「お前さんの発想には価値があった。だから礼も払った。だが、工房の設備も職人も、お前のものになったわけじゃねえ」

「……」

「仕事を頼むなら、きちんと契約しろ。それだけだ」

 健太は黙った。

 ガレスは悪い人間ではない。

 それはわかっている。

 しかし、ここまで金の話をされるとは思わなかった。

「……わかりました」

 健太は登録証をしまった。

「じゃあ、仕事が取れたら相談します」

「ああ。見積もりくらいなら出してやる」

 健太は工房を出た。

 その背中には、少しだけ苛立ちが滲んでいた。

「……社長になっても、結局自分で全部やらなきゃいけないのかよ」


* * *


 異世界生活、三十三日目。

 健太は街の工房を回っていた。

「魔導回転機の改良はいかがですか!」

 最初に訪ねたのは、金属加工を行う工房だった。

 主人は、健太の説明を聞いて首を傾げた。

「回転が安定する?」

「はい! 加工精度が上がります!」

「どのくらい?」

「……え?」

「加工精度が、どのくらい上がるんだ?」

「それは……かなり」

「かなりって、どの程度だ?」

 健太は答えられなかった。

「じゃあ、うちはいいや」

 工房の主人は仕事に戻った。

 二軒目。

「魔石の消費は減るのか?」

「……たぶん、減ります!」

「本当か?」

「……場合によります」

「だったら、今のままでいい」

 三軒目。

「取り付け費用はいくらだ?」

「……それは、相談で」

「見積もりもないのか?」

「……」

「忙しいから帰ってくれ」

 四軒目。

 五軒目。

 六軒目。

 どこでも、似たような反応だった。

「……なんなんだよ」

 健太は道端に座り込んだ。

 会社まで作った。

 社長にもなった。

 それなのに、誰も商品を買ってくれない。

「営業って、こんなに大変なのかよ……」

 現代日本で働いた経験のない健太にとって、営業とは商品を説明すれば契約が取れる仕事だった。

 だが、現実は違った。

 相手は忙しい。

 話を聞く時間すらない。

 興味を持っても、具体的な数字を求めてくる。

 そして、金を払う理由がなければ買わない。

「……こんなの、詐欺みたいなもんだろ」

 健太はため息をついた。

 自分は画期的な技術を売ろうとしている。

 なのに、誰もその価値を理解しない。

 そう思っていた。


* * *


 七軒目の工房で、状況が変わった。

「……回転を安定させる装置?」

 工房の主人は、五十歳ほどの細身の男性だった。

 名をオルドという。

 小型の金属部品を加工する工房を経営している。

「はい! 魔導回転機の軸に円盤を取り付けるんです!」

「……ほう」

 オルドは興味深そうに頷いた。

「実は、うちでも困っていたんだ」

「……え?」

「細い金属棒を削るときに、回転が一瞬落ちることがあってな。仕上がりにばらつきが出るんだ」

 健太は目を輝かせた。

「それ! それが解決できます!」

「本当か?」

「はい!」

「じゃあ、試してみたい」

 健太は思わず立ち上がった。

「ありがとうございます!」

「ただし、条件がある」

「なんですか?」

「最初は試験だけだ。機械を壊したら困るからな」

「もちろんです!」

「それから、試験前に費用を教えてくれ。勝手に改造されても困る」

「わかりました!」

 健太は深く頭を下げた。

 初めての見込み客。

 ついに、自分の商会が動き出したのだ。


* * *


「……なるほどな」

 ガレスは、オルドの工房について聞くと頷いた。

「それなら、試す価値はありそうだ」

「でしょ!?」

「まずは機械を見せてもらわねえとな」

「はい!」

「改造できるか確認して、見積もりを出す。それを相手が了承したら、作業に入る」

「……なるほど」

「試験用の材料費は、お前さんが出せるのか?」

 健太は財布を見た。

 銅貨十二枚。

 すでに食事代で何枚か減っていた。

「……ちょっと厳しいです」

「なら、客に事情を説明して、試験費用を負担してもらう方法もある」

「えっ、そんなことできるんですか?」

「相手が納得すればな。ただし、結果が出なかったときの扱いも決めておけよ」

 健太は頷いた。

 面倒な話ではあった。

 しかし、今回は客がいる。

 ここで失敗するわけにはいかない。

「……わかりました」

 健太は珍しく真剣な顔になった。

「ちゃんと話してきます」

 ガレスは少し驚いたように笑った。

「おう。頑張れ」


* * *


 翌日。

 健太はオルドの工房で、初めて商談らしい商談を行っていた。

「試験費用が必要、ということか」

「はい。材料代と職人さんの作業費です」

「いくらだ?」

 健太はガレスから渡された見積書を差し出した。

 オルドはしばらく数字を眺めた。

「……この金額なら、試してみてもいい」

「本当ですか!?」

「ああ。ただし、試験で改善が確認できなければ、本契約はしないぞ」

「もちろんです!」

 健太は何度も頷いた。

「それから、機械に不具合が出た場合の責任についても決めておきたい」

「……責任?」

「当然だろ。うちの仕事が止まったら困る」

 健太は少し考えた。

 以前なら、そんな面倒な話は断っていただろう。

 しかし、今回は違う。

 目の前の客を逃したくなかった。

「……ガレスさんに確認してもいいですか?」

 オルドは頷いた。

「もちろんだ。急ぐ話でもない」

 健太は安堵した。

 こうして、三者で試験条件を確認し、簡単な契約を交わすことになった。

 健太が自分で行った、初めてのまともな商取引だった。


* * *


 異世界生活、三十八日目。

 オルドの工房で、改良試験が行われた。

 ガレスが取り付けた円盤は、以前の試作品より小型だった。

 軸受けへの負担を抑えるため、重量も調整されている。

「……よし。動かすぞ」

 魔導回転機が回り始めた。

 金属棒が削られていく。

 オルドは仕上がった部品を確認した。

「……ほう」

 もう一本。

 さらに一本。

 加工を繰り返す。

 ガレスは回転計を確認し、レオンが以前作成した試験表と同じ形式で結果を書き留めた。

 試験前と試験後。

 同じ材料。

 同じ加工条件。

 そして、出来上がった部品の品質を比較する。

「……これは」

 オルドが声を漏らした。

「仕上がりのばらつきが減ってるな」

 健太は身を乗り出した。

「本当ですか!?」

「ああ。まだ長く使ってみねえとわからんが、今のところ悪くない」

 ガレスも頷いた。

「軸受けの温度も問題なさそうだ。ただ、定期的な点検は必要だな」

 オルドはしばらく考えた。

 そして、健太に向き直った。

「……よし。正式に頼もう」

「……え?」

「この改良、うちの機械に採用したい」

 健太は固まった。

 数秒後。

「……やったあああああっ!」

 工房に歓声が響いた。

 初めての契約。

 初めての顧客。

 そして、初めての売上。

 ケンタ魔導技術開発商会は、ついに商売を成立させたのだった。


* * *


 数日後。

 健太は商業ギルドの受付で、一枚の書類を提出していた。

「……初回取引の完了報告ですね」

 エリナが書類を確認した。

「はい!」

「おめでとうございます、田中様」

「ありがとうございます!」

 健太は満面の笑みを浮かべた。

 売上は銀貨十二枚。

 そこから材料費、ガレスへの工賃、試験費用などを差し引くと、健太の手元には銀貨三枚が残った。

 決して莫大な利益ではない。

 だが、初めて自分の商会で稼いだ金だった。

「……商売って、意外と儲かるんですね」

 健太は呟いた。

 エリナは微笑んだ。

「今回は良い結果となりましたね」

「はい! これを十件、百件と増やせば……」

 健太は頭の中で計算した。

 一件で銀貨三枚。

 十件で三十枚。

 百件で三百枚。

「……すげえ」

 夢が膨らんでいく。

 そのとき、エリナが静かに尋ねた。

「田中様、今後の受注について、ガレス様とはご相談されていますか?」

「……え?」

「製造能力には限界がございますので、受注数の管理も必要になります」

「大丈夫ですよ!」

 健太は笑った。

「仕事が増えれば、職人を増やせばいいんです!」

「……その場合、人件費も増えますが」

「売上も増えるんだから問題ないでしょ!」

 エリナは少し心配そうな表情を浮かべた。

「……そうですか」

 健太は書類を受け取ると、意気揚々とギルドを後にした。

 初めての成功。

 それは、小さなものだった。

 しかし、健太にとっては世界が変わるほどの出来事だった。


* * *


 異世界生活、四十五日目。

 健太は、商業ギルドの掲示板の前に立っていた。

 そこには、商人たちが利用する求人や取引情報が並んでいる。

 その一角に、一枚の新しい張り紙があった。

『魔導加工機の改良技術を募集』

『対象:王都北部・金属加工組合』

『導入予定台数:二十台』

『予算:銀貨三百枚』

 健太は目を見開いた。

「……三百枚?」

 思わず、もう一度読み直した。

 間違いない。

 銀貨三百枚。

 これまでの売上とは比較にならない金額だった。

「……これだ」

 健太は震える手で張り紙を剥がした。

 頭の中では、すでに計算が始まっていた。

 一台あたり銀貨十五枚。

 二十台で三百枚。

 材料費や工賃を差し引いても、相当な利益が残るはずだ。

「……これを取れれば、一気に大金持ちだ!」

 健太は受付へ向かった。

「すみません! この案件に応募したいんです!」

 エリナが書類を確認した。

「……二十台の改良案件ですね」

「はい!」

「こちらは一定の納期と品質保証が求められますが、対応可能でしょうか?」

「もちろんです!」

「製造体制は整っていますか?」

「大丈夫です!」

「必要な資金は?」

「問題ありません!」

 健太は即答した。

 実際には、何も確認していなかった。

 ガレスに相談もしていない。

 材料の仕入れ先も決まっていない。

 二十台の改良に必要な期間すら知らなかった。

 だが、健太には確信があった。

 一台できた。

 ならば、二十台だってできる。

「……絶対に成功します!」

 エリナは書類を見つめた。

 そして、静かに告げた。

「では、正式な見積書と実施計画書をご提出ください」

「わかりました!」

 健太は笑った。

 今度こそ、本当に大きな仕事だ。

 王都の加工組合。

 銀貨三百枚。

 そして、二十台の魔導機械。

 彼の目には、成功した未来しか映っていなかった。

 だが、健太はまだ理解していなかった。

 一台の成功と、二十台の納品は違う。

 個人の技術と、組織の生産能力は違う。

 そして何より。

 契約とは、成功したときに金をもらう約束であると同時に、失敗したときの責任を負う約束でもあるということを。

 田中健太。

 三十四歳。

 異世界生活、四十五日目。

 彼は今、人生最大の商機を手にしようとしていた。

 同時に、人生最大の失敗へと、片足を踏み出していた。

小さな成功は、次の挑戦への自信になります。

しかし、一件の仕事を完成させることと、多くの仕事を同時に管理することは、まったく別の能力です。

成功した経験が、必ずしも次の成功を保証してくれるわけではありません。

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