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『異世界転生したら人生逆転できると思っていた。』  作者: 霜月 七日


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第5話 現代知識があれば経営者になれると思っていた。

初めて自分の知識が評価され、報酬を手にした健太。

一度の成功が自信につながることもあれば、思いがけない勘違いを生むこともあります。

果たして、彼の次なる挑戦はどうなるのでしょうか。

 異世界生活、十九日目。

 田中健太は、久しぶりに朝から機嫌が良かった。

「……やっぱり、金があるって最高だな」

 安宿の食堂。

 目の前には、焼きたてのパンと肉入りのスープが並んでいる。

 数日前まで、硬いパン一つ買うのにも苦労していた。

 しかし、今は違う。

 鍛冶師ガレスから受け取った銀貨二枚。

 さらに、四日間の労働で貯めたわずかな賃金。

 健太にとって、それは大金だった。

「うまっ……!」

 肉を口に運び、満足そうに頷く。

 異世界の食事も、金さえ払えば悪くない。

 問題は、この生活をどう維持するかだ。

「……いや、維持じゃないな」

 健太はスープを飲み干した。

「もっと上を目指さないと」

 せっかく異世界に転生したのだ。

 ただ食べて眠るだけの人生では意味がない。

 豪邸。

 専属の料理人。

 美しいメイド。

 そして、働かなくても金が入ってくる仕組み。

「……やっぱ、経営者だよな」

 健太は笑った。

 現代日本でも、成功者と呼ばれる人々は会社を経営していた。

 社長になれば、人を雇える。

 従業員が働いてくれれば、自分は指示を出すだけでいい。

 しかも、健太には現代知識がある。

 これはもう、成功しない理由が見当たらなかった。


* * *


「会社を作りたい、ですか?」

 商業ギルドの受付で、エリナ・フォルツが顔を上げた。

「そうです!」

 健太は勢いよく頷いた。

「魔導機械の改良事業を始めようと思っています」

「それは素晴らしいですね」

 エリナは微笑んだ。

「すでに製品は完成しているのでしょうか?」

「まあ、試作品はあります」

「拝見できますか?」

「……今は持ってません」

「では、製造を担当する職人の方は?」

「います!」

 健太は自信満々に答えた。

「ガレスっていう鍛冶師です」

「ああ、ガレス様ですね。あの方は腕の良い職人として有名ですよ」

「ですよね! 俺の技術を使って、すごい機械を作ったんです!」

「それは興味深いお話ですね」

 エリナは書類を取り出した。

「では、ガレス様との共同事業契約は締結されていますか?」

「……契約?」

「はい。技術の権利や利益配分について、取り決めはございますか?」

「いや、まだですけど」

「そうですか。では、まずはその点を確認された方がよろしいかと」

 健太は眉をひそめた。

「そんなに難しく考えなくてもいいんじゃないですか?」

「後々のトラブルを避けるためにも、必要なことです」

「でも、アイデアを出したのは俺ですよ?」

「承知しております。ただ、製品の設計や製造を担当された方にも権利が発生する場合がございます」

「……は?」

 健太は納得できなかった。

 自分がフライホイールという言葉を教えなければ、あの装置は生まれなかった。

 つまり、自分こそが発明者だ。

 細かい設計や製造なんて、職人なら誰でもできる。

「……まあ、ガレスさんとは仲がいいんで」

 健太は笑った。

「話せばわかってくれますよ」

 エリナは少し心配そうな表情を浮かべた。

「そうですか。では、事業計画書を作成されてから、改めてご相談ください」

「わかりました!」

 健太は書類を受け取った。

 その足取りは軽かった。


* * *


「……会社?」

 ガレスは鍛冶場で手を止めた。

「ああ! 魔導機械を改良して売る会社を作るんです!」

 健太は机に紙を広げた。

 そこには、大きく会社名が書かれていた。

『ケンタ魔導技術開発商会』

「……俺の名前が入ってるな」

「当然です! 創業者ですから!」

 ガレスは紙を眺めた。

「で、何を売る?」

「もちろん、フライホイールです!」

「……あの円盤か?」

「はい! あれを取り付ければ、魔導機械が進化するんですよ!」

 ガレスは腕を組んだ。

「確かに、回転の変動は少し抑えられた」

「でしょ!?」

「だが、まだ問題がある」

「……問題?」

「円盤が重い分、起動には余計な力がいる。軸受けにも負担がかかるし、急停止させるのも難しくなる」

 健太は黙った。

「それに、魔石の消費が減ったわけじゃねえ」

「……でも、回転は安定したんですよね?」

「ああ。特定の使い方なら役に立つだろうな」

「だったら売れますよ!」

 ガレスはため息をついた。

「売れるかどうかは、これから調べるんだろ」

「そこは商業ギルドに任せればいいんです!」

「……お前さんな」

 ガレスは額を押さえた。

「商売ってのは、そんな簡単なもんじゃねえぞ」

「大丈夫です。俺、現代日本の経営知識がありますから」

「けいえいちしき?」

「はい。マーケティングとか、ブランディングとか、そういうのです」

「……具体的には?」

「え?」

「誰に、いくらで、どれだけ売るつもりなんだ?」

「……それは、これから」

「製造費用は?」

「……これから」

「材料の仕入れ先は?」

「……これからです」

 ガレスはしばらく黙った。

 そして、静かに告げた。

「だったら、まずはそこから考えろ」

 健太は不満そうに口を尖らせた。

「……ガレスさん、慎重すぎません?」

「慎重にもなるさ。俺には工房も従業員もいる」

「でも、大きく成功するにはリスクを取らないと!」

「リスクを取るのと、何も考えずに金を使うのは違うぞ」

 健太は聞こえないふりをした。


* * *


 二十日目。

 健太は商業ギルドの資料室にいた。

 会社設立のため、事業計画書を作成する必要があった。

 だが、何を書けばいいのかわからない。

「……面倒くせえな」

 机には、何枚もの紙が広がっている。

 初期投資。

 材料費。

 製造原価。

 販売価格。

 利益率。

 どれも、聞いたことはある。

 しかし、実際に計算したことはなかった。

「……利益率って、売上から経費を引けばいいんだっけ?」

 健太は首を傾げた。

 そのときだった。

「失礼ですが、事業計画を作成されているのですか?」

 隣の席から声がした。

 振り返ると、三十歳ほどの男性が座っていた。

 整った服装。

 落ち着いた表情。

 机には、整然と書類が並んでいる。

「……まあ、そうですけど」

「差し支えなければ、どのような事業でしょうか?」

「魔導機械の改良です」

「それは興味深いですね」

 男は微笑んだ。

「私はレオンと申します。商人として、この街で活動しております」

「田中健太です」

「……タナカ?」

 レオンの表情が変わった。

「もしかして、日本から来られた方ですか?」

「えっ!?」

 健太は驚いた。

「なんでわかるんですか!?」

「私も日本出身なんです」

「マジで!?」

 二人は顔を見合わせた。

 健太にとって、異世界で初めて出会う日本人だった。


* * *


「へえ、大企業で働いてたんですか」

「ええ。前世では、製造業の経営企画部門に勤務していました」

 レオンは穏やかに答えた。

「こちらに来てからは、小規模な商会を経営しています」

「すげえ! 社長じゃないですか!」

「まだ従業員が十二人の小さな会社ですよ」

 健太は目を輝かせた。

 同じ日本人。

 しかも経営者。

 これは運命の出会いかもしれない。

「実は俺も、会社を作ろうと思ってるんですよ!」

「そうなんですね」

「現代知識を使って、魔導機械を改良するんです!」

「なるほど。具体的には?」

 健太はフライホイールの話をした。

 すると、レオンは興味深そうに頷いた。

「回転の変動を抑えるための慣性体ですね」

「そう! それです!」

「用途によっては有効だと思います。ただ、加減速の多い装置では不利になることもありますね」

「……え?」

「回転体の慣性が大きくなると、速度を変えるために余分なエネルギーが必要ですから」

 健太は黙った。

 ガレスと同じことを言っている。

 レオンは紙を取り出した。

「もし事業化するなら、まず対象となる機械を絞った方がいいと思います」

「対象?」

「例えば、一定の速度で長時間動かす研磨機や製粉機などですね」

「……なるほど」

「そのうえで、改良前後の性能を比較します。回転速度の変動、魔石の消費量、故障率、製造費用などです」

「……」

「効果が確認できれば、既存の機械を改造するサービスとして販売する方法もあります」

 健太は目を見開いた。

「……それ、いいですね!」

「ええ。新しい機械を一から作るより、初期投資も抑えられます」

 レオンは簡単な表を書いた。

 試験対象。

 測定項目。

 必要な費用。

 想定される顧客。

 わずか十分ほどで、事業計画の骨格ができあがった。

「……すげえ」

 健太は感心した。

 さすが大企業出身。

 こういうことは得意らしい。

「これ、もらっていいですか?」

「もちろん。ただし、実際の数字は現地で確認してくださいね」

「ありがとうございます!」

 健太は紙を受け取った。

 そして、あることを思いついた。

「……レオンさん」

「はい?」

「俺と組みません?」

「……組む?」

「はい! 俺がアイデアを出して、レオンさんが経営を担当するんです!」

 レオンは少し考えた。

「面白いお話ですが、まずは技術の実用性を確認したいですね」

「大丈夫ですよ! 絶対に成功します!」

「その自信は素晴らしいと思います。ただ、事業では数字による確認が必要です」

 健太は笑った。

「そういう細かいところは、レオンさんに任せます!」

 レオンの笑顔が、ほんの少しだけ固まった。


* * *


 二十二日目。

 健太はガレスの工房に、レオンを連れてきた。

「ガレスさん! すごい人を連れてきました!」

「おう。誰だ?」

「日本から来た経営者です!」

 レオンは丁寧に頭を下げた。

「初めまして。レオンと申します」

「ガレスだ。よろしくな」

 二人は握手を交わした。

 そして、魔導回転機の前に立った。

「なるほど。こちらが改良された装置ですね」

「ああ。回転の変動を抑えるために円盤を取り付けた」

「軸受けの摩耗は確認されていますか?」

「まだ長時間の試験が終わってねえ」

「では、まずそこを確認したいですね」

 レオンは装置の構造を観察した。

「取り付ける円盤の重量や直径を変えれば、効果も変わりそうですね」

「ああ。俺もそう考えていた」

「測定用の器具はありますか?」

「簡単な回転計ならあるぞ」

「でしたら、条件を揃えて比較しましょう」

 二人はすぐに話し込んだ。

 健太は、少し離れた場所でその様子を眺めていた。

「……なんか、話が早いな」

 専門用語が飛び交う。

 回転数。

 慣性。

 負荷変動。

 軸受け。

 魔力消費。

 健太には半分も理解できなかった。

 だが、悪い気分ではない。

 何しろ、すべては自分のアイデアから始まったのだ。

「……俺、完全に社長じゃん」

 健太は小さく笑った。

 優秀な人材を集める。

 専門家に仕事を任せる。

 そして、最後に自分が利益を得る。

 まさに経営者の仕事ではないか。


* * *


 それから一週間。

 レオンとガレスは、魔導回転機の改良試験を続けた。

 健太も工房に顔を出した。

 もっとも、作業に参加することは少なかった。

「社長は現場に口を出しすぎない方がいいからな」

 健太はそう考えていた。

 実際には、何を手伝えばいいのかわからなかっただけだった。

 そんなある日。

「……結果が出ました」

 レオンが一枚の紙を差し出した。

 そこには、試験結果がまとめられていた。

 一定の負荷で動かす研磨機では、円盤を取り付けることで、短時間の負荷変動に対する回転速度の落ち込みが小さくなっていた。

 一方、起動に必要な時間は長くなり、魔石の総消費量もわずかに増加していた。

「……つまり?」

 健太が尋ねた。

「用途を限定すれば、十分に商品価値があります」

 レオンは答えた。

「特に、一定速度で加工することが重要な工房では、需要が見込めそうです」

「……やった!」

 健太は拳を突き上げた。

「成功じゃないですか!」

「はい。ただし、万能な改良ではありません」

「そんなことはどうでもいいですよ!」

 健太は興奮していた。

 商品価値がある。

 その言葉だけで十分だった。

「これで商売できますね!」

 レオンは頷いた。

「小規模に試験販売するなら、可能だと思います」

「よし! じゃあ、会社設立ですね!」

「……その前に、確認したいことがあります」

「なんですか?」

「利益配分です」

 健太は笑った。

「そこは、ちゃんと考えてますよ!」

 紙を取り出し、大きく数字を書いた。

『健太 七〇%』

『レオン 二〇%』

『ガレス 一〇%』

「……どうです?」

 レオンは紙を見つめた。

 ガレスも黙った。

 しばらく沈黙が続いた。

「……健太さん」

 レオンが静かに口を開いた。

「この割合の根拠を教えていただけますか?」

「え?」

「なぜ、この配分なのかということです」

「だって、俺が発案者ですから」

「なるほど」

 レオンは頷いた。

「では、今後の製造費用は、どなたが負担されるのでしょうか?」

「……それは、会社が」

「会社の資金は?」

「……」

「営業活動は?」

「……レオンさんが」

「製品の製造と品質管理は?」

「……ガレスさんが」

「では、健太さんは具体的に何を担当されますか?」

 健太は胸を張った。

「経営です!」

「経営のどの部分でしょうか?」

「……え?」

「資金調達、契約、販売戦略、原価管理、人員管理。どれを担当されますか?」

 健太は答えられなかった。

 レオンは穏やかに続けた。

「アイデアを出されたことには価値があります。その点は、私もガレスさんも認めています」

「……だったら」

「ただし、その価値と、事業全体の利益配分は別の話です」

 健太の表情が曇った。

「……つまり、俺の取り分を減らせってことですか?」

「そうではありません。まず、各自の役割と負担を整理しましょう」

「……」

「そのうえで、適切な契約を結ぶべきだと思います」

 健太は唇を噛んだ。

 また契約。

 また数字。

 また面倒な話。

 しかし、今回は違った。

 目の前には、実際に価値のある製品がある。

 それを作る職人もいる。

 販売できる経営者もいる。

 つまり、自分はもう成功者なのだ。

「……わかりました」

 健太は笑った。

「じゃあ、一度持ち帰って考えます」

 レオンは頷いた。

「承知しました」

 ガレスは腕を組んだまま、何も言わなかった。


* * *


 その夜。

 健太は安宿の部屋で、一人考えていた。

「……七割は、さすがに欲張りすぎたか?」

 机には、利益配分を書いた紙がある。

 健太は数字を見つめた。

 レオンは優秀だ。

 ガレスも腕がいい。

 しかし、彼らは自分がいなければ、この商品を作れなかった。

 つまり、自分が最も重要な存在であることは間違いない。

「……じゃあ、五割ならいいか」

 健太は数字を書き直した。

『健太 五〇%』

『レオン 三〇%』

『ガレス 二〇%』

「……これなら文句ないだろ」

 健太は満足そうに頷いた。

 だが、その直後。

 ふと、別の考えが浮かんだ。

「……待てよ」

 そもそも、なぜレオンとガレスにそこまで利益を渡す必要があるのだろう。

 技術のアイデアは、すでに自分の頭の中にある。

 設計や製造なら、別の職人でもできるはずだ。

 営業だって、商業ギルドに任せればいい。

「……俺、一人でもできるんじゃね?」

 健太は笑った。

 今までは、協力してくれる人がいなかったから失敗した。

 しかし、今回は違う。

 商品は完成している。

 需要も確認できた。

 あとは、製造と販売だけ。

「……だったら、最初から全部俺のものにした方がいいよな」

 健太は紙を丸めた。

 そして、新しい紙を取り出した。

『ケンタ魔導技術開発商会』

『代表 田中健太』

『利益配分 田中健太 一〇〇%』

 その文字を眺めながら、健太は笑った。

「……完璧だ」

 もちろん、彼にはまだわかっていなかった。

 商品が売れることと、事業が継続できることは違う。

 そして、優秀な人材が協力してくれることと、その人材が自分の所有物になることも違う。

 だが、健太は確信していた。

 今度こそ、本当に人生が変わる。

 もう誰にも頼らない。

 自分一人で、異世界の大富豪になってみせる。

 翌朝。

 健太は商業ギルドへ向かうことを決めた。

 レオンにも、ガレスにも、何も告げずに。

 彼の手には、一枚の申請書が握られていた。

『新規商会設立申請書』

 そして、その下には、もう一枚。

『魔導回転機改良技術・独占販売権登録申請書』

 田中健太、三十四歳。

 異世界生活、二十九日目。

 彼は今、自分が人生で最も賢い決断をしたと信じていた。

 その決断が、初めて手にした成功を、自ら壊すことになるとも知らずに。

良いアイデアがあっても、それを事業として成立させるには多くの人の力が必要です。

成功のきっかけを作った人と、成功を実現させた人。

その両方の価値を認められるかどうかが、経営者としての分かれ道なのかもしれません。

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